デパートや遊園地や海水浴場などに行くと、怪獣のような鳴き声で泣いてる子供を見かけることがある。
そう、それはまさに怪獣のような鳴き声で、絶叫である。
あたりに響き渡ること、すさまじい。
でも、その子にとっては必死であり、それこそ命の危険、絶体絶命のピンチに置かれた大人と同じ心理状態であろう。
それは、たいがい「迷子」になった状態である。
よく、火事場の馬鹿力なる言葉があるが、迷子になって絶叫する時の子供の泣き声は、それこそ「火事場の馬鹿力」を伴ったパワー。
今後自分はどうなってしまうのか、もしかしたら死んでしまうのか・・・・と子供が考えるかどうかは分からないが、大人だったらそう考えるに違いない心理状態であろう。
それこそ、親との今生の別れになってしまうかもしれないようなピンチ感。
その心理状態、大人になってしまった私でも、ある程度分かる。
というのは、私も子供の時に迷子になった時、そんな心細さや危機感、絶望感を感じたからだ。
私が迷子になった体験は、細かいケースはいくつかあるかもしれないが、今でも覚えている「迷子体験」は1回。
それは・・・親に潮干狩りに連れていってもらった時だった。
場所は、千葉・・・だったと思う。
なぜ親とはぐれてしまったのかは思いだせない。
潮干狩りの海辺は、かなり混んでいた。
その混み具合ゆえに、親とはぐれてしまったのだろう。
最初は、少し危機感が足りなかった。
視界に親の姿が見えなくても、自分の周りのどこか近場にいるだろうと思ったし、少し探せば見つかるだろうとも思った。
もしくは、親の方で私の居場所を把握してくれていて、親が自分を見つけてくれるだろう・・と思っていた。
だが・・・甘かった。
少し親を探し歩くうちに、私は元いた場所からどんどん離れていってしまったようだ。
離れれば離れるほど、親の居場所は分からない。
だんだん焦ってきた。
普通こんな時は絶叫して泣けばいいのだろうが、なぜか私は泣かなかったのは覚えている。
その代わり、体が熱くなってくるのがわかった。
歩いていても現実感がなかった。
ある意味・・・高熱で無理して歩いている時のような、夢遊病にでもなって歩いているような現実感のなさ。
でも、それは現実なのだ。
「どうしよう」
「僕はどうなってしまうのだろう」
「いざとなったらどうしよう」
そんなことばかり考えてたように思う。
で、しばらくさまよい歩いた。
潮干狩り用の海水浴場を。
どれぐらい歩いたのだろう。
やがて
遠くで、スピーカーから流れるアナウンスを聞いた。
自分のいる場所から遠かった。
アナウンスの聴こえるスピーカーのある場所を探して、少しずつ近づく。
すると、アナウンスの声が更にはっきり聴き取れるようになった。
アナウンスでは、私の名前が呼ばれていた。
「〇〇区から来た、だんぞう君。両親が待っています。至急、管理事務所(だったかな?)まで来てください」
安堵感。
安堵感。
やっと、夢遊病状態から現実世界に自分が移行してゆくのがわかった。
日常に戻れる気がした。
で、とぼとぼ事務所まで行き、親と再会。
なぜか私は迷子になってる間、まったく泣かなかったし、親と再会しても泣かなかった。
なぜだろう。
ただただ焦って、夢遊病のようになっていた。
で、何事もなかったかのようなそぶりで、親に再会。
これは・・・おそらく・・・迷子になってしまったことがバツが悪い・・というか、テレくさかったのかもしれない。
また、スピーカーで自分の名前が呼ばれたこともテレくさい気持ちがあったのかもしれない。
だから、平静を装って、親の前に現れたのかもしれない。
だが、迷子になった不安や危機感は、痛いほどよくわかった。
なので、迷子になった子供が怪獣のような泣き声で絶叫する、絶体絶命的な心理状態は、よく分かる。
もし、あのまま、あの場所で親に再会できないままだったら・・・その後自分はどうなっただろう・・・ということは、当時考えた。
まあ、潮干狩りの客が皆帰ってしまっても、ポツリと一人で潮干狩り場に残ってる少年がいたら、警備員のほうでほうっておかなかっただろう。
きっと、警備員に保護されて、その後、結局無事に家に送り届けられたか、親が迎えにきたかしたであろう。
怖いのは・・・そのまま、親に捨てられてしまったら・・ということだ。
というか、捨てるつもりで親が自分をその場に連れてきたのだとしたら・・・・・。
幸い、私の場合はそうじゃなかったから、よかったけど。
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