何気に会社にあったこの本を手にとって読んでみた。
そうしたら、面白かった。
人間はとかく「昔はよかった」の思いを持つと、過去の時代を過度に美化してしまうことがあると思う。
ほどほどならいいけれど、ともすればそれがエスカレートしてしまうこともある。
それは現実世界に不満や辛いことが多いと、その不満や辛さがなかった・・あるいは今ほどじゃなかった過去の時代を、実際のその過去の時代を等身大以上に美化してしまうからなのだろう。
あるいは、今の現実世界で失われてしまったものが当たり前のように存在した過去に対する、今の現実の中での喪失感がそうさせるのであろう。
実際、その喪失感は私にもあるし、自作の歌の題材にもしていたりする。
だが、その過去の時代だって、その時代なりの不満や辛さはあったはずなのだ。
むしろ、無くなってしまったものがあったとしても今の現実世界のほうが改善されていたり快適だったり良かったりする点は多かったりもする。
今の時代で起きている諸問題にしても、過去の時代から今の時代に至る過程で、反省したり利便性をあげるために行われた事象の副作用や反動や犠牲点などの代償の上で起きていたりもする。
過去にあった諸々のもので、今の時代で失われてしまったものの多くは、人間が利便性や快適さを追い求めてきた結果であったりする。
この本で取り上げられている「過去の時代」は、昭和30年代。
映画やドラマなどですごく美化して描かれている昭和30年代だが、実際のその年代は一体どんな時代だったか。
どんなものにも光と影があるし、それは時代にも当てはまる。
仮に映画やドラマで描かれる、美化された昭和30年代が「光」の部分だとしたら、「影」の部分はどんなであったか。それがこの本では描かれている。
例えば・・・クーラーなんて、一般家庭にはほとんどなかったはずだ。ストーブなどで暖房はあったにしろ。電車でも、冷房なしなんてザラだったろう。夏の満員電車は地獄だっただろう。
車が吐き出す排気だって、今の比じゃなかっただろう。
銭湯が多くあったことを考えれば、風呂のない一般家庭は多かったろう。人は風呂に入る時は、わざわざ銭湯まで出向いていかねばならなかったはず。見たい番組と番組の間の短い時間に速攻で風呂に入るなんてことは難しかったろう。
家にある風呂ですら、入るのが面倒くさく感じる場合があるのだから、わざわざ外出して出向かねばならない銭湯は、今以上に面倒くさく感じる場合は多かっただろう。
トイレはボットンが多かっただろう。すると、自分を含む家族の排泄物が、お客さんが来てトイレに入った時に見られてしまうことになったはず。
1ドルが360円では、輸入品はバカ高だったろうし、海外旅行なんて夢のまた夢だったはず。
この本によると、昭和30年代の人々のモラルは今よりも格段と低かったらしい。それだけ、法律による様々な締め付けは緩やかであっただろう。だからその緩やかさに対する今の時代の人が感じる良さはあっただろうが、マナーの悪さ的な問題は今の比ではなかったはず。
舗装されていない道が多いのは、夏の昼間の日差しによって上がった気温を夕方以後にやわらげる効果はあっただろうが、ぬかるんだり、すべって転ぶ人は多かったはずだし、車も走りにくかっただろう。
テレビなど贅沢品だっただろうし、テレビがない家庭も多かったはず。
ビデオなど普及してなかったので、見たい番組を見るためには、その番組の放送時間帯までにテレビの前に行かねばならなかっただろう。
家庭に仮にテレビがあったとしても、一家に一台しかないのが普通だったはずなので、子どもと親で別の番組を見るなんてことはできなかったろう。
電話だって家にない家庭はあった。そんな時は電話のある人に「呼び出し」をしてもらうしかなかったろう。
コンビニもなかったはずだし、カップ麺もなかっただろう。
携帯もなければ、パソコンもなし。家庭用ゲーム機もなければ、ゲームソフトもなし。
その他、今よりないものはたくさんあったはず。
そういうのがある現代と比べて、そういうのがなかった良さが昭和30年代にはあったはずだが、今を生きる我々がもしもその時代に行ったら、今の我々の感覚では、そういうのがないデメリットのほうがきっと大きいと感じるだろう。
この本は最後に、「今のほうが良い」という言葉で締めくくっている。
昭和30年代と、現代。
どちらがいいかは、個人個人の感じ方や価値観次第だとは思うが、デメリットに目を向けずに、あの時代を美化しすぎるのは・・どうかなとも思えてはいる。
光と影。どちらもある程度把握したうえで、改めて過去の時代を見つめ、そして今の時代を今の価値観で生きていくほうがいいのだろう。
今のありがたみというのは大きいものがあるはず。
どちらの時代も互いにないものがあり、それぞれ一長一短なのだ。
そう思えば、やみくもに一方を良いものと思い、それに相対する時代のことを卑下する・・・そういうことをしないですむ。
この本を改めて読んだうえで、「三丁目の夕日」のような作品を鑑賞すると、また違った面白さも見えてくる・・・・そう思った。