大晦日、紅白が終わった後に放送される「ゆく年、くる年」という番組は、すっかり大晦日から元旦にかけての「年またぎ」番組として定着している。
紅白とこの番組は、なにやらセットのような感覚で私は捉えている。
これを見ると、年が明けたんだなという気になる。
私にとっても、心の中に定着している番組だ。
この番組では、年末から年始の「年またぎ」の、日本全国の場所が生中継される。
画面内には、寺でのおごそかな読経の風景や、夜中に初もうでに出かけてくる群衆の光景が映し出される。
この番組を見るたびに、静かな神社や寺の風景に、どこか旅情を誘われたり、初もうで客に賑わう神社などの群衆の中に参加したくなったりすることがある。
だが最近の私は実際には、大晦日の深夜に神社などに行くことはなく、もっぱら暖房のきいた部屋にいてテレビを見ながら酒を飲んだりして過ごしている。風呂も終わって。
家の近くに、露店がでる神社などがないことはない。
行けば、きっとそれなりに賑っていることだろう。
行きたいという気持ちはあれど、行こうと思えば行けるのに行かないのは、風呂上がりに暖かい部屋から寒い外に出たくないという気持ちもあるし、のんびり家で酒でも飲み続けていたいという気持ちもあるからだ。
酔っぱらっていて、億劫というのもある。
なので、ひたすら「ゆく年くる年」で、賑う神社の光景を見ることで、代用している感じ。
思えば・・・大晦日の深夜に外出しなくなったのは、いつからだろう・・と考えてみた。
30代中盤くらいまでは、大晦日の夜を外で過ごしていたことは多かったと思う。
例えば、近くの喫茶店で、学生時代の同級生たちと集まっていて、時間が0時を過ぎた段階で何台かの車に分乗して、熱海方面に初日の出を見に行ったり。
友人の家にいて、紅白を見てる最中に急に思い立って、車で高原のほうに行って、現地で飛び込みでペンションのスタッフルームみたいな部屋に特別に泊めてもらったり。
あるいは、友人たちと電車で鎌倉に行って、夜明けまで鎌倉のあちこちを歩き回ったり。
スキー場の宿で新年を迎えていたり。
行きつけのパブで大晦日の夜から元旦の夜明けまで飲んでいたり。
その他、思いだしてみれば、なんだかんだで、それなりに昔は外で過ごしていたことは多かったかもしれない。
あ、そういう記憶があるから、今でも大晦日から元旦にかけての「年またぎ」の時には、どこかに行きたくなるのかもしれない。
でも・・・今はすっかりだ。
まあ、お酒を家で飲んで酔っ払っているからだろうな(笑)。
先ほど大晦日から元旦にかけての「年またぎ」は、「紅白」→「ゆく年くる年」というテレビの流れで過ごしているという主旨のことを書いたが、実際には最近はこうだ。
「紅白」→「ゆく年くる年」→「さだまさし」。
「さだまさし」とは、さださんのトーク番組である。なにやら、ラジオの深夜放送みたいな番組で、これを見てるとどうも十代の頃に聞いていたラジオ深夜番組を思いだす。
最近では、このさださんの番組を見てると「元旦の深夜」だなあと思うようになった。
この番組はなにも元旦の深夜だけ放送されてるわけでもなく、不定期で放送されてるのだが、どうも個人的に元旦の深夜の番組という印象が強い。
なので、元旦の深夜ではない時にこの番組が放送されてるのを見ると、気分的に元旦の深夜に居るような気になる(笑)。
なんにせよ、大晦日~元旦の過ごし方というのは、昔も今もどうも記憶に残りやすい気はする。
やはり、特別な時期なんだね。
きっと、皆さんにとっても、そうなのではありませんか?
きっと、大晦日ならではの記憶があるのでしょうね。