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埴生の宿。はにゅうのやど。羽生さんとは無関係。
古くから伝わる外国産の唱歌である。学校時代に音楽の時間に習った方もいらっしゃるのでは。
私がこの曲を知ったのは、小学生時代だったと思う。
当時私の親はアパート経営をしていたのだが、アパートの住人のひとりであったОさんと私は仲良くなり、Оさんがある日私の部屋に遊びに来た時に、「埴生の宿」を教えてくれた。
初めて聴いた時は、のんびりした歌だなと思ったぐらいで、後は特に私は感想はなかった。
だが、その後、たまに色んな場所でこの曲を耳にするようになり、だんだんこの曲の・・・というより、メロディが好きになっていった。
この曲についていた歌詞は文語調で、最初意味がわからなかった。
メロディが気に入るようになってから、なんでこんな難しい歌詞をつけたんだろう・・と思うようになった。
で、ちょっと調べてみたら、この曲は元々は外国産の歌であることを知った。
「埴生の宿」は原題が「Home Sweet Home」。「楽しき我が家」という邦題で呼ばれることもある。
ウィキによると、この原曲はイングランド民謡で、1823年に作詞作曲され、同年の初演オペラ「ミラノの乙女」で歌われたのが最初だそうだ。
作詞者と作曲者がはっきりしているようなので、民謡の分類でふさわしいのかどうか・・という議論もあるようだ。
作詞はアメリカのジョン・ハワード・ペイン。
作曲はイギリスのヘンリー・ローリー・ビショップ。
「埴生の宿」の歌の大意は、「床も畳もなく、土(粘土)むき出しの粗末な家であっても、我が家はいいものだ」・・・と、我が家をたたえる歌。
この曲は、学校の音楽の時間などで習うだけでなく、下校のチャイムなどにもよく使われているので、タイトルは知らなくても、メロディを聴けば「あ、この曲か」と分かる人も多いはず。
いわば、世界のスタンダードソングである・・・といって差し支えないだろう。
メロディ自体は、一回聴いてインパクトがあるような感じではない。まあ。それは昨今の派手な曲に慣れてしまっているから、そう感じるのかもしれない。
だが、この曲は、最初のインパクトはさほどではなくても、耳にするうちにだんだん良さが染みてくる・・・少なくても私にとっては、そんな曲だ。
映画やテレビドラマなどでもよく使われてきている。
「ビルマの竪琴」「二十四の瞳」ほか多数。
近年でも矢口監督の「サバイバルファミリー」という映画の終盤に印象的な使われ方をしていたし、大河ドラマ「西郷どん」でも初期にBGMで使われていたことがあった。
そういう意味じゃ、絶えず現役であり続けている曲だろう。
聴いてるとどこか郷愁を感じるメロディで、その感覚は、外国曲では「アメージンググレース」「ダニーボーイ」などにも相通じる良さを私は感じてしまう。
どこか故郷を思わせる、センチメンタルなメロディライン。
まあ、歌詞の内容から言っても、メロディから受けるその印象は、歌の内容に合っている。
細かいメロディではなく、ゆったりしたメロディなので、早いテンポで軽快に歌ったり演奏したりするよりも、じっくりと1音1音をかみしめるように丁寧に・・・例えばストリングスやコーラスなどで演奏したり歌ったりすると、真価を発揮する曲だろうと思う。
太平洋戦争の頃、外国から伝わった曲が数多く「敵性」と判断されて、廃棄されたようだが、この曲は「敵性」から除外され、廃棄を免れたらしい。
その理由は、日本にあまりになじんでいるから・・・と判断されたからだったらしい。
それほど日本になじんでいた曲だったというわけだ。
これは私の個人的な推測だが、「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンのもとで、贅沢を禁じられた戦時の世相に、この曲は合致していたのではなかろうか。
なにせ、前述の通り、どんな粗末な家であっても我が家は良いものだ・・・そういう内容の歌詞だったからだ。ある意味粗末さを肯定しているようにもとれるから。すくなくても贅沢を夢見たり肯定する歌ではない。
その一方で、この曲には、戦場で兵士にホームシックな気分にさせる効果もあるようにも思う。
ふるさとのことを思う曲だし。
どんな曲であれ、ふるさとのことを思い起こさせる歌というのは、人の心に染み込みやすいのだろう。
それは、どの国の人にも言えるのではないか。
ということは、ふるさとというものは、どんな人にも特別なものなのだだろう。
ふるさとのことを思い起こさせる歌が世の中には多く、またそういう歌の多くが名曲として伝わっていることでも、それはわかる。
埴生の宿・・・で歌われたほどの粗末な家は、今では日本では少ないかもしれない。
今は田舎の家でも「床も畳もなく、土(粘土)むき出しの粗末な家」というのは少ないと思う。
でも、ふるさとの家は、自分が子供時代を過ごし、親や兄弟がいて、無邪気に遊べた時代を過ごした場所。そこで過ごした時代では、まだ世の中のダークな部分を知らずにいられた幸せな時間もあっただろう。
だがやがて、人は大人になっていき、家を出ることもあるし、世の中のダークな部分も分かってくる。家族との別れも経験する。
そうなると、月日の流れの中で失っていったものがまだ揃っていた時代の幸せを改めて感じるようになる。
できれば戻りたい。
でも、もう戻ることはできない。なくなったものの中には、帰ってくるものもあるかもしれないが、絶対に帰ってこないものもある。
でも、ふるさとを思う歌を歌ったり聞いたりすることで、それらを思い出すことができる。
戻ってはこなくても、せめて思い出すことで、わずかでも「光景」や「風景」は頭の中によみがえる。
ふるさとを思う歌には、そんな力があるのだろう。
で、埴生の宿もまた、そういう力を持った曲である・・・ということであろう。
こういう曲の良い所は、そういう力を持っていても、その力をひけらかしたりはしない。自慢げでもない。押しつけがましくもない。打算もない。
ただただ、ふわり・・・と心に染み込んでくる。
だから、それを受け取る人は、穏やかに、優しくそれを受け止められる。
で、そういう気持ちで聴くから、なおさらそういう曲が染みてくる。
普段厳しいことを言ったり、行ったりしてる人でも、たとえその場限りであっても、無垢な自分に一瞬は戻れるのだろう。
そしてそれは、どんな時代でも、どんな国でも。
だから、そういう曲が、消え去ることはないのだろう。
この曲は世界中で、色んな人によって歌われているが、今回はこのバージョンを。
真野めぐみさんのバージョン。
アイリッシユハープと、澄んだ声が、素晴らしい。素敵。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=1X4m2Hwgzyg
言語を越えて、音楽に感動することは、よくありますよね。
私は、小学校3年生の時、ベートーベンによる第9交響曲「歓喜の歌」に大変魅了されました。
当時も、現在も、ドイツ語は全く判りませんが、言語の響きや抑揚だけは真似して、訳わからないことを歌っていました(笑)
「はにゅうの宿」が、対米英戦時下の日本人にも広く愛されていたのは、その「言語を越えて愛される音楽」だからこそですね。
又、だんぞうさんも書いてらっしゃる通り、映画『ビルマの竪琴』でも、日本軍将兵がイギリス軍に包囲された時、その日本陸軍部隊全員が元来、歌好きであったことから、とっさの機転を利かせて「はにゅうの宿」を歌ったところ、イギリス軍将兵にも殺気が消えて、人道的に扱う場面の数々は泣けました。
考えてみると、「音楽が無い地域・時代は無い」ですよね。
音楽とは、人々の心を和らげ、或いは奮い立たせ、運命を左右するものではないでしょうか?
だんぞうさんも、いざという時のために、「はにゅうの宿」は歌えるようにしておく方が良いですよ(笑)
ついでに「禁じられた遊び」も。
埴生の宿が戦時中でも禁止されなかったということを知った時、少し驚きました。
それほど日本で浸透していたとは。
映画「ビルマの竪琴」は私は断片的にしか見てないので、しっかりと見返してみたいと思ってます。
レンタル屋さんにあるといいなあ。
近々探してみます。
音楽はいつ頃からあったのでしょうね。
人類が登場してから、すでにあったのかどうか。
きっと、なんらかの形であったのでしょうね。
もしかしたら、リズムだけだったかもしれませんが、そういうのが、音楽になっていったのかもしれません。
埴生の宿、蛍の光、アメージンググレース、ダニーボーイ、このへんは大好きですよ。