エルトン・ジョンと言えば、1970年代において、特にアメリカでは最も成功した、イギリスのシンガーソングライター。
ヒット曲の数も多ければ、アルバムの売り上げ、チャートでの成績など申し分ない。
代表曲は多数ある。
エルトンの曲で私が初めて聴いた曲は、ラジオのヒットチャート番組で聴いた「イエス・イッツ・ミー」だったが、私が特に好きだった曲は「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」と「クロコダイル・ロック」。もちろんどちらもエルトンの代表曲。
「ブリックロード」はもはやスタンダードナンバーとして、今でもあちこちで使われたり歌われたりしている。曲を聴けば「あ、この曲か!」と反応される方は多いと思う。
私はエルトンに関しては、アルバム全部を集めて熱中するほどではなかったが、何枚かアルバムは持っていたし、好きなミュージシャンの一人ではあった。
日本でのコンサートも見たことがある。
当時ラジオで放送されていたヒットチャートランキング系の番組ではエルトンは常連だったし、それなりに彼のヒット曲にはなじんでいた。
でも、当初はレコードを買うまではいかなかった。
当時の私はビートルズやディランや拓郎などのアルバムを集めるのが金銭的に精いっぱいだったから。
そんな私が、「これはたまらない。どうしても持っていたい。」と思って、初めて入手したエルトンのアルバムが「ピアニストを撃つな」というアルバムだった。
なぜそのアルバムだったかというと、「クロコダイルロック」という大ヒット曲が入っていたからだった。
「クロコダイルロック」は、ラジオのベストヒットランキング番組で初めて聴いた時に、一発で好きになった。
これはもう、どうしても「持っていたい」と思った。
ロックンロールにオールディズポッポスのような味付けを加えたようなサウンド、アップテンポでキャッチーで親しみやすいメロディ、わくわくするイントロ、勢いに乗ったボーカルなどなどヒット性に溢れており、文句なしのご機嫌なナンバー。これは間違いなく大ヒットすると思ったが、実際に大ヒットした。
そしてエルトンの代表曲のひとつになった。
エルトンの曲作りは、基本は作詞は相棒であるバーニー・トーピンが担当し、作曲をエルトンが担当するスタイルだった。売上的にも実績的にも黄金の名コンビだったと言えるだろう。
クロコダイルロックの歌詞の内容は、ウィキによると・・
「主人公の男性が1950年代、誕生したばかりのロックンロールと、女性スージーとの思い出を語る、という内容である。」
とのこと。
なんか、アメリカン映画を彷彿とさせられてしまう。「アメリカン・グラフィティ」とか「バック・トゥ・ザ・フューチャー」あたり。
私のこのブログで1曲を取り上げる時、必ずしも大ヒットした曲とは限らず、案外あまり知られていそうもない曲を取り上げることも多い。
「あまり知られていないかもしれないが、こんな良い曲があるのです」みたいな気持で。
だが、この「クロコダイルロック」は、間違いなくエルトンの代表曲のひとつだ。
この曲は、それまで私がヒットチャート番組で楽しんでいたエルトンの音楽を、実際に私に入手させるきっかけになった曲だ。
当時の私はアルバムは基本的に1カ月に1枚しか買えなかったので、買ったアルバムはどれもよく聴いていた。
「クロコダイルロック」が入っているLP「ピアニストを撃つな」も、当時よく聴いていた。
ただ、CDの時代になってCDで買いなおしたわけじゃないので、もう長い間このアルバムは聴いていない。なので、記憶は今ではおぼろげだ。
良く聴いてた時の記憶だけで書けば、「クロコダイルロック」の他に「ダニエル」というヒット曲も含まれていたし、他にも良い曲がつまっていた、名作アルバムだったと思う。
本国イギリスはもちろん、アメリカでも1位になったアルバムだったが、このアルバムの後に出たアルバム「黄昏のレンガ路」はエルトンの最高傑作とされているし、更に「キャプテンファンタスティック」というアルバムなど、全米ヒットチャートで初登場で第1位になった。
そして当時出たベスト盤「グレイテストヒッツ」は更に売れ、アメリカで売れたアルバムの歴代15位に入っているほど。
彼は当時7枚のアルバムが連続で全米1位になった。
ともかく70年代のエルトンは、まばゆいばかりの成功を収めた。まさに70年代を代表するシンガーソングライターのひとりだった。才能が大爆発していた。
エルトンのそんなすさまじい成功は日本でも音楽雑誌などでよく報じられていたし、日本でもかなり人気はあったと思う。
ただ、アメリカでのすさまじい人気に、日本での人気は追いつけていなかったような気はしている。
というか、アメリカでの成功が凄すぎたのだろう。
ちなみに私が20代の頃によく行ってた店では、洋楽のカラオケを歌う人が多かったのだが、なぜかエルトンの曲を歌う人は少なかった。
1人、よくエルトンの歌を歌う人がいたが、その人の歌うエルトンソングは決まって「ユアソング」だった。
そんなこともあって、その店ではエルトンの曲というと「ユアソング」というイメージがあった。
世間一般的にはエルトンの代表曲といえば「ユアソンク」はもちろん、「グッバイイエローブリックロード」や「キャンドルインザウィンド」なのかもしれない。
「キャンドルインザウインド」は、亡きダイアナ妃に捧げられたことでリバイバルヒットした曲だ。
ともかく、ヒット曲は多い。
私にとってはエルトンは・・前述の通り、やはりこの「クロコダイルロック」と、おなじみの「グッバイイエローブリックロード」かな。他にも「土曜の夜は僕の生きがい」「ピンボールの魔術師」も好きだった。
私の音楽仲間の中には、エルトンのヒット曲「ベニーとジェッツ」にインスパイアされて自作曲を作った友もいた。
私は、「クロコダイルロック」には、その乗りやポップ性に打ちのめされた。
「グッバイイエローブリックロード」はそのセンチメンタルなメロディラインと、うっとりするような転調のセンスにノックアウトされた。
エルトンのメロディ作りは卓越しており、そのメロディ作りの才能には憧れたものだった。
幅が広く、変幻自在に思えたし。アップテンポの曲のノリも特筆モノだった。
ちなみに、当時エルトンがインタビュアーなどに「ライバルは誰ですか?」と聞かれた時に自身のライバルとしてあげていた人物は、「アローン・アゲイン」で知られるギルバート・オサリバンだったらしい。
また、70年代後半に大ブレイクしたビリー・ジョエルは、鍵盤でのシンガーソングライター同士ということもあったのかどうかはわからないが、エルトンからはかなり影響を受けたらしい。
なんにせよ、当時のシンガーソングライターたちにとっては、エルトンの存在は大きな刺激でもあったのではないだろうか。
エルトンは、それほどの存在であったのは確かだと思う。
ともあれ、クロコダイルロック。
エルトン・ジョンの最高にご機嫌なナンバー。
https://www.youtube.com/watch?v=xw0EozkBWuI
なお、写真は「クロコダイルロック」が最初に収録された、エルトンのオリジナルアルバム「ピアニストを撃つな」のジャケット。
エルトン・ジョンは、実は1枚もアルバムを持っていないにも関わらず…。
やはりスタンダードは、いつか、どこかで聴いたことがあるものですね。
私のように楽器が満足に出来なくても、カバーしたくなる楽曲こそ、「スタンダード」たる必須条件かもしれませんね(笑)
ところで、ご存知かもしれませんが、エルトン・ジョンは解散後のビートルズ4人全員とステージにてパフォーマンスしている事です。
大変幸運なミュージシャンとも言えます。
特にジョン・レノンとは、「あなたの楽曲「真夜中をぶっ飛ばせ」が全米ナンバーワンになったら、僕(エルトン)のステージにサプライズ・ゲストとして出演してほしい」というエピソードは、大変有名ですね。
そしてエルトン・ジョンによる予言通り、ジョン・レノン「真夜中をぶっ飛ばせ」は全米ナンバーワン爆裂ヒット!!
そしてエルトン・ジョン・コンサート終盤MCにて、「今夜は感謝祭だから、誰か僕と一緒にパフォーマンスしてくれるだろう。
その御方とステージに立てることは本当に名誉なことです。
ミスター・ジョン・レノン!!」
大観衆は割れんばかりの拍手喝采!!
その日、「真夜中をぶっ飛ばせ」の他にも、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド」
※エルトン・ジョンMC「次の歌は、ここにいらっしゃるジョン・レノンとポール・マッカートニーが一緒に作った最高の名曲の1つだよ」
そしてフィナーレは意表突くようなビートルズの中でもオールド・ナンバー「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」
ジョン・レノンMC「今日はエルトン、バンドのみんな、僕を呼んでくれて、ありがとう。
次の歌は、僕の婚約者だったポール・マッカートニーの歌です。
ずいぶん昔の歌だから、上手くやれるか分からないけどね」
そしてノリノリなロックンロールが始まります♪
最後はエルトン・ジョンが「ジョン・レノン!」と叫び、拍手喝采止まぬ中、終演へと…。
音源は残っていますが、映像は本当に残念ながら録画さえされていなかったそうです。
エルトン・ジョンにとって最初で最後となったジョン・レノンとのユニットであり、ジョン・レノンにとっては生涯最後となったコンサートだったのに…(涙)
ノリノリの曲なので、エルトンのコンサートでは必須の曲かもしれません。
成功の度合いという意味では、60年代のビートルズに迫るぐらいの成功を、エルトンは70年代に収めたといえるかもしれません。
エルトンが70年代にアメリカで大成功してる様を、時期的に私は音楽雑誌を通じてリアルタイムで耳にしていました。
ともかく、凄かったんですよ。
エルトンとレノンの交流は今や伝説的ですね。
スーパースターになったエルトンであっても、ビートルズのメンバーというのは、やはりリスペクトの対象だったことでしょうね。
レノンとの共演は、エルトンにとっては、勲章みたいな体験だったかもですね。
きっと、生涯の自慢なのではないでしょうか。
レノンがポールを「婚約者だった」と表現したのは、味がありますね。
あえて自分の曲をやらず(クレジットはレノン&マッカートニーだったけど)、あえてポールの曲を歌ったのは、よほど気に入ってる曲だったんでしょうね。