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子供時代の趣味を大人になっても継続し、それを一生続けられる人というのは、幸せな人なんだろうと思う。
私の子供時代の夢は漫画家になることだった。
授業中には、ノートや教科書に落書きをし、白紙のノートを仮想のオリジナル少年誌に見立てて、掲載漫画も読みモノも全て自分で描いていた。
帰宅すれば、友人に渡された白紙のノートに、オリジナルの連載漫画を描いていた。
2~3冊描いても終わらなかったこともあるのはしょっちゅうで、長いのになると9冊目まで描いても終わらなかったオリジナル漫画もあった。
また、その他に、自分用に白紙ノートを何冊も用意し、色んなジャンルの漫画を描こうとしたこともあった。
漫画を描く趣味は中学になっても続いた。相変わらず級友から白紙のノートを渡されてはオリジナル漫画を描き続けていた。将来漫画家になるという夢はますます膨らんでいた。
だが・・・当時クラスで一大ブームだったビートルズに出会い、続いて吉田拓郎に出会うことで、私の一番の趣味は一変した。
漫画を描くよりも、ギターを手にして、曲を作って歌うことが一番の趣味になってしまった。
それでも、漫画家への夢は完全に消えたわけでもなく、高校に入っては美術部に3年間所属し続けたことでも、絵への夢は継続してはいた。趣味としてたまに漫画も描いてはいた。
だが、それ以上に、音楽への関心は加速していった。漫画を描く時間の何倍もの時間を音楽の方に費やすようになった。
洋楽ロック、邦楽フォークには熱中していた。
で、大学に行くと、もう漫画はさっぱり描かなくなり、趣味は音楽一色になってしまった。
つまり私は、子供時代の夢であった漫画家への夢を、中学から大学までの期間で完全に音楽方面に方向転換したことになる。
昨今、テレビやラジオなどで、プラモデルが大好きな大人のことが取りあげられることが、たまにある。
そういう番組を見たり聞いたりしてると、プラモデルを大人になっても作り続けている人は、子供の頃からプラモが大好きで、しかもそれをブレずに継続させてきてるんだなあ・・としみじみ思ったりする。
私は自分の第一の趣味が漫画から音楽に変わったこと自体は後悔していない。
音楽にハマったおかげでできた友人がたくさんいたから。というか、私が仲良くなる友人は、ほとんどが音楽好きな奴らだった。
音楽のおかげで、辛い思いをしたこともあったが、楽しい出来事も多数あった。
仕事が忙しくても、音楽の趣味が自分の支えにもなってくれた。
そういう意味では、音楽が好きになって本当に良かったと思っている。
だが、その一方で、子供時代に大好きになったプラモの趣味を大人になっても変わらず継続させている人には、一種の敬服の思いを持っている。
で、それってすごく幸せなことだろうなとも思う。
きっとそういう人は一生プラモを愛し続けるのであろう。大半の人が。
となると、子供時代に好きになった趣味を一生貫くことになる。
何気にこれ・・スゴイことだと思う。
プラモは、私も小学生時代は好きだった。
それなりの値段のプラモも数回買ったことはある。
だが、それなりの値段のプラモは、不器用でおおざっぱな私には上手に完成させることができなかった。
やがては、高額なプラモは自分には向いていないと諦め、比較的安いプラモを買うようになった。
比較的安いプラモだと、数日間おやつ代をがまんすれば買えた。それも大きかった。
当時の値段で50円~150円くらいまでのプラモ。
その程度のプラモなら、不器用な私でも無事に完成させることができた。
だが、それらのグレードのプラモだと、高価で本格的なプラモにはかなわない。無事に完成させても、最初は少しそれで遊ぶものの、すぐに飽きてしまったりした。
高価なプラモは、ちゃんときれいに完成したものは、ちょっとした芸術品、手工品にも見えた。
だが、私の作る50~150円クラスのプラモだと、どうしても見劣りして見えた。
そんなこんなで、いつしか私はプラモから離れていった。気がつかぬうちに。
いや、この場合、離れていった・・というより、諦めた・・と書いた方が正しいかもしれない。
大人になってもプラモの趣味を継続させている人は、最初にプラモに出会ったであろう子供時代に、本格的なプラモをきれいにちゃんと完成させることができた人なんだろうなあ。
で、私みたいな不器用な子供には完全に組み立てることができないようなモデルを、しっかり完成させることの楽しさや素晴らしさや、ちょっとした得意感や満足感を覚えることができた人なのではないか。
きっと、プラモ好きだった子供時代の私が、子供時代にそういう友人に出会ったら、おそらく一種の敬服感やリスペクトを持ったに違いない。
子供時代、級友から一目も二目も置かれる子というのは、いくつかのタイプがあった。
例えば・・
1、野球やサッカーがうまい子
2、リレーなどで足が速い子。
3、勉強がよく出来る子。
4、バック転が出来る子。
とまあ、ざっとあげてみたが、他にもあったとは思う。
で、その「他」の中に、少なくても私の中では、プラモを作るのが上手い子も入っていたと思う。
プラモを作るのが上手い子というのは、小学館の学年別学習雑誌の付録でついてくる「ちょっと難しめの、組み立て付録」なども作るのが上手い。
なので、私的には、プラモを作るのが上手い子も、一目置くタイプだったはずだ。
子供世界においても、大概の子は、周りの級友たちから一目置かれたいという気持ちはある。
私はきっと、漫画が描けるということで級友から一目置かれる存在になりたい・・という気持ちがあったのかもしれない。
もっとも、漫画を描いてはいたけど、それで私は級友から一目置かれていた実感は全くないが(笑)。
そう、漫画を描けるということでは、私の時代では一目置かれるタイプにはなれなかった覚えは・・ある。
まあ、今は、どんな特技もレベルが上がり、今漫画を描くのが上手い子は、昔漫画をよく描いていた子の絵のレベルよりも上であろう。
だから、今は漫画を描くのが抜群に上手い子は、級友たちから一目置かれる存在になっているのかもしれないが。
・・というか、そうであってほしい・・・そんな思いが、私の中にはある。
きっと、そんな子は、一生漫画を描き続けることができるのかもしれない。
プロの漫画家になるかならないかは、ともかく。
ともあれ、子供時代の趣味を一生持ち続けることができる人というのは、私は敬服してやまない。
今も。
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