大学時代、私は音楽サークルにはいっていた。
サークルには、バンド活動してるものもいれば、ソロで活動してるメンバーもいた。
ソロで活動してる部員にとっては、月に1回の定例発表会が主な活動の場であった。
バンドで活動してるメンバーにとっては、定例発表会よりも、バンド練習も主な活動の場であった。
バンドの練習場所は、空いてる教室だった。夕方以後になると、学校の授業も終わり、教室は空いてたから。
とはいえ、空いてる教室であれは、どの教室も好き勝手に使えるわけではなかった。
校内にはいくつものサークルがあったし、サークルごどに使える教室は割り振りされていた。
で、私のサークルに割り振りされていた教室を、部員が曜日ごとに使い分けていた。
何曜日が誰それのバンドの利用日…という具合に。
利用できる時間は、夜8時くらいまでだったと思う。
で、夜8時までバンド練習したあと、機材を片付け、帰路につく。
だが、そのまままっすぐに帰宅してしまうのは、どうも物足りない。
学校の門を出て、駅まで皆で歩いてゆく。
その途中に、交差点があった。
するとその交差点のあたりで、なんとなく皆立ち止まる。
そして、誰とはなく、こんな会話が出てくる。
「今日はこのあとどうする?」
要するに、そのまますぐに帰宅してしまうのがもったいないというか、物足りないのだ。
で、誰かが「ようし、今日はあの店で1杯」と言い出すのを待つ。
私が言い出すこともあったが、毎回同じ奴が言い出すのも気が引けた。
誰もその後の飲み会を提案しないと、仕方無しに駅に向かうことになる。
それでもまだ誰かが飲み会を提案するのを、待ってはいる。
でも、誰も結局言い出さないこともあった。それは皆、懐事情のせいもあった。誰も手持ちの金が少ないと、飲みに行けない。
誰かひとりでも懐事情が良い奴がいると、そいつに引っ張られて飲みに行く口実になった。
飲みに行ったとしても、誰かひとりの奢りになるわけではなく、なけなしのお金を出しあって飲んだ。小遣いがへるのがわかってるにもかかわらず。
ただ、毎回毎回練習が終った後に飲みに行ってたら、貧乏学生としては金が続かない。
だから、飲みに行かない日というのも必要だった。とはいえ、バンド練習の後って、飲みに行きたいものだった。
そのへんの葛藤があった。
毎回行くと金が続かなくなるが、サークル活動終了後の心地よい疲れと余韻を部員たちと共有したい。だから、誰かが「行こう」と言い出してくれると、飲みに行く口実にできる。
こんな流れで、バイト代はほとんど飲み代に消えていたのが私の大学時代の日常だった。
ほんと、友人や後輩たちと飲むためにバイトをしていたようなものだった。
本当は欲しい楽器もあったし、旅行だってしたかったのに。
学生時代にバイトをしていた人は多いはず。
当時私は自宅住まいだった。家から大学まで片道50分くらいだったから、1人暮らしをする必要がなかった。
本当は1人暮らししたかった。地方から出てきた友達が学校近くで1人暮らししてるのが羨ましかった。
学生街は物価も安かったし、飲食店も豊富だったし。友達も気軽に泊めることもできたし。
だが、片道50分くらいの距離では、1人暮らしを親に頼むわけにはいかなかった。
だが、自宅暮らしだったから、バイト代はもっぱら自分の楽しみのために使えた。奨学金もなかったし、部屋代などに消えることもなかった。
そのへんは恵まれていたと思う。
バイトは週に何日も入れてたにもかかわらず、バイト代はほとんど飲み代に消えてただなんて、いったい当時自分はどれくらい飲みまくってたんだ?と、今さらのように思う。
いくら飲んべえの友達や後輩がまわりに何人もいたにしても‥‥である。
学生たちの中には一生懸命バイトして得た金を、学費にまわしたり、部屋代にあてたりしていた人もいたのではないかと思う。
バイト代の使い道は、人それぞれだったと思うし。
そんな人に比べたら私など贅沢だったと思うし、なにやら申し訳ないとも思う。
あなたは学生時代に得たバイト代を、学生時代にどう使っていただろうか。
今は我が家にスタジオがあるので、ダンナのバンドはそこで、私も歌の練習しています。バイト代はスタジオ代とやはり飲み代に消えましたわ。まあ楽しかったから良いけど。
私のサークルでは、空いてる教室でのバンド練習が可能でした。
練習スタジオ借りると、余分な出費がでますので、貧乏学生としては、そんな金があったら飲みたい!そんな心境でした。
そう、スタジオ代って、バカにならないんですよね。
家に倉庫があったのですか?
それは羨ましい!
今のたいぴろさんの家にもスタジオがあるんですか?
それも羨ましい!
我が家にはそんなスペースないです・・・。
バイト代は、私は飲みに消えてたので、すこしは旅行とか楽器代に使いたかったです。