時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

ダウンロードで済ませて、いいのかなあ? 

2008年05月08日 | 音楽全般

学生時代、貧乏学生にとっては、新譜の洋楽アルバムはそうそう何枚も買えなかった。
そんな時に強い味方だったのが中古盤だったのだが、こと新譜となると中古盤では中々入手できない。
そんな時に、「ある程度の味方」になってくれたのが輸入盤だった。
当時、LPレコードの新品は2500円前後したのだが、輸入盤だと1500~2000円の間が相場だったと思う。

だが、どうしても国内盤で欲しいのもあった。
私は、洋楽アルバムを買う時、国内盤で買うか輸入盤で買うかは、基準をつけていた。
ディランのように訳詞が読みたい「特別なミュージシャン」のアルバムは国内盤で、サウンド優先のロック、ジャズやフュージョンなどのインストものは輸入盤。
あと、コンセプトアルバムみたいになっているアルバムを買う時は国内盤。解説を読みたいからだ。

だが、あまりにも欲しいアルバムがたくさんある時は、国内盤が欲しくても輸入盤ですませることもあった。
でも、シンガーソングライター系のアルバムを輸入盤で買ってしまうと後悔することは多かった。
シンガーソングライターのアルバムは、訳詞を読みたくなったからね・・。
サウンド優先のロックのアルバムは輸入盤で買っても我慢できた。

その後時代は変わり、今ではダウンロードで済ませ、アルバムが売れないケースが多くなってきている。
アルバムまるごとのダウンロードはさておき、もしも、1曲づつのダウンロードでの入手が主流になっていくと、コンセプトアルバムなんて作りにくくなっていくのだろうね。
「サージェントペパーズ」や「スマイル」「デスペラード」みたいなアルバムは、出て来づらくなっていってしまうような。
そのうち、アルバムそのものの存在価値も・・。

そうなると、大昔のシングルレコード全盛の頃のような感じになっていくのだろうか。
出す曲は、ヒット狙いの曲中心になって。
ミュージシャンの曲には、ヒット曲もあれば、アルバムの中の1曲・・なんてのもある。
アルバムの中の1曲のうち、どの曲が好きか・・で、リスナーの個性やセンスが出たりするものだ。
また、アルバムの中の1曲で、そのミュージシャンの趣向がよくでてる場合もある。ヒットした曲よりもね。
曲によっては、その曲はそのアルバムのその位置に収録されてるから意味がある・・そんな曲もあるんだ。
アルバム製作スタッフ側は、どの曲をどの位置に配置するかで神経を使ったはずなのだが、1曲づつダウンロードの時代になっていくと、そういうのもあまり意味がなくなってきそうで、アルバムで育った私としては寂しいものがある。

ミュージシャンの楽曲の入手方法がダウンロード主体になっていくと、国内盤で買うか輸入盤で買うか・・という選択も、意味の無いものになっていくんだろうね。

でも・・それでいいのだろうか?
ファンの人。そして、作り手ミュージシャンの皆さん。
そして、レコード会社の人。

好きなミュージシャンの曲って、単に音源を持ってれば事足りる・・というもんじゃないような気がするんだ。

アルバムには、楽曲の配置、アルバムの構成やテーマ、ジャケットデザインなどにミュージシャンのクリエイティブな意図やアイディアが盛り込まれている。時には、写真集やポスターなどのお楽しみもパッケージされている。更にいえば、ジャケットの形状や紙質にまでミュージシャンの意図が反映されてることもある。
ミュージシャンにとっては、アルバムというのは、それら全てをひっくるめての「表現」「作品」であったとも思うのだ。
国内盤にいたっては、さらに解説や訳詞、それに帯などの楽しみも加わり、「持ってて楽しい」存在である。ありがたい存在でもある。
宣伝的にも、解説書(ブック)などに、そのミュージシャンのディスコグラフィを載せることで、過去のアルバムへの購買欲をそそらせる効果もある。

でも、ダウンロード主体になっていくと、そういう付加的な楽しみは無いのでは。
なんか、味気ないような気が・・・しないかい?
ミュージシャンのクリエイティブな部分を狭めるような気もする。

私が十代の頃は、ダウンロードに近いものは無いことはなかった。
ラジカセだった。
お気に入りの曲がラジオの番組で流されそうな時は、ラジカセの録音ボタンをいつでも押せるようにして待っていた。
外出する時は、オーディオセットの中にあるチューナーやカセットデッキでタイマー録画などを利用した。
そうすれば、お気に入りの曲をカセットテープに録音して保存しておくことができ、高いアルバムを買わずとも音源だけは持つことができた。
だが、それはあくまで「仕方のない手段」だった。
お小遣いが足りなくて、欲しいレコードをあれもこれもは買えなかったからね。

でも、録音したカセットは、いつかアルバムを買うための「デモンストレーション」盤でしかなかったような気がする。
ダウンロードと違って、ラジカセでエアチェックするのは、無料だったからね。
本当に気に入ったものは、お小遣いをためてアルバムとして買い直した。
ディラン、ツェッペリン、ニール・ヤング、レノンやマッカートニーのソロ、その他たくさん。

やはり、アルバムとして「ジャケットごと、ちゃんと持っていたかった」からだ。アルバムを持ってこそ、そのミュージシャンの作品の完全版を入手できたような気がした。
ダウンロードだと、同じ楽曲であっても、そのミュージシャンの作品の一部を入手しただけのような気がしてならない。
そう「一部」をね。
だから、そのミュージシャンが本当に表現したかったものの全体像や意図、クリエイティビティが見えてこない気がする。
これって・・リスナーよりもミュージシャン寄りに立った意見すぎるのだろうか・・。

どうも、そのへん、スッキリしないし、釈然としないものを感じてる・・。


こんな考え方を「時代遅れ」とみなすのなら、私は「時代遅れのオヤジ」でもいいや。

まあ、ダウンロードの手軽さは、確かに強力ではあるとは思うんだけどネ・・。


なんか、最近、円周率のように割り切れないことが多すぎる(笑)。


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