2012年も押し迫り、今日、テレビで寂しいニュースを見た。
巨人軍やヤンキースで活躍した松井秀喜選手が現役引退を表明したのだ。
正直、ここ数年の松井選手の情報を知るたびに、ある程度の予感はあった。
スポーツ選手には、いずれ引退の日はくるものだし、それは松井選手とて例外ではない。
ヤンキースを退団してからは、かつての大活躍ぶりは影を潜めていたし、もうすぐ引退の可能性はあると覚悟はしてた私だったが、こうしてそれが現実のものになってしまうと、やはり寂しい。
思えば・・彼が巨人軍に入団した年。
その夏のある日、私は町田の居酒屋で深夜3時くらいまで飲んでいた。
松井選手は夏頃になると、プロの水になれてきたのか、ガンガン打ち出した。
前年まで高校生だった若者が、いきなりのあの活躍。
酒席で、松井選手の話が出たのだが、私たちの会話を聞いていた店の主人が「今日も打ちましたよ!」と言って、会話に混ざってきたのだ。
高校を出たばかりでこんな活躍できるなら、この先どんなスゴイ選手になっていくだろう・・そう思うと楽しみで仕方なかった。
巨人軍は、ON、そして原辰徳以来の生え抜きの若手の「不動の4番バッター」を手に入れたように思えた。
ドラフトでとれなかった清原選手という大砲に、巨人はコンプレックスを持ってるように見えたのだが、それが松井選手の加入で、一気に解消されたようにも思えた。
そして、案の定。松井選手は日本を代表するスラッガーに成長していった。
その後、巨人を退団し、ヤンキースへ。
まさに名門チームから名門チームへ。
ヤンキースに入団しても、いきなりの活躍をしてくれた。
そしてクライマックスは、ワールドシリーズでのMVP。
栄光の野球選手だったと思う。
巨人に入団してから、もう20年もたっていたのか・・。
つくづく、時間の経過は早い。
彼の引退会見での言葉は、けっこうグッときた。
高校時代の連続敬遠、巨人入団、巨人での様々な活躍、ヤンキース入団、ワールドシリーズMVP・・などなど、印象に残った場面や時代はたくさんあっただろう。
その中から、もっとも印象深かったこととして、巨人入団して当時の長島監督につきっきりで指導されたことを、彼は挙げた。
また、自分の野球選手生活を振り返って、言った言葉も染みた。
それは「もっといい選手になれた(はず)」という言葉。
思えば、彼が巨人に入団したとき、王選手の通算ホームラン記録を塗り替える可能性があるのは松井選手だけだ・・・と評価されたものだ。
そして本人は・・密かにそれを目標にしていたんじゃないかなあ。
それほどの高みを彼は目指していたんだと思う。
また、実際にそれが夢ではないほどの素質も実力も可能性もあったと思う。
努力もしたはずだ。
そんな彼が言った「もっと、いい選手になれた(はず)」という言葉には、夢や理想と現実の違い、思うようにならない無念感、など様々なことを思わされた。
説得力もあったし、重みもあったし、無常感、終焉感、ほか。
彼ほどの選手が言うからこそだ。
正直、松井選手の引退は悲しいし、寂しい。
私個人的なわがままを言わせてもらえば、一度でいいから、WBCで日本代表選手のチームに入って、世界戦で大活躍する松井選手を見てみたかった。
イチロー選手、松坂選手、ダルビッシュ選手などと一緒のチームで。
あと何年後になるかわからないが、テレビやCMなどの企画で、歴代の名選手による夢の日本代表チームで、イチロー選手や松坂選手やダルビッシュ選手などと共に野球をする姿を、見せてもらいたい。
その時は、松井選手はもうかなりの年齢になっているはず。
当然若いころのようには体は動かないだろう。
それでもいい。
楽しく野球をやってくれれば。
1ファンとして、かなえられなかった「夢の日本代表チーム」の4番としての姿を見てみたい。
今は
ただ
松井秀喜選手、お疲れさまでした。
今はゆっくり休んでください。
プライドを大事にして潔く引退した松井選手の心情に、私は心から拍手をおくりたい。
今も目をつぶれば、・・・・・松井選手がプロ入りして初めてのキャンプでの打撃練習を、かけつけた野球解説者たちが見て、皆がそろって感嘆し、どれほどの輝かしい未来がヤング松井選手に広がっているんだろう・・・と期待した私のワクワクを思い出す。
あの頃は私も・・・今より20年も若かった。