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曲を作る場合、その時に自分が住んでる場所、環境は、作る曲にかなり影響を与えると思う。
高校の頃私が郊外に住んでた時に作ってた曲を今振り返ると、けっこう自然風景や田舎の風景が歌詞に反映されていたと思うし。
山、山のお寺、広い空、などなど。
歌詞に自然風景が出てこない曲であっても、歌詞の世界観のバックボーンには、郊外の自然風景があったと思う。
たとえ無意識であったとしても。もちろん、意識的だったこともあった。
しかも、その時期は多感な時期であったし、その時期にいた環境から感じたものというのは、ベーシックなものとして私の心の中にインプットされてると思う。
都心に暮らすようになっても・・・である。
もちろん、都心に暮らすようになってからは日常の中で出来る歌のバックボーンには都心の環境があるのではあるが、かといって高校の時の環境から感じたものは確実に心の中にインプットされてるので、それが完全になくなることはない。
ふとしたはずみで、そういうのが首をもたげて、できる歌もある。
そういう意味じゃ、多感な時期に、自然風景がけっこう残された場所で暮らしたことは、今の私の中ではけっこう大きなものとして残っている。
感性とか、歌のバックボーンという意味で。
高校時代に書いていた作詞ノートを見返したりすると、当時書いた歌詞のかなりの部分に当時の郊外の景色が反映されているのがわかり、その作詞ノートは、ちょっとした「日記」みたいにも見えたりする。
で、当時の歌詞を見てると、当時の環境にあった自然風景が浮かんできたりする。
そう、歌詞の舞台は郊外の景色だったのだ。
一方、都心に越してきてから作った歌詞の舞台は、町だったりする。
まあ、それは作者だからそう感じるのであって、第3者が連想するものとは違うだろう。
第3者がリスナーということなら、それぞれのリスナーなりのイメージを持って聴けばいいわけで、そこが歌のいいところ。
同じ歌でも、リスナーそれぞれ連想するものは違うからね。
再び都心で暮らすようになってから作った歌の中には、郊外の景色を意識的にイメージして作ることもたまにあるが、そんな時イメージの中に出てくる郊外の風景は、実際に私が郊外で暮らしていた時に見ていた郊外風景だったりする。
そういう意味では、やはり自分の過ごしてきた環境は、記憶として頭の中に残っていて、曲を作る場合の重要な要素になっている。
郊外の景色、田舎の景色がバックボーンになっている自作曲の中では、例外もあって、昔自分が住んで見ていた郊外の景色とは別の田舎風景が出てくる歌詞もある。
それは旅歌である。
実際に旅行に行って、現地で見た風景というものも、私にとっては歌詞作りの重要な要素であり、そんな時はかつて私が住んでいた郊外の景色では見られなかった風景が歌詞に描かれることになる。
バリエーションのひとつとして自分の中では大事。
だから、旅行というものは、私にとって曲作りの面でも大きかった。
景色・・・というものは、歌詞を書く場合、私にとってはとても大きい。
時には、感情をあまり入れず、景色のスケッチを主体にした歌詞を書くこともあるから。
日本全国を制覇旅行された、だんぞうさんならではの「日本を駆け巡って…」など、総括的な作詩も出来そうですね。
実際の風景が心情に影響を与え、作詞に影響を与えることは、間違いなくあります。
華やかな大都会を「美しい」と思えば詞になり、鄙びた田舎に情緒を感じれば詞になるでしょう。
一切、人間が登場しない、謂わば「山水詩」のような楽曲も聴いてみたいですね。
普段は見れない景色を見ると、その風景からは新鮮な思いがわきあがってきることがありますし、素晴らしい景色には感動しますし。
感動することって、曲を作る時に大事なんだと思います。
逆に、感動できる心や感性をなくしてしまったら、曲なんて作れなくなると思います。
人間が登場しない、風景描写だけの歌詞も私の中にはありました。