時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

人体模型は、ブキミながらも切なかった。

2007年06月27日 | 懐かしい系、あれこれ

昼間、会社で人体構造の話になった。
あれこれ話すうちに、私は人体模型のことを思い出してしまった。

あなたは人体模型を覚えているだろうか。ほら、学校にあったでしょう?
自慢できることではないが、私は小学生の頃、人体模型が怖かった・・。

ここでいう人体模型には2種類ある。

1つは、理科室などにあった、子供と等身大の人体模型。
たいがい、頭から腰下あたりまでの模型で、お腹の皮膚が除かれ、多少お腹がくり抜かれて、内臓がどのようになっているのかが一目瞭然になっていたヤツだ。
腰から下は、1本の棒のようになっていた・・・と思う。なにぶんその辺は記憶がおぼろげなので、もし勘違いがあったならゴメンナサイ。

頭は、普通の頭(たいがい男子だった)のタイプもあれば、皮を剥ぎ取られ神経や筋肉がむきだしになっているタイプだったりもした。
どっちのタイプも嫌だった。

夜になるとこの人体模型は校舎の中を歩いているんじゃないか・・とか、夜は誰もいない暗がりの理科室の中で,アゴを上下に動かしながら、目が光って、首を左右にまわしながら、辺りの様子をジロジロ見てるんじゃないか・・で、そんな人体模型と目が合ってしまったら・・・とか、空恐ろしい光景を想像しては、トイレに行くのが怖くなったりもしてたっけ。


幸か不幸か、私は夜の学校に行ったことはない。
仮に行ったとしても、理科室だけは絶対に行きたくなかっただろうなあ(ついでに言えば、音楽室にも夜は行きたくない。よくあるでしょ、誰もいない夜の闇の中の音楽室からピアノを弾く音が聴こえる・・・そんな話を。だから、イヤ。)。

よく考えたら、ああいう風に内臓がむきだしにされたまま生きて動くことなど、ありえない話だろう。
でも、理科室の人体模型は、妙にリアルであり、なんかの魂が乗り移っているような気がしてた。
だからこそ、怖くて、気持ち悪くもあった。
・・・でも、どこか切なくもあり、悲しい存在でもあった。
内蔵をむき出しにされて見世物みたいになってるような感もあったからね、彼には。


さて。
で、もう1つの人体模型とは。
それは小さなサイズのもので、家庭用だった。
私のおぼろげな記憶では、それはプラモデルのようでもあり、白っぽく、透明。
だから、人体の内部が透けてみえるヤツだった。
それを持ってたのは、私のまわりでは、クラスメートの「T君」だけだった。


当時よく遊んだ、T君の家は、薄暗がりの路地裏にあった。
アパートだった・・と思う。
部屋は2部屋で、暗い階段を登りきった場所に、部屋はあった。
何度も彼の家には遊びに行ったのだが、親の姿は一度も見た事が無い。行くと、いつもT君1人が家にいた。

一人っ子だったんじゃないかな。

階段や廊下同様に、部屋の中はいつも薄暗かった。
路地裏にあるアパートで、隣の建物に遮られて、陽は差し込まなかったから、なおさら暗く感じた。

彼の家に遊びにいくと、人体模型が大事そうに目立つ場所に置いてあったもんだから、否応無しにその存在が気になった。

で、時々は私もその人体模型を手にとってマジマジと見たもんだった。
怖かった。気持ち悪くもあった。
ならば見なきゃよさそうなもんであるが、そんな人体模型を持ってるのはT君だけだったので、物珍しさもあった。
実をいうと、T君の家に遊びに行く時は、その人体模型に会えるのが密かに楽しみでもあった。

そのくせ、彼の家から帰る時に、薄暗がりの階段を降りてる途中で、その人体模型が目を光らせて私の後を追ってくるような気がして怖かった。

怖いくせに、それを見に行くのが少し楽しみ・・で、帰りの道では、「やっぱ見なきゃよかった」なんていつも思ってた。
このへん、私は矛盾の固まりであった(笑)。


思うに。
あのT君の持ってた人体模型はけっこう高かったのではないだろうか、
なにしろ、よく出来ていた。リアルだった。だから余計にブキミではあった。

けっこう高価な模型に思えた。高価な人体模型を持ってたってことは、あの模型はT君にとっては相当な宝物であったろう。


昼なお暗く、なおかつ狭い部屋の中で、1人であの人体模型を大事にしながら過ごしていたのかもしれなお少年T君のことを思い出すと、切なくなってくる私である。
あの暗く狭い部屋の中で、あの人体模型は彼の寂しさを紛らわせてくれてたのかもしれない。

その後彼がどうなったか気になる。
残念ながら彼とは小学校卒業以来会っていない。
彼、医者にでもなったのかなあ。あるいは科学者にでもなったのかなあ。


ともあれ。
今回ネタにしたのは、私にとって忘れられない、2種類の人体模型。
理科室の人体模型には、少年に妄想を膨らまさせ、空想力を刺激し、得体のしれないブキミさ&怖さを。
家庭用の透明のミニサイズ人体模型には、怖さの裏に隠れた切なさを。
・・・それぞれ感じてしまった。

今でもあの2種類の人体模型の強烈な印象は、私の心の片隅に残っている。

皆さん、理科室などにあった人体模型、妙に空想をかきたてられ、不気味じゃなかったですか?








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