今回のネタは、以前発表した「ボクらの秘密基地」の続編のような内容になっています。
私が小中学生の頃に住んでた家の隣の家は豪邸だった。
工場の社長さんの家だったようだ。
広い庭には木々が生い茂り。
家の裏手には空き地が広がり。
居住空間である家は、木々の生い茂る庭の奥の方に、木々に隠されるように存在し。
広い敷地は、高い垣根の塀で隠され。
おかげで、その家は少年だんぞうにとっては、格好の遊び場所だった。
無断でその庭に入ったり、塀の上に登ったり、空き地に秘密基地を作り。
良い遊び場ではあったのだが、庭の一角にブキミな箇所があった。
それは防空壕だった。
防空壕。
戦時、敵機が来襲した時などに、住民が避難するための場所。
いわば、戦争の爪痕であり、名残でもある。
そんなのが、私の少年時代には、家の近くに残っていた。
おそらく戦時中は、あちこちにあったのだろう。
でも、戦後復興の際に、次々と姿を消していったのだろう。
私の家の隣にあった防空壕は、隣の金持ちの家族だけが避難できる、専用のプライベート防空壕だったのだろう。
だから、戦争が終わっても、ある程度放置されたままだったのだろう。
辺りは木々でおおわれ、雑草も生え放題で、雑草の中にはなぜか石の柱みたいなものが3~4本横向きで積み上げられていた。
騒がしい都心の中で、そこは異空間だった。空気が違う感じがした。
まるで、木々や雑草や、積み上げられた石柱などに隠されるように、その防空壕はひっそりと存在していた。
木々で隠されて太陽光線があまり差し込まない、昼なお薄暗い場所に、忘れられたように、あった。放置されていた。
まさに、荒れ果てた、昭和の遺物でもあった。
まあ、防空壕は、その意味合いからいって、目立つ所にあっては意味が無い。
だから、そんな環境の中に存在するのは、当然だったのだろう。
近づいて見てみると、それは一種の洞穴だった。
とはいえ、中はそんなに深くなさそうだった。
人が3~4人が入れるくらいの規模だったようだった。
これは推測である。
というのは、実際に入って確かめたわけじゃないからだ。
私が生まれた頃は、戦争はとっくに終わっていた。
だから、私が子供の頃は、この防空壕はすでに閉鎖されていた。
ちゃんと扉も設置されて閉められていた。その外観は、ちょっとした牢屋のようにも見えた。
子供心に私はこの防空壕に、一種のブキミさを感じていた。
だから仮に入れたとしても、入ろうとはしなかっただろう。
なぜブキミに感じたのかは分からない。直感だった。
ただでさえ薄暗い場所にあるのに、中はまったくの暗闇に思えたからだ。
禁断の空間がそこに隠れているような気もした。
「この中には何が入っているのだろう。もしや人骨でも入っていたら・・・」
「もしや、何か隠されているものがあるかもしれない」
「叱られてここに閉じ込められたら、どうしよう」
とか想像すると、空恐ろしかった。
色々想像を駆り立てるものがあった。
閉鎖のために使われてる古ぼけた鉄の扉は錆びて、それはなおさらブキミさを助長させていた。
でも、ブキミではあっても、秘密めいたその存在は、どこか少年だんぞうの冒険心もくすぐってはいた。
もしかしたら宝箱があるかもしれないではないか。
あわよくば古銭でも落ちてるかもしれない。
エッチな本があったら、どうしよう(笑)。
そんな思いも心のどこかにあったからだ。
だが、やっぱり、ブキミさの方が勝っていた。
かつては命の格納庫であったはずだが、戦後になって世の中から取り残されて、打ち捨てられた存在のその防空壕は、どこかあわれでもあった。
さきほど「中には宝箱があるかもしれないではないか」と書いたが、現実にはおそらく中は空洞のままか、ゴミでも捨てられてるか、良くてせいぜい物置きにされてるだけだっただろう。
ただ、朽ちてはいたが、何とも言えぬ存在感はあった。
無言の存在感だった。
無言だからこそ、何か語っているようでもあった。
その後、この防空壕のあった場所は整地されて、やがては大きなマンションが建った。
そのマンションは今でもそのままだ。かつて戦火から人の命を救うための存在だった防空壕は、マンションに踏みつけられているってわけだ。
おそらく、マンションの住民は、自分らの住んでる場所の地下に、かつて防空壕があっただなって、知る由もないだろう。
今や世の中はなにやら物騒な流れの中にある。
できれば、防空壕が再び必要になる時代にはなっていってほしくない。
防空壕を思い出すたびに、そんなことを思ってしまう。
災害などから身を守るための存在になるなら歓迎したいけど。
そんなことを思いながら、なにげに私はカレンダーを見る。すると。
今年ももうすぐ終戦記念日がやってくる。あたかも、スケジュールのように。
終戦記念日が真の意味で終戦記念日になる日は、いつのことだろう。そんな時代はいつやってくるのだろう。
私が小中学生の頃に住んでた家の隣の家は豪邸だった。
工場の社長さんの家だったようだ。
広い庭には木々が生い茂り。
家の裏手には空き地が広がり。
居住空間である家は、木々の生い茂る庭の奥の方に、木々に隠されるように存在し。
広い敷地は、高い垣根の塀で隠され。
おかげで、その家は少年だんぞうにとっては、格好の遊び場所だった。
無断でその庭に入ったり、塀の上に登ったり、空き地に秘密基地を作り。
良い遊び場ではあったのだが、庭の一角にブキミな箇所があった。
それは防空壕だった。
防空壕。
戦時、敵機が来襲した時などに、住民が避難するための場所。
いわば、戦争の爪痕であり、名残でもある。
そんなのが、私の少年時代には、家の近くに残っていた。
おそらく戦時中は、あちこちにあったのだろう。
でも、戦後復興の際に、次々と姿を消していったのだろう。
私の家の隣にあった防空壕は、隣の金持ちの家族だけが避難できる、専用のプライベート防空壕だったのだろう。
だから、戦争が終わっても、ある程度放置されたままだったのだろう。
辺りは木々でおおわれ、雑草も生え放題で、雑草の中にはなぜか石の柱みたいなものが3~4本横向きで積み上げられていた。
騒がしい都心の中で、そこは異空間だった。空気が違う感じがした。
まるで、木々や雑草や、積み上げられた石柱などに隠されるように、その防空壕はひっそりと存在していた。
木々で隠されて太陽光線があまり差し込まない、昼なお薄暗い場所に、忘れられたように、あった。放置されていた。
まさに、荒れ果てた、昭和の遺物でもあった。
まあ、防空壕は、その意味合いからいって、目立つ所にあっては意味が無い。
だから、そんな環境の中に存在するのは、当然だったのだろう。
近づいて見てみると、それは一種の洞穴だった。
とはいえ、中はそんなに深くなさそうだった。
人が3~4人が入れるくらいの規模だったようだった。
これは推測である。
というのは、実際に入って確かめたわけじゃないからだ。
私が生まれた頃は、戦争はとっくに終わっていた。
だから、私が子供の頃は、この防空壕はすでに閉鎖されていた。
ちゃんと扉も設置されて閉められていた。その外観は、ちょっとした牢屋のようにも見えた。
子供心に私はこの防空壕に、一種のブキミさを感じていた。
だから仮に入れたとしても、入ろうとはしなかっただろう。
なぜブキミに感じたのかは分からない。直感だった。
ただでさえ薄暗い場所にあるのに、中はまったくの暗闇に思えたからだ。
禁断の空間がそこに隠れているような気もした。
「この中には何が入っているのだろう。もしや人骨でも入っていたら・・・」
「もしや、何か隠されているものがあるかもしれない」
「叱られてここに閉じ込められたら、どうしよう」
とか想像すると、空恐ろしかった。
色々想像を駆り立てるものがあった。
閉鎖のために使われてる古ぼけた鉄の扉は錆びて、それはなおさらブキミさを助長させていた。
でも、ブキミではあっても、秘密めいたその存在は、どこか少年だんぞうの冒険心もくすぐってはいた。
もしかしたら宝箱があるかもしれないではないか。
あわよくば古銭でも落ちてるかもしれない。
エッチな本があったら、どうしよう(笑)。
そんな思いも心のどこかにあったからだ。
だが、やっぱり、ブキミさの方が勝っていた。
かつては命の格納庫であったはずだが、戦後になって世の中から取り残されて、打ち捨てられた存在のその防空壕は、どこかあわれでもあった。
さきほど「中には宝箱があるかもしれないではないか」と書いたが、現実にはおそらく中は空洞のままか、ゴミでも捨てられてるか、良くてせいぜい物置きにされてるだけだっただろう。
ただ、朽ちてはいたが、何とも言えぬ存在感はあった。
無言の存在感だった。
無言だからこそ、何か語っているようでもあった。
その後、この防空壕のあった場所は整地されて、やがては大きなマンションが建った。
そのマンションは今でもそのままだ。かつて戦火から人の命を救うための存在だった防空壕は、マンションに踏みつけられているってわけだ。
おそらく、マンションの住民は、自分らの住んでる場所の地下に、かつて防空壕があっただなって、知る由もないだろう。
今や世の中はなにやら物騒な流れの中にある。
できれば、防空壕が再び必要になる時代にはなっていってほしくない。
防空壕を思い出すたびに、そんなことを思ってしまう。
災害などから身を守るための存在になるなら歓迎したいけど。
そんなことを思いながら、なにげに私はカレンダーを見る。すると。
今年ももうすぐ終戦記念日がやってくる。あたかも、スケジュールのように。
終戦記念日が真の意味で終戦記念日になる日は、いつのことだろう。そんな時代はいつやってくるのだろう。