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アメリカのサザンロックの雄、オールマンブラザーズバンド。
特に70年代に大活躍したバンドだ。
学生の頃、私の大好きだったバンドのひとつ。
日本には何度か来ている。
だが、私はオールマンの来日公演にはまだ行ったことがないままだ。
というのは、私にとってのオールマンズは、やはり・・・かつての花形ギタリストであり、その後伝説となったギタリストであるデュアン・オールマンの存在が大きいからかもしれない。
もっとも、そのデュアンは、私がロックに凝った頃にはすでにこの世にいなかったのだから、デュアンの不在は仕方ないことではあるのだが。
私がデュアンの名前を知ったのは、エリック・クラプトンの名作アルバム「レイラ」でだった。
エリックにその腕を買われたデュアンは「レイラ」のセッションにスタジオギタリストとして呼ばれ、アルバムのほぼ全編で大活躍していたのだった。
特に表題曲「レイラ」でのデュアンのプレイは特筆ものだった。
スカイドッグという異名をとったデュアンだったが、その由来は、そのプレイが「空を駆ける犬」のようだと形容されたかららしい。
「空駆ける」というのはなんとなく分かるにしろ、なぜ「犬」なんだろう・・・という素朴な疑問を私は持ったが、少なくても「レイラ」でのデュアンのフレーズは特に高音部で「空を駆ける」と表現された理由がわかるようなプレイだった。うなりをあげて、飛翔しているようなプレイだった。
なんでも、デュアンとエリックの共演が実現したのは、エリックがデュアンに惚れこみ、共演を熱望したからだったという。エリックのデュアンへの思いは相当なものだったらしく、エリックはデュアンをそのまま自分のバンドに引き抜こうとしていたらしい。
ただ、デュアンはあくまでもオールマン・ブラザーズを去ることはなかった。
後年、エリックはインタビューの中で、デュアンのことについてしみじみ語っている。
「僕と彼(デュアン)は、生まれ育った場所は違うけど、互いに同じような音楽を聴いて育ってきた。その意味じゃ、僕らは、出会う前から知り合っていたんだ。僕と彼は兄弟みたいなものだった。」と。
さて。
そのアルバム「レイラ」を聴きまくっていた時、同時に私は、当時買ったロック書籍でもデュアンのことを知った。
その本はロック関係の記事を集めた本で、ほとんどは「読み物」だったのだが、中に1作だけコミックが掲載されていた。
そのコミックは、オールマンブラザーズのことを描いたコミックだった。
コミックの中で、デュアンのプレイはエリック・クラプトンを驚かせた・・と、デュアンの弟であるグレッグが語っているシーンがあった。
「レイラ」での実際のプレイ、そしてコミックなどから、私はデュアンに関する興味が抑えられなくなり、デュアンのいた頃のオールマンズのアルバムを買い集め、聴きあさった。
ついでに、デュアンがスタジオミュージシャンとして活躍していた頃の音源を集めた「デュアン・オールマン・アンソロジー」というアルバムも入手。
そのアンソロジーは2種類あり、どれもが2枚組。都合、LPで4マイ分の音源が収録されていた。
さらに。
デュアンの名演奏が聴けるアルバムとして、ボズ・スキャッグスのデビューアルバムも入手。
いやはや、この当時の私は、デュアンにハマりまくっていたのだ。
デュアンの数ある名演の中でも、特にオールマンズの「フィルモアイーストライブ」には熱中した。
そのライブ盤の1曲目「ステイツボロ・ブルース」でのデュアンのスライドギターには、完全にノックアウトされた。
ともかく、素晴らしい。グレッグのボーカルと、デュアンのスライドギターが掛け合いのように歌う個所は絶品だ。
デュアンのスライドは、時にハーモニカのようにも聴こえる。歌心あふれるスライドギターだ。
おそらく、この曲でのデュアンのプレイを聴いて、スライドギターを始めたギタリストは世界中に多くいるのではないだろうか。
この曲を聴くたびに、デュアン・オールマンを生で見てみたいと思ったものだった。
だが、そのアルバムを私が入手した頃は、とうの昔に・・その何年も前にデュアンは故人になっていた。だから、いくらデュアンを見たいと思っても、それは永遠にかなわない夢であった。
だからこそ、私の中の「一度でいいから来日公演を見てみたかったアーティスト」のリストの中で、デュアンの存在感は極めて大きい。
そしてその大きさは、ずっと「大きいまま」変わらない。
前述のコミックの中で描かれていた、オールマン・ブラズーズ・バンドの悲劇。
それは、看板スターであったデュアンが1971年10月29日にバイク事故で死んでしまったこと。
これだけでもバンドにとっては大きすぎる悲劇だが、このバンドには更なる悲劇がやってきた。
それも、なにやら不気味・・というか、不吉な・・・・巡り合わせで。
というのは、・・・デュアンが死んだ日の、ちょうど1年と13日後に、同じオールマンズのベーシストであるベリー・オークリーも、よりによってデュアンが死んだ場所とほぼ同じ場所で、デュアンと同様のバイク事故で亡くなってしまったこと。1972年、11月11日のことだ。
このへん・・・何やら、「見えざる力」が働いているようにも思え、少し怖い。悪魔の仕業だとでも言うのか?
同じ場所で、同じバンドのメンバーが、同じような死に方をしているのだ。しかも、1年と13日後・・・この「13」というのがなんとも不吉・・。こんな「偶然」・・中々無いのでは・・・?
そのため、オールマンズは「呪われたバンド」みたいに思われたりしたのではないだろうか。
偶然にしては、あまりに不吉すぎるから。
とはいえ、オールマンズは、その後、もう一人のギタリストであるディッキー・ベッツや、デュアンの弟で鍵盤奏者のグレッグ・オールマンなどの活躍で、「ランブリンマン」などのヒット曲を飛ばし、さらに新たに鍵盤奏者も加入し、バンド自体は存続し、ナンバー1サザンロックバンドとしての地位を確立していった。
デュアンが在籍した初期のオールマンズは、ブルースロックという色合いが強かった。
だが、デュアン死後、ベッツがリーダー格になると、バンドはカントリー色が強まっていった。
私はそのどちらも好きだ。だが、やはり・・デュアンを生で見てみたかったという思いは私の中で変わらない。
ちなみに。
「デュアン・オールマン・アンソロジー」という編集アルバムには、デュアンがボーカルをとっている貴重な曲が含まれていたりする。カントリーソングが似合いそうな、割と高い声だ。
例えば、「ハッピリーマリードマン」とか。
また、エリック・クラプトンとデュアンが2人でドブロギター(リゾネーターギター)でセッションする曲なども収録されており、マニアには興味深い内容になっている。
ウィキペディアによると、
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において、2003年は第2位、2011年のの改訂版では第9位。」
とある。
デュアン・オールマンの名声や評価は、死して数十年たった今でも世にとどろいており、不滅なのだ。
だからこそ・・・この日記のタイトルに気持ちは戻ってしまうのだ。
「一度でいいから来日公演を見てみたかったアーティスト、デュアン・オールマンが居た頃のオールマンブラザーズバンド」
と。
時間の外にようこそ。
あの本、まだお持ちなんですか?!
うらやましい、、、。
私はたぶん引っ越しの時あたりに、なくしてしまいました、、、。
確か、ロック雑誌・ミュージックライフの増刊号みたいな本でしたよね。
で、表紙かどこかに「この本はすべて読み物」と書かれていたと思います。
そう、いろんなミュージシャンの逸話が、小説みたいな形式で掲載されており、読み応えありました。
大事に保管してくださいね、今後も。
デュアンが亡くなったあともバンドが存続したのは、グレッグオールマンの功績は大きかったですよね。
他界の知らせは寂しかったです。