新宿といえば、私にとっては若い頃から馴染み深い街だった。
とはいっても、新宿で私がよく行ってた場所は、私にとって馴染み深い場所ばかりで、新宿の隅々まで知っていたわけではない。
でも、1番行く機会が多かった街のひとつが新宿であったことは間違いない。
最近は新宿の街に行く機会は減っていた私。
最近新宿に行くときは、たいがい家電を買う時だったり、たまに音楽ユニットの練習だったり、たまに飲んだりする時くらい。
若い頃はバイト先が新宿の映画館だったこともあって日常的に行ってたし、休憩時間にあちこちにめしを食べに行ってたし、飲みに行くことも多かった。
輸入レコード屋や本屋や楽器屋に、なんとなく物色にも行っていた。ライブハウスなどでライブ出演したりもしていた。
そう、昔は様々な用事で新宿に行っていた。時にはたいした用事もないのに、とりあえず新宿に行ってみよう的な感覚て、目的もないまま行ったりもしていた。
それにくらべたら、今はちゃんとした用事がちゃんとないと行かなくなっていた。
先日、ちょっと久しぶりに新宿に行ってみた。
音楽ユニットの練習があったため。
相方と会うのは久しぶりだったので、練習の後飲もうということになった。
で、練習が終わって外に出てみたら、小雨が降っていた。
背中にギターを背負っていたので、雨に濡れるのはイヤだったので、とりあえず地下道に降りてみた。
どうやら地下には相方は飲み屋の当てがあったらしかったので、ついて行ったら、その店はなくなっていた。
それどころか、新宿の地下道を歩き回るのは久しぶりだったせいもあり、地下道が分かりづらいこと、このうえなし。
私が新宿にしょっちゅう来ていたころとは、地下道はかなり様変わりしていて、どこがどの場所に繋がっているのが、非常に分かりづらく、中々行きたい場所に辿り着けなくて困った。
新宿地下道自体は、今でも普段通り過ぎることはある。だが、その場合は私は通るルートはだいたい決まっている。
だからある程度は地下道の現状はわかってはいる。
だが、先日のように、飲み屋探しのためにあちこち地下道をさまようことになるのは久しぶりだったので、改装中の場所が多くて、ルートがわかりづらい。
新宿のある程度の方向感覚はある私であってもそんな状態だったのだから、例えば地方から出てきた人とか、初来日の外国人にとっては、ほとんど地下迷宮みたいな感覚になるのではないか。
渋谷とか新宿の駅を歩いていると、いったいいつまで改装工事を続けるのだろう・・そんな気にさせられる。
もうかなり何年も前から改装工事をし続けているものね。しかも長い間。
歩く度に、そう思う。
ともかく様変わりしていて、以前通れたはずのルートがなくなっていたり、入り組んでいたりして、分かりづらい。
もう長い間新宿に行ってない人が今新宿駅の地下道に出たら、ルートに面食らってしまうだろう。
なので、久々に新宿駅の地下道に行く予定がある人は、気をつけてほしい。
後はやっぱり歌舞伎町かな。
とにかく九州の田舎から出てきた自分にとっては目が回るようなギラギラした街でしたね。
当地にも中洲という九州屈指の繁華街がありますが、いやもう比べるべくもない位の衝撃でした。
当時公開されたスターウォーズを観たのも新宿だったかな。ミラノ座などの映画館やボウリング場なんかがあった一画にはよく行ってました。
ここ数年、あの一画というか新宿も大きく変わったようですね。
社会人になってからは、職場や住まいの影響で遊ぶ場所が渋谷がメインになった捨丸なのでした。
捨丸さん、よく覚えてますね!
歌舞伎町は今も昔もギラギラしてます。
でもそんな歌舞伎町の中にも庶民的な飲食店はあり、若い頃はよく行ってました。
定食に納豆を追加注文してました(笑)。
スターウォーズの初回作、私も新宿で見ました。
確か、片想いに終わった女の子とデートで見た覚えがあります。
懐かしいけど、少しハズカスイ(笑)。
渋谷は、新宿に負けない繁華街ですが、今やすっかり若者の街になってます。
私が上京したのが77年か78年で、アルタができたのは80年。いいともはその2年後の82年から放送開始だそうです。
アルタビジョン(?)でマイケル・ジャクソンのMVやwe are the worldなんかを見た憶えがあります。
アルタとか歌舞伎町方面は東口でしたっけ?
紀伊國屋書店も東口でしたよね。私が大友克洋先生の本を見つけたのはここでした。「ショートピース」!!とにかくそれまでなかったセンスの漫画で、頭ぶんなぐられたような衝撃を受けましたね。
ちなみに私が成人して衝撃を受けた漫画家さんは、大友克洋先生、いしいひさいち先生、鳥山明先生、川原泉先生、羽海野チカ先生・・・あれ、並べると結構いるな(笑)
西口は都庁方面です。
紀伊國屋は、昔よく行きました。
そのそばの映画館で、学生時代にバイトしてたので、あのへんはよくウロチョロしてました。
ニ幸は、よく覚えてないです。
気がついたらアルタがありました。
自分、小3から大学2or3年の頃まで新宿に住んでいました。
これまで、7回くらい転居しましたが、故郷は?と訊かれたら「新宿」と思えてしまいます。
そんな自分も新宿の特に現在の西口地下工事は方向感覚を失わされてしまいます。(渋谷はもっとひどいですが…)
常に変わり続けるのが「新宿」の宿命なんでしょうね。
自分が卒業した小学校は、現在は吉本興業東京本社社屋になっています。(笑)
だんぞうさん、バイトの映画館はピカデリー劇場だったりします?
最後になりましたが、2024年がだんぞうさんにとって実り多き年となることを願っております。
あらためまして、謹賀新年。
さむがいさんは、生粋の新宿っ子だったんですね。
小3から大学時代まで新宿で育ったのなら、たしかに故郷は新宿ってことになるでしょう。
私は幼稚園時代からずっと都心の某町で育ちましたので、私にとってはその町が故郷に思えてます。
新宿西口地下工事の場は、たまに行くと本当に方向感覚が乱されます。
それこそ、おのぼりさんのような気分になります。
本当に分かりづらいです。
早く工事終了してほしいものです。
私が学生時代にバイトしてた映画館は、当時は「新宿ピカデリー」と呼ばれてた映画館です。
今はピカデリー劇場と呼ばれてるんですか。
もう長年行ってないので、現在どうなってるのか、よくわかってません(笑)。
変わったんだろうなあ・・。遠い目。
今も「新宿ピカデリー」でシネコンとして現役です!
当時は、邦画の新宿松竹と洋画のピカデリーと2つ入ってましたよね?
元々、新宿松竹会館とか新宿松竹劇場とか言うネーミングだったので、あの頃の近所の人々が「ピカデリー劇場」と両方を合わせて呼称していたような…、それで遂ピカデリー劇場と無意識に書いてしまいました。すみません!
ならは私にとっては、やはり学生時代のバイト先です。
1年半くらいバイトしていたと思います。
その時のことは今でもよく覚えてます。
懐かしい。
そう、地下が新宿松竹で、地上が新宿ピカデリーでした。
バイトなのでいちおう関係者の末端ではあったので、よく映画は無料で見れてました。
当時時給は安かったけど(笑)、それを上回るメリットが映画を無料で見れることでした。
オールナイトの時の深夜の休憩時間には、歌舞伎町に飯を食べに行ってました。
そんな記憶があることもあり、やはり私にとっては新宿は馴染み深い町でした。