自分の音楽ユニットに持ち込んだ自作曲で、何回か練習したにもかかわらず、いつの間にかおざなりになってしまった曲というのが、私には何曲もある。
元々は、一番近いライブで初披露するつもりで練習を始めたのだが、ライブへの間隔があいてしまったり、体調不良などの諸々の理由で練習休止になってしまったりして、久々に練習再開した時には、別の曲を持ちこんだり・・・・そんな理由で、以前持ち込んだ自作曲を練習しなくなって、そのままになってしまった・・そんなパターンだ。
ユニットに持ち込むぐらいだから、作者の自分としてもそれなりに愛着のある曲だったのは確か。
やはり新しい曲をユニットに持ち込んだ時は、近いライブで披露する機会がないと、リスナーの反応を知ることもなく、いつしか埋もれていってしまうのかもしれない。
時代屋に持ち込んだ曲で、練習したにもかかわらず、いつしか練習をしなくなった曲って、私には何曲あるだろう。
少なくても3~4曲はあるはず。
忘れてしまっているのがあれば、もっとあるかもしれないが、実数はどうもはっきりしない。
それらの曲は、せっかく何度か練習したにも関わらず、公な場所では日の目を見ていない。
「埋もれた自作曲の蔵出しシリーズ」で一度づつソロで歌っただけだと思う。現時点では。
それぞれの曲に愛着はあるので、いつか形にしたいとは思っているのだが。
それらの曲の中には、もし自分が自主制作アルバムのセカンドアルバムやサードアルバムを作ったら収録するつもりだった曲も数曲ある。
ただ、練習していて、やはりバンドじゃないとだめかな・・・と思えた曲もあり、そういう曲はアコギユニットで埋もれていくのは仕方ないのかなという思いもある。
その曲の中の1曲は元々バラード曲として作った曲もあり、その曲をユニットで練習した時は、ゆったりしたバラードとして練習していた。
だが、先日、自宅でふとその曲を思い出し、アップテンポで演奏してみたら・・なにやらアップテンポも合いそうな気がしてきている。
その曲は、バラードとして演奏したほうがいいのか、アップテンポ曲として演奏したほうがいいのか、今の自分としては迷っている。
いっそ、両パターンのバージョンを用意したほうがいいのかな・・・などとも思い始めている。
まだ人前ではユニットとしては披露していないから、今後どのようにも変えられる。
一度公の場所で、バラードとして披露してしまうと、どうもそのイメージが固定してしまいそうだ。
こんな時、ボブディランみたいなスタイルだったらいいだろうなと思う。
毎回ライブのたびに、曲の感じが変わる・・・・そんなスタイルだ。
歌い方も、リズムも、コードも、メロディも、へたしたら歌詞すらも。
でも、それって・・・ディランだから許されるスタイルなんだろうな。
そのスタイルって、リスナーからしたら、とまどうとも思うし。
だいいち、その場合は、その原曲がちゃんと公の場所で公式発表され、評価も受けてるからいいんだろうな。
そういう意味では、アマチュアで、しかも公の場所で披露したことがない曲なら、制約などないだろうと思う。
あるのは・・作者の意向だけ。
・・・で作者としては・・う~ん、どちらがいいかまだ答えが出ていない。
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