自作曲を歌う場合、歌って体力をけっこう消費することを実感する曲がある。
そういう曲は、私の場合、長い曲が多い。
長い自作曲を歌う時や、選曲する時は、ちょびっとだけ覚悟・・というか、決断を要する場合がある。
過去にも触れたが、私の自作曲で一番長い曲「時間の外」という歌などは、フルで歌うと1曲だけで15分~20分近くいってしまうのではないかと思える。
その曲などは、人前で歌うことはないから、まだいい。
ライブでの持ち時間が短い場合、そんな曲を選曲してしまったら、へたしたら1曲しか歌えないこともあるし。
まあ、その曲は特別長いのだが、他にもフルで歌うとかなり長くなる曲はそこそこあって、例えば「あの街を流れた信濃川」などもフルで歌うとけっこう長い。
こういう曲は歌う場合、それなりの覚悟が必要になり、持ち時間の関係から言ってもなかなか選曲できない。
私のユニット「時代屋」での私のレパートリーの中では「母校が消えた日」も、けっこう長い。普通の曲の1曲半くらいの長さになる。
だが、1曲半くらいなら・・ということで、これまでそこそこ人前で歌ってきている。
歌う直前には、ちょっとした覚悟みたいなものを持って歌うので、この長い曲を歌い終わると、どこか安堵感を感じてしまったりする。
そんな時、時代屋みたいに、ボーカルがもう一人いてくれると、正直助かることがある(笑)。
長い曲を自分が歌い終わり、次に相方が歌ってくれてると、その間に少し体力を調整できることがあるから(笑)。
若い頃にはそんなこと考えたこともなかったし、感じたこともなかったけれどね(笑)。
まあ、そのスタイルに慣れてきてしまっているから・・というのもあるのだけど。
もし、弾き語りオンリーで活動してたら、体力も意識も選曲もそれに即したものになり、それに慣れていたんだろうけどね。
家でリラックスして歌う場合は、長い曲でもさほど体力を消費している感覚は、さほどではない。
だが、ライブとなると別。
家で歌う場合は、途中で休むこともできるし、どこかで間違えても、聴いてる人がいない以上、気にならない。
間違えた個所だけを歌いなおしたりしてもいいし、最初からやり直しにしてもいい。
だが、ライブだとそうはいかない。
そう、ライブだと、緊張感があるからだ。
自宅で歌う場合は、緊張感はないからね。
まあ、ライブというのは、どの曲をやるにも緊張感はあるものだ。
それは一緒。
特に弾き語り系だと、バックに他の楽器があるわけじゃないし、あるのは自分で弾くギターのみ。
必要最低限の音しかないから、歌詞も歌唱も目立つ。
バンドだと、前述の通り、バック演奏の大きな音でごまかせる場合もある(笑)。
だが弾き語りだと、そうはいかない。
だから、弾き語りで長い曲を歌う場合は・・・やはりちょっとした決断は必要だし、その長い曲の長さぶんだけ緊張感も続くから、体力も必要なのだ。
いつか1分前後で終わる短い曲ばかりでライブをやってみようかなと考えたこともある。
それなら短い「持ち時間」でも、多数の曲を歌うこともできる。
でも・・お客さんは、そんなライブは・・・物足りないだろうなあ。
だいいち、数が多くて、なおかつ短い曲ばかりだと、どれも埋没してしまいそうだし、お客さんにとっては、どれも同じように聞こえてくるかもしれない。
しかし当然、作者としては、フルで歌い、演奏したいですよね。
それはプロフェッショナルでも、アマチュアでも同じことです。
やはり長い楽曲で、「○番と○番の歌詞は外してください」などと言われたら、もちろん嫌ですよね?
聴いている方も省略された○番の歌詞や演奏を思えば、「未完成曲のように聴こえる」から、嫌ですよ。
ベスト対策は、だんぞうさん御自身か、ユニット時代屋にてワンマンショーされることですね。
私も、集客に協力したいです。
テレビに出るということのメリットの方を重視して尺縮めに従う歌手もいれば、歌を完全な形で披露することにこだわる歌手もいて、それぞれまちまちです。
ディランなどは長い曲が多いので、そういう制約には一番程遠いタイプでしょうね。
私の場合は・・どうだろう・・長い歌をあえて省略バージョンを別に作ったこともありましたが、結局はそのバージョンはあまり使おうとは思わないです。
集客・・ありがとうございます。助かります。
いつかそんな時があれば、よろしくお願いしますね。