
私は猫は飼ったことはない。でも、猫は好きで、私は子供の頃、家で猫を飼いたくてしかたなかった。捨てられてる猫・・特に子猫などと目が合うと、ついつい離れがたくて家に連れて帰ったことが何度かあるのだが、親が(特に母親が)強硬に反対し、ついに家で猫を飼うことはなかった。
だが、父の仕事先では猫を飼っていた。なので、たまに私が父の仕事先に行くと、猫を抱けるのが楽しみで仕方なかった。それが楽しみで行っている部分もあったぐらいだった。
友人の家に行くと、たまに猫を飼っている家もあった。
普段は自宅で猫に触れ合う機会はないものの、それでも上記のような場合には猫に触れ合える機会はあった。で、そんな機会に猫を抱いたり触ったりしたり、あるいは人が猫を触っているのを見てて、私にとって少し不思議に思える習性が猫にはあるような気がした。
で、どんな習性が私にとって不思議に思えたかというと。
猫のうなじをつまんで持ち上げると、猫は決して嫌がらず、おとなしくなり、なおかつへたしたら目を閉じて気持ちよさそうな表情(?)をすることであった。
うなじをつかんで猫を持ち上げると、うなじの皮がよく伸びる。
これって、・・・痛くないのかな??といつも私は思っていたのだが、猫はいたがる仕草もしないし、それどころかおとなしくなってなすがままになるし。
なんか、だらしなく力を抜いて、そう、なすがままになっているような様子だった。決して嫌がらないのだ。
あんなに皮が伸びたら、普通は痛いんじゃないか・・とも思えてならなかったのだが・・。
後年、それをふと思い出した私は、うなじをつまむ仕草を人間相手にやったことがあった。
その人間は、どんな反応をしたか?
まあ、その人と私との人間的関係もあったのだろうが、感想は「なんだか気持いい、決して嫌ではない」ということであった。
なので、試しに私自身のうなじをも、つまんでもらった。すると・・確かに嫌悪感はなく、むしろ「こり」をほぐされるようで、不快ではなかった。
ならば・・・猫もきっとそうなのかもしれない・・と私は思った。猫はうなじをつままれると、きっと気持ちいいのかもしれない・・と。
だから、おとなしくなって、場合によっては眼を閉じて恍惚のような表情をするのか・・とも。
ただ、猫のうなじをつまんで持ち上げた時、皮膚(?)は異常に伸びる。
そこに体重がかかるのだから・・やはり痛みはあるのではないかなあ・・とも思うと、猫が全く嫌がらないのが少し不思議である・・という疑問は残った。
人間のうなじをつまんで引っ張っても、あんなには伸びないから、人間で試すのはサンプルにならないのかもしれない。
そこで、少し検索して調べてみた。
すると・・
猫がうなじをつままれても嫌がらないのは、母猫が子猫を加えてどこかに運ぶ時のことがあるかららしい・・という記事を見つけた。
母猫が子猫のうなじを口にくわえて運び時、運ばれる子猫は、その行為によって外敵から身を守るために、母猫の労力を減らすために、あばれずにおとなしくなる・・という説が書かれていた。
となると、それは、身を守るための本能的なものなのかもしれない。あるいは、親に守られているような感覚・・・そんな安心感もあってリラックスするのかもしれない。
で、本能的なものとして、それは受け継がれているものなのかもしれない。
興奮した猫に対しても、これをやるとおとなしくなるそうだ。
不思議なことに、うなじを指で持ったりつまんだりするだけでなく、うなじにクリップみたいなものを装着しても、おとなしくなるそうだ。自分で試してみたい気もするが、猫を飼っていない私にはそれはできない。かといって、誰かの飼い猫にそれを試すのも憚られる。
でも、もしこれが本当だとしたら、けっこう驚きではある。
ともあれ、本能的なものに由来するのだとしたら、「なるほど・・」という思いはある。
ただ、個人的には、うなじをつままれた時に猫が大人しくなるのは本能的なものだとしても、その行為によってたまに見せる、猫の「恍惚のような表情」は・・やはり、気持ち良さそうに見えてしまう。
親に守られている安堵感、安心感みたいなものが、あの態度や表情につながっているのだろうか。
うなじをつままれた時の感覚が。
そういえば、動物を例に出したことわざや比喩が日本語にはある。
例えば、
「狐につままれたような表情」とか「犬も歩けば棒にあたる」とか「サルも木から落ちる」などなど。
ならば・・・
「うなじをつかまれた猫」というのも、何かのことわざや比喩に使われてもおかしくないような気はする。
意味合いとしては、「急におとなしくなる」・・そんな意味で、いかが(笑)?
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