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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

曲の識別力が弱まった原因

2012年01月14日 | 音楽全般

世に次々とおくりだされる、多数の「新たな楽曲」たち。

そして、その曲を歌うシンガー。

それらの明確な違い・・というものを識別しづらくなった。

それは自分の感性が減退してきた・・というのもあると思う。

だが、それだけでもないような気もしている。

「新曲たち」の区別という意味で言えば、メロディの類似性・・・いわゆる「あの曲は、この曲に似ている」とか「この曲は、あの曲のパクリっぽい」などの点に関していえば、それは今に始まったことではない。

また、「歌い方」という意味で言えば、一人の大当たりしたシンガーが出れば、それに影響を受けたり、それに便乗したり(?)で、似たような歌い方をする人がたくさん出てくるのも、今に始まったことではない。

昔から、そういうものはあった。

なので、それはこの場合大きな理由にはならない。

では、明確な違いを見分けづらくなったのはなぜだろう。

と思ったら、すぐに思い当たる点があった。

それは、バックの演奏。

スタジオミュージシャンを多数雇ったりすると、当然費用がかかる。

スタジオを長時間使用すると、それでまた費用もかかる。

おまけに、今はコンピューターでいくらでもオケを作れる時代。

つまり

コンピューターでつくったオケが多くなってきたから、見分けがつきづらくなってきたのではないか・・・と私は思っている。

もちろん、理由はそれだけではないのは分かっているが、それが大きな要素の一つであることは確か。

少なくても、私にとっては。

 

コンピューターのソフトでオケを作る場合、入力した音符をコンピューターが演奏・・・というか、鳴らす場合、間違えることはない。

リズムも完全に正確。

また、人間では演奏できない演奏も、演奏することが可能。

音色として指定した楽器の音も、本来その現実の楽器ができない演奏も演奏させることが可能。

しかも、癖もない。

 

厳密に言えば、強弱、もたり、前乗り、後乗り、癖などの人間演奏による微妙なニュアンスも、入力すれば、ある程度は可能だろう。

だが・・やはり、生身の人間が演奏するのに比べると、出来上がった演奏に、癖がない。

癖や「特技」や「苦手」からくる、微妙な演奏表現の違い・・というものが、コンピューター演奏に見出すことは難しい。

 

コンピューターを演奏者として捉えると、コンピューターによるオケ全盛の時代は、どれも同じような人が演奏してることになる。

 

もちろん、コンピューター入力によるオケ演奏がまだ一般的でなかった時代でも、特定の売れっ子スタジオミュージシャンが多数の曲の伴奏に加わり、似たようなサウンドがあふれたことはあるが、そういう楽曲のオケにしても、バック演奏のメンバーが何から何まで同じ人ってことは少なかっただろう。

同じメンバーが多い中でも、その中に、少しでも違うメンバーが入っていると、それは「違い」の要素になりえる。

だが、コンピューター演奏によるオケだと、上記のようなことがありえることになる。

まあ、コンピューターで作ったオケに、更に自らが弾く楽器の音を重ねたりして、少しでも「違い」を出そうとしてればまだいいけど、そうじゃなくて全てコンピューターでのオケによるサウンドだと、どうしても他者が歌う「コンピューター演奏による演奏曲」との区別がつきにくい。

同じような傾向の曲だと、特に。

 

でも、演奏者が直に演奏する演奏だと、演奏者の味や音色が反映され、同じ傾向の曲であっても「違い」は出やすいと思う。

その演奏者が強烈な個性を持っていれば、いるほど。

 

とりあえず、あふれる多数の「新曲」たちの中で、似たような傾向の曲が並ぶと(例えばダンス系とか)、その「違い」が昔よりも区別しにくくなっているのは、確かだなあ。

 

 まあ、打ち込みによるオケでも、それにプラスアルファとして、何か自分で実際に弾く楽器の音を加えて、単なる打ち込みだけで終わらないオケを作る場合も多いだろうけどね。

その場合、普段あまりポップスなどでは耳にする機会が少ない楽器などを導入したら、違いも分かりやすいだろうね。

それがその楽曲に合っていれば。


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