70年代中期、アメリカで女の子だけのロックバンドが出現し、日本でもかなり人気が出た。
そのバンドは、ランナウェイズ。デビュー当時、メンバーの平均年齢は16歳くらいだったのではないだろうか。
若かった。
メンバーは、
ボーカル ・・Cherie Currie(シェリー・カーリー)
ギター ・・・Joan Jett(ジョーン・ジェット)
ギター ・・・Lita Ford(リタ・フォード)
ベース ・・・Jackie Fox(ジャッキー・フォックス)
ドラムス ・・Sandy West(サンディ・ウェスト)
の5人編成。
サウンド的には、後のパンクロックに通じるサウンドだった。
デビュー曲は「Cherry Bomb」。邦題が付けられ、邦題はなんと「悩殺爆弾」というものだった。
なんといっても、メインボーカルのシェリーの格好が当時としては衝撃だった。
ほとんど下着姿だった。
めったに女性ミュージシャンを好きになることがなかった私だが、ランナウェイズは好きになった。
とはいえ、アルバムを買うほどではなかったんだけど(笑)。
なにしろ、私のまわりに居たロック好きな友やフォーク好きな友が皆ランナウェイスのことが好きで、しまいには私にまでその影響を受けてしまった。
ランナウェイズ登場後、彼女らに影響を受けたガールズバンドが日本でもたくさん出て来た。
中には、とても公の場所では名前を言えないような過激な名前のガールズバンドもあった(ついでに言えば、ステージパフォーマンスも相当過激だったらしい)。
ランナウェイズ自体は比較的短命に終わったバンドだったが、世の中に与えたインパクトや影響はかなりのもんだったと言えるだろう。
デビュー曲の「Cherry Bomb」は、決して名曲ってほどの曲ではないと思う。
でも、勢いはあり、彼女らのカラーを打ち出すには十分なインパクトがあったと思う。
ついでに言えば、日本語で替え歌にしやすかった(笑)。
当時私は友と一緒に予備校に通っていたのだが、友が私の家に集まった時に、予備校の教室にいる「気に食わない奴」をネタにして「Cherry Bomb」の替え歌を作り、私の部屋でセッションしてた覚えがある(笑)。
また、共通の友達のことも良いネタになったし、自分たちのことも良いネタになった。
数年後、ふとしたはずみで、その時の自宅セッションを録音したテープが出て来て、何気に聴いたら苦笑ものだった。
自分たちのことをネタにしたバージョンは自虐系だし、友達のことを歌ったバージョンは冷やかし系、で、予備校のことを歌ったバージョンは不満たらたら。
そう、そうとうフラストレーションが我々の中で溜まっていたようだ。
そんな時に、このCherry Bombという曲の曲調はまさにピッタリで(笑)。
もしランナウェイズが、キュートな格好をして可愛いポップスを歌っていたとしたら、あそこまで話題にはならなかっただろう。仮にそれなりにヒットはしたとしても、あの当時のランナウェイズのようなインパクトは世に与えられなかったと思う。
なんでも、当時キム・フォーリーというプロデューサーが「女の子だけのロックバンド」構想を暖めていたらしい。
そんな時にキムはランナウェイズを見つけた。で、構想にピッタリだったらしい。
キムとランナウェイズの出会いが、あの成功につながったのだろう。
ある意味、音楽の・・音楽ビジネスの神様が、彼と彼女らを引き合わせたのかもしれない。
絶大な人気を獲得したランナウェイズだったが、その後ボーカルのシェリーが脱退したのが響いて段々失速していった。
解散後はそれぞれがそれぞれの道に進んだようだが、その後ジョーン・ジェットが自分のバンドを組んで7週連続全米No.1となる大ヒット曲をかっ飛ばすことになるとは、私は夢にも思わなかった・・。
私には、人気バンドが解散すると、パフォーマーとしてその後も人気者としてステージ活動で活躍していけるのはバンドのフロントマンだけ・・そんなイメージがあった。おいしいところを持っていけるのはフロントマンだけ・・そんな思いだ。
ランナウェイズのフロントはシェリーだった。
だから解散後もスターとしてやっていけるのはシェリーだろう・・と思っていたのだが、どっちかというとバックメンバーみたいな存在に見えた(それだけシェリーの存在感は際立っていた)ジョーン・ジェットが、ランナウェイズ解散後にランナウェイズ以上の成功をおさめたのには、一種の痛快感があった。
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