時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

バンドの練習スタジオに初めて入った日

2022年06月22日 | 音楽活動

 

私が初めてバンド体験らしきものをしたのは、中学3年の頃だった。

正式なバンドじゃなかったけど。

 

それはまだギターを入手して間もない頃で、Fコードが弾けるか弾けないか・・という状態の頃。

ギターはそんな程度しか弾けていなかったが、曲だけは作っていた。

というか、ギターを手にする前の小学校時代にも曲作りらしきものは鼻歌やハモニカでやっていたので、曲作りの楽しさだけは知っていた。

それがギターを手にすることで、曲作りのペースが上がり始めた頃だった。

 

クラスのビートルズ好きな奴や、フォーク好きな奴と共に、地元の駅の近くの「空き部屋」に集まった。

その「空き部屋」というのは、倉庫のようでもあり、どこかの事務所のようでもあった。

だが、部屋の中にはなぜかドラムセットが置いてあったので、音楽の練習スタジオみたいな存在で使われていたのだろう。じゃなかったら、部屋にドラムセットなど置いてあるわけがない。ちなみに部屋には机や事務椅子なども乱雑に置かれていた。

 

その時に集まったのは、ギターを弾き始めていた私、私同様にビートルズ好きで、のちに私のバンド仲間にもなったN君、同じビートルズ好きだが楽器は弾いてなかったK君、拓郎にハマってギターも私より弾けたT君、そして別のクラス在籍で、ドラムをたたいていたS君などが集まった。

 

ちなみに、N君は私同様にギターを弾き始めてまだ間もない状態であった。

K君は楽器を入手することはついになかったが、ビートルズ好きということでは私やN君と話が合ったので、一緒に来たのだと思う。

 

なぜそのスタジオに皆で集まったのだろう。

うろ覚えで、記憶違いの部分もあるかもしれないが・・・と前置きした上でこの先を書く。

 

その前日、皆でK君の部屋に集まったのがきっかけだったように思う。

なぜ集まったのかは定かではない。

ただ、当時は私、N君、そしてK君の3人は等しくビートルズファンで、ビートルズ関係のアルバムを皆があれこれ聴きたがっていたのだが、少ない小遣いでは買えるアルバムに限りがあった。

そこで誰かが自分の持ってないアルバムを買うと、それを聴くためにそれぞれの家に集まっていたのだと思う。

 

K君は、ジョージハリスン主催の「バングラデシュコンサート」のアルバムを持っていた。

確か・・3枚組のライブアルバムだったのではないか。

3枚組なので、値段もかなり高かった。誰もが気軽においそれと買えるアルバムじゃなかった。

そんなアルバムをK君は購入したものだから、皆がK君の家に集まったのではなかったか。

 

で、その日はそのままK君の家に泊ることに。

夜になっても音楽談義が尽きなかったのだと思う。

皆がビートルズに憧れ、なりたいとも思った。

皆がビートルズみたいにオリジナル曲が作れたら・・・と思った。

そこで、皆、それぞれ曲を作ろうという話になった。

 

だが、皆で談笑してるだけでは、曲などできない。

集中ができなかったからだ。

そこで私は、1人でK君の部屋から直接出ることができたベランダに出た。

そこは物干し台でもあった。

ひとりで物干し台に出た私は、夜の薄暗い雰囲気に身をおいたら、部屋の中にいるより集中できた。

どれぐらいの時間物干し台にいたかはわからないけれど、私はテンションもあがっていたので、物干し台で1曲作った。

で、再び部屋に入り、出来たばかりのその曲を、皆に聴かせた。

 

すると、「せっかく出来たんだから、スタジオで練習しようぜ」みたいな話になったのだと思う。

 

幸い、近所に住んでたS君に相談をしたところ、S君は、ただで練習させてもらえる部屋がある・・・といった。

 

まだ中学生だった私たち。有料の練習スタジオなど借りられるわけがない。

なので、S君の「あて」を頼ることにした。

 

で、次の日に、S君に連れられていったのが、前述の「空き部屋」だった・・のだと思う。。

そう、倉庫のようでもあり、どこかの事務所のようでもあり、なおかつなぜか部屋にドラムセットが置いてあった「空き部屋」。

かといって、マイクがあったわけでもなかったし、アンプがあったわけでもなかった。

ただただ「空き部屋」で、机や事務椅子の他にはなぜかドラムセットだけはあった部屋。

 

S君は元々ドラマー志望だったので、その環境を知っていたのだろう。

時には、ドラムの練習に使っていたのかもしれない。

ドラムは音量が大きいから、家では中々練習できないからね。

 

てなわけで、その「空き部屋」に皆で出かけたのだろう。

オリジナル曲は、N君はなんとか持ってきた。一応N君もギターはかじっていたから、出来たのかも。

私はすでに前日にK君の家のベランダで作ってあった曲を提出。

一方・・楽器をやってなかったK君は、作ろうとはしてたのだが、できてなかった。

なので、音楽の時間に使ってたたて笛を持ってきて、スタジオ内で無理やり作っていた。

だが、まだ形になってなかった。結局、K君は「完成」までには至らなかったのではなかったか。

 

一方、スタジオには前日K君の家にはいなかったT君も来ていた。

私たちが練習スタジオに入るという話を聞いて、自らギターを持っての参入だったのだろう。

私たちの中で一番ギターがうまかったのがそのT君だった。

得意げにFコードを楽々弾いてみせてた。

もしかしたら、その姿をT君は我々に見せたかったのかもしれない。

ただ、T君は自分では曲は作ってなかったと思う。

彼は拓郎にはまっていたから、作ろうと思えば作れたのではないか・・とも思うのだが。

 

スタジオではS君がドラムセットに座った。

私は前日K君の家で作った曲を歌ってみせた。

適当にS君がドラムを合わせてくれた・・・のだと思う。

 

だが・・N君は私の曲のコード進行を知らなかったし(譜面を書いたわけじゃなかったから、わからなくて当たり前だったのだが)、K君はそもそもギターが弾けない。

T君は、我関せず。

 

だから、厳密には、バンドの練習には程遠い練習ではあった。

だが、練習スタジオらしき場所に、仲間と一緒に入ったのは、それが最初であったのは間違いない。

 

その「練習」をどのように切り上げたかはもう覚えていない。

だが、仲間と練習スタジオに入るということがどういうことか・・は、少し体験できたと思う。

 

とりあえず、もっとギターが弾けるようになり、せめてギター同士だけでも、「合わせる」ことができるようにならないといけない・・・・そういうことだけは実感したと思う。

 

「成果」という意味では、音楽的には、なんの成果もなかった。

とりあえず、練習スタジオに入る・・・という体験をできたのが、成果と言えるのかもしれない。

 

曲を作って持ってきた・・・というだけでは、楽器演奏が皆おぼつかないようでは、意味はない・・・そんな「当たり前」のことすら、わかってなかったんだね。

 

 

ちなみに、その時に私が持っていった曲は「今、僕の胸に」というタイトルの曲で、一応歌詞もメロディもできており、出来たての時にN君に聴かせた時は、けっこうほめてくれた。

だが、その後年月がたつにつれ、評価は下がっていった(笑)。

 

出来たての頃は、それなりに聴けたのかもしれないが、その後耳が互いに肥えてくるにつれ、その「つたなさ」もわかるようになったのだろう。

 

私の中でその曲はその後封印。二度とその曲そのものを持ちだそうとはしなかった。

 

だが・・・15年以上たって、あるロックバンドを組んだ時に、私はあるバラード曲をバンドに持ち込んだのだが、そのバラードのラストにハーモニカでソロをとる個所があった。

そこでふと思い立ち、そのバラード曲のメロディラインとは別のメロディを、ハモニカソロで吹こうと思った。

で、そこで引っ張り出したのは、中学の頃にK君の家で作った「今僕の胸に」という曲のメロディラインだった。

そのメロディラインを一部だけ抜き出し、バラード曲の最後のハモニカソロに使った。

 

かくして・・・つたない曲「今僕の胸に」は、メロディの一部だけが復活し、別の自作曲の一部に収まった・・・という決着がついたのだった。

 

 

練習スタジオに入る・・・というのは、バンド志向のある人にとっては楽しいことだと思う。

だが、通常は練習スタジオ使用には1時間単位で使用料がかかる。

時は金なり・・なのだ。

バンドの人数が多ければ多いほど1人あたりの払う額は安くはなるが、それでもただではない。

なので、なるべく無駄のない時間を過ごさないと損ではある。

 


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