この日泊った天人峡の宿。
ここでは滞在しながら、色々な思いが頭をよぎった。館内を歩いては思い、風呂に入れば思い、部屋から外を眺めれば思い、食事をとれば思い。
まず、昼間チェックイン前に荷物を預けるために初めて館内に入った時、館内に人っけを感じなかったのだが、この時は、まだチェックイン前の時間帯なので、スタッフは休憩をとってるだけなのだろうと思った。
だが、その時ちょっと館内を歩いてみたのだが、どうも全体的に閑散としていた。
宿自体は相当大きな宿なのだが、その大きさに見合うようなスタッフの数がいそうもないように思えた。
館内設備は、基本的に十分な宿のようだった。
売店もちゃんとあるし、ステージつきの大広間もあるし、ゲームセンターもあるし、卓球コーナーの看板もあった。自動販売機も充実してるように思えた。
団体客が泊るにはもってこいの宿であろう。本来、この宿は、館内設備が充実した、大きな宿なのだ。
だが、たとえばステージのある大広間は長いこと使われていないようで荒れ果てていた。
そこはちょっと廃墟のようになっていて、入ってゆくのも憚られる感じだった。
また、たとえば売店にあるアイスクリームボックスには、大きなボックスの中で売られていたアイスは、ほんの数個が下のほうにポツリポツリとあるだけだった。客数が減った現状では、商品を余らせるわけにもいかないから、補充に慎重なのかもしれない。
ちょっと見ただけで、「このままいたら、他の宿のように、ここもいずれ廃業になって、いずれこの建物は廃墟旅館になってしまうのではないだろうか」と心配(?)になったぐらいだ。
こういう大きな宿なら、普通館内のレストランなどで、昼飯への対応もあってもおかしくないのに、それもなかったし。
極力、人員カットしてるのだろう。
滝見台探索を終えて、正式にチェックインして部屋に入ってみたら、部屋の大きさは申し分ない。窓からの眺めも良好。山あり、清流あり、奇岩ありで。
窓からは、この峡谷にある他の宿の建物が見えたのだが、その「他の宿」の外観が、けっこう衝撃的だった。
それは、先日の日記で写真で紹介した通りだ。
廃墟の宿を見た時、この天人峡に来る時に乗ったタクシーの運転手に言われた言葉が、実感をともなって頭の中によみがえった。
「4館あった宿のうち、2館は廃業してしまいました」という言葉だ。
窓から見えた「他の旅館」の外観が、この天人峡の寂れ具合を象徴している気がした。
眼下に見える「他の旅館」は、朽ちて廃墟になっていた。
窓が壊れ、壁が朽ちかけて、屋根がずれ落ちていたりしていた。
まるで廃墟の温泉街にでも来たようだった。
よく見ると、天人峡の入り口付近にある宿は現役のようで、電気もついていた。
おそらく、この天人峡で営業している2館の宿のうちの、1館であろう。
そして、営業しているもう1館の宿が、今私がいる宿で。
よく、「ひなびた宿」とか「ひなびた温泉街」という表現があるが、「ひなびた」というのと「廃墟になった」というのでは意味合いがまったく違う。寂れているという意味では似ていても。
この日私の泊る宿は、大きな宿だけあって、客室はたくさんある。だが、実際に客で埋まっている部屋は・・・・少なくても私のいる棟のフロアには、私のいる部屋だけのようだった。他の多数の部屋には、人の気配がなかった。ガラ~~ンとして、静まりかえっていた。
部屋には、本来備え付けられているはずの歯ブラシセットもなかった。これは、そういうサービスがないわけではなく、単に備え忘れのようだった。言えば貰えたから。
これだけ大きな宿のわりには、従業員は・・やはり少なすぎるのだろう。施設や客室がなまじ多数ある分だけ、少ないスタッフでは管理しきれないのかもしれない。
部屋の窓やバストイレには汚れが残っており、天井には染みがあった。
とはいえ、宿をとりまく環境はいい。宿の前を流れる清流の音が、絶えずあたりに響いていて、その音で癒される。そんな環境、私は大好きだ。
しかもその清流は、窓から見下ろせた。良い立地ではないか。
↓また、窓からは、昼間行った滝見台への登山道がある山も見えた。この山の中の登山道を私は滝見台に向かって登っていったのだ。
登山道自体は木々に隠されて見えてはいないが。
ひとしきり部屋で休んだ後、私は風呂に向かった。もちろん温泉だ。広い館内の中、入浴場まではけっこう館内を歩くことになる。
人っけがなくて、廊下が長い分だけ、夜中に風呂に入りにいくのは、少し怖いかもしれない。
で、この風呂がまたインパクトがあった。風呂場自体はかなり広い。大人数が同時に入浴できる大浴場だ。
浴槽はいくつもあるのだが、お湯が入っていない浴槽があったり、浴槽に石が詰められて浴槽として機能してなかったり、清掃されていない窓が目立ったり、「単なる汚れた池」と化していて使われていない露天風呂があったり。
広い風呂場には、謎のオブジェがあったりもしたのだが、それがバブルの名残のようで、妙に妖しかったりもした。
以前の、羽衣の滝までの遊歩道があって、なおかつ路線バスが来ていた最盛期には、きっとこの宿は団体客で賑わっていたのだろう。ステージのある広間では宴会が行われ、卓球コーナーは盛り上がり、ゲームコーナーでは子供たちが騒いでたりしたのだろう。
その頃は、きっと、天人峡にある4館の宿は、それなりに共存していけてたのだろう。
北海道の観光名所の一つとして、天人峡にはけっこう客は来ていたのだろう。
この宿は団体客がこないと、この規模ではやっていけないのではないか・・・と、関係者でもないのに私は心配してしまった。
今の天人峡への観光客の人数を考えたら、本当はこの宿は縮小して、山奥の小さな鄙びた宿としてやっていくのがベターな気はした。
だが、一度大規模になった宿を縮小するには、新たにコストもかかるのだろうね・・。
この宿は、かなり歴史があるらしく、壁には大昔のこの宿の写真が貼ってあった。
長い歴史がある宿だから、他の宿が廃業してしまっても、そう簡単には廃業できないのだろう。客が激減しても存続させている代償として、従業員の数を減らしたり、古びた建物の改装もできず、売りであるはずの入浴設備のフル稼働もとりやめ、やりくりしてるのだろう。
その結果、大きな宿の規模に対して、少ない従業員では管理しきれず、放置されてる個所も目立ってきてるのだろう。
それでも、客室の窓からの眺めは良いし。
清流ぞいにある「使われてる露天風呂」も悪くない。↓
浴槽で立ち上がれば清流が見える点など、風流。↓
最盛期には、立ち寄り湯のお客さんもさぞかし多かったことだろう。
昼飯でカップ麺を食べるはめになったせいか、実は私は夕飯には期待してなかった。むしろ心配していた。大丈夫なのか?と。
だが、バイキング形式の夕飯は、量や種類は十分だった。満腹になったし。
あれほど館内がガラーンとして閑散として、客など他にいないのではないかと思ってたら、食事の時は、思ったより・・・・まるで降ってわいた(?)かのように客がポツポツといたので少々驚いた。
ちなみに、それらのお客さんは、この天人峡に着いて、どう時間を過ごしていたんだろう。
羽衣の滝には遊歩道ではいけないし、かといって滝見台への軽登山では、私は誰にも会わなかったし。
もしかして、夕方にこの宿にチェックインして、単に部屋でくつろいでいたり、風呂に入ったりしてただけなのかな??
ともあれ、私は自分以外の客がある程度いてくれたので、少しホッとした。
正直、ゆっくりと廃墟に向かっていってるような雰囲気を館内に感じていたから、なおさら。
一応「現役の宿」であることを実感したのが食事の時だった。
とはいえ、ゆっくりと廃墟に向かっていってるような雰囲気を感じたのは私だけではなかったようで、風呂場では「(廃墟に向かっていってるような館内の雰囲気の中で)一人で泊るのは、ちょっと怖いね」などと話していた客がいたことも事実ではあった・・。
このままいたら、いずれこの宿も廃業して、建物は本当に廃墟宿になってしまいそうな寂しさは・・・感じた。もし、この大きな宿が廃業して、放置されて、いずれ廃墟にでもなってしまったら、この宿の大きさからいって、かなり怖そうではある。
ともあれ、そうなると、ますます天人峡はさびれ、悪循環となり、いずれ宿などなくなってしまうのではないか。
だからこそ、一日も早く、羽衣の滝への遊歩道は再開してもらいたいし、できれば路線バスも復活してあげてほしいと思う。
宿が全館廃業になる前に。
まあ、そのためにはコストなどの問題はあるのであろうが・・・。なんとかしてあげられないのだろうか。羽衣をまとった天人にお願いするしかないのだろうか。
ともあれ、それが、寂れた天人峡を訪れた、切実な私の願いである。
このままじゃ、気の毒な気がしている。
天人峡自体は、清流や奇岩もあるし、観光地として魅力ある場所だと思うので、なおさら。
羽衣の滝なんて、人間に例えれば、絶世の美人だと思うし。
遊歩道が復活して、羽衣の滝のみならず、敷島の滝までも再び歩いて行けるようになれば、見どころの観光スポットのはず。
「天人」「羽衣」など、伝説を潜ませた、きれいな名前も魅力的。
↑ 見返り岩
ある意味、今回の私の旅行で、一番強烈な印象を受けたのが、この宿だったかもしれない。
旭岳の姿見散策や、天女ケ原湿原登山道、羽衣の滝も印象に残ったが、少しずつ廃墟に向かっていってるような、この宿のインパクトも強烈だった。
天人峡が、滝への遊歩道が復旧し、路線バスも復活し、観光客を取り戻す・・そんな日はいつ来るのだろうか。
翌日、人里の空は晴れあがっていた。
見れなかった旭岳山頂、豪雨で木道が水没して行けなかったわさび沼コース、そして寂れた天人峡への思いをたっぷり胸にしまいこみ、私は東京に帰る飛行機に乗った。
私が訪れた各地には、私の思いのかけらがすこしづつでも残っているかもしれない・・・
・・・・なんてネ(笑)。
でも最後に書いておきたい。
頑張れ、天人峡。
甦れ、天人峡。
、、、と。
長らく、この旅行記におつきあい下さり、ありがとうございました。
大雪山 旭岳・天人峡旅行記 おわり
道中、深夜には今思い出しても不思議かつ奇妙な怪現象にもよくあいました。
暫く、「近寄らない方がいい場所」として避けていましたが、土砂災害などの報道などがあり、今はどうなっているのだろう…と気になって検索してこちらの記事に辿り着き、細かな現状を拝見させていただきました。
有難うございました。
で… え?!
天人峡に行く途中で不思議で奇妙な怪現象が?
どんな現像なのか気になります。
しかも、よくあったとは…ますます気になります。
近寄らないほうがいい場所というと、つい心霊現像みたいなものを想像してしまいますが…。
あの一帯は心霊スポットになってるのでしょうか…。
ちなみにあの宿に泊まった時、すでに妖しい雰囲気は感じたものでした。
他の女性宿泊客などは、館内を不気味がってましたし。
なんでも、あの宿は、負債を抱え、その後売却されたという話を耳にしましたが…。
あの宿が放置されて廃墟になってしまったら、相当怖いと思います…。
天人峡は、景観はきれいなんですよ。心霊スポットになるのは、もったいないなあと思います。
自分はちょっとそういうモノが見えやすい体質で、、
天人峡へはもう20年前に旅行へ行って、
おそらく同じホテルに宿を取ったのですが、
チェックインの時からぞわぞわしていて、お風呂もお湯はとても良かったのに不気味、
ホント、食事の時は人間の温もりがあったんですが、
夜寝てるときにうなされて起こされて、ツレに
「大丈夫?」って言われて、
部屋にかかってる掛け軸からただならぬモノを感じて、
いやもう無理!!ってなって
真夜中に宿をチェックアウトしたとゆー思い出が鮮明に残ってますww
今廃墟でミステリースポットって…
やっぱりな( ´゚,_ゝ゚)フフ
でも、おやつで出されたとうもろこしのおいしさも同時に覚えてますし、羽衣の滝もすごかったし。。
残念な気持ちもあるのですが。。。
長々とお邪魔しました(o*。_。)oペコッ
時間のソトにようこそ。
こんな古い記事に書き込み下さりありがとうございます。
ところで・・・
え?!え?!
私も泊まったあの宿で、そんな体験があったのですか?
いやあ、ビックリ。
部屋に掛軸があったかどうかは全く覚えてません。
覚えてないということは、私はあの宿で心霊体験はしてないのでしょう。
ただ、私が行った時にはすでに半分廃墟になりかけてた頃なので、一種異様な雰囲気は感じました。
廃墟になりかけながら営業してた状態でしたから。
そうそう、バイキングの夕飯時にだけは、ぬくもりを感じましたし、ホッともしました。
のぞさんの体験された「ただならぬもの」というのが、一体どんなものだったのか、かなり気になります。
なまじ同じ宿に泊まっただけに、なおさら。
真夜中にもかかわらずチェックアウトしたなんて、尋常じゃないですね。
もし何かの機会があれば、その体験を教えていただきたいくらいです。
そう、夕飯は悪くなかったし、風呂の立地も悪くなかった。
でも、浴室全体の内観は、異様でした。