かつて存在した私のHP[時代屋小歌]の、旅編の記事を復刻しているブログ「時代屋小歌(旅編)」のほうで、新たに旅行記を1編復刻しました。
それは・・
「金田一温泉 座敷童の宿 緑風荘」です。
こちら ↓
1 「金田一温泉 座敷童の宿 緑風荘 1」 http://blog.livedoor.jp/syunka16/archives/2167819.html
2、「金田一温泉 座敷童の宿 緑風荘 2」 http://blog.livedoor.jp/syunka16/archives/2167896.html
この宿は、座敷童(ざしきわらし)のいる宿として有名でした。
特に、座敷童の出る部屋「えんじゅの間」は築何百年もの建物で、私はその部屋に泊りました。
その時はなんと!半年前の予約でとれました。こればかりは運が良かったとしか言えないでしょう。
というのも、その部屋に泊るには、ひところは数年待ちだったこともあったようだからです。
座敷童は妖怪とも幽霊とも言われてますが、いわゆる「福の神」で、童に出会うことができると、その人にはその後幸運が訪れると言われています。
その伝説に惹かれて、多数のファンから人気を集めていた宿でしたが、2009年に火事で建物は焼けてしまいました。
童が出ると言われていた「えんじゅの間」も・・です。
ただ、救いは、庭にあった「亀麿神社」だけは焼けなかったということでしょうか。
「亀麿(かめまろ)」というのは、その宿に出ると言われた座敷童の本名です。
で、亀麿神社は、その座敷童を祀っていた小さな神社でありました。
宿は全焼してしまいましたが、死者はゼロだったそうです。従業員も、宿泊客も、全員無事でした。ほんと、よかった。
もしかしたら、座敷童が守ってくれたのかもしれませんね。
その後しばらくこの宿は営業停止していたどうですが(まあ、やむをえないですね)、2016年に営業は再開されたそうです。
とはいえ、かつての建物が無くなってしまったのは事実で、私は寂しく悲しい気持ちでいっぱいです。
まだ緑風荘の昔の建物が健在だった頃に泊った体験を綴った私の旅行記は、その建物が無くなってしまった今となっては、貴重なものなのかもしれません。
少なくても私の心の中では、貴重な体験記であり、貴重な旅行記であり続けています。
私のこの旅行記を読んで、まだ緑風荘の古い建物が健在だった頃の様子を、少しでも皆さんに味わってもらえたら嬉しいです。
で、少しでも、かつてのこの宿への宿泊の疑似体験をしてもらえたら・・そんな願いを込めて、復刻します。
宿の従業員の皆さま、これからも頑張ってください。心から応援しています。
そして、これからもこの宿が愛されていくことを願っています。
かつてこの宿に泊った者としては、今でも座敷童はこの宿にいる・・・と信じたいと思っています。
とっても素敵な話でした。
だんぞうさんの奥様は、座敷わらしと接触があった!と信じたいですね。
それにしても、だんぞうさんが「座敷わらしが出てくる襖」と信じて、一点集中して、大変強く見つめていた話、とっても可愛らしくて仕方ないです(笑)
もしかしたら、そういう時、座敷わらしは、だんぞうさんの枕の真横にいて、クスクス笑っていたかもしれませんよ。
お手洗いに、みんなで立った時には、サッと姿を隠して…。
そして戻ってきて、襖を見つめ始めたら、座敷わらしは、また出てきて、だんぞうさんの枕元に(笑)
子供というのは、そういう可愛らしいこと、よくやりますからね。
それによると、人が待ち構えているとワラシはなかなか出てこないみたいです。
人がちょっと目を離した隙に出てくることが多いような気がします。
もしかしたら、ワラシは恥ずかしがりやなのかも(笑)。
だとしたら、緑風荘でワラシの出る部屋に泊まって、ワラシが出てくるはずの屏風を凝視してたんじや、出てこなかったのは仕方なかったかもしれません。
今は例の「なんだこれ○○○○ー」で俳優の原田龍二さんのが記憶に新しいかな。
でも、彼っていつも肝心要の時に寝ちゃってますね(笑)
まああの位無防備になって初めて出てきてくれるのかな〜とも考えてしまいます。
実は高校時代の友人の家にいました「座敷わらし」。
彼の家は漁港にあり、釣りが好きな私は何度も泊まりに行きました。
そのたびに色々おかしな体験をしました。
例えば夜中に寝てる布団の周りをぱたぱた走りまわる足音、髪の毛を引っ張られる、
布団をめくられる、耳に息をかけられる…最初は気のせいかとも思いましたが、
友人によるとそれが日常的だという事。
友人は座敷わらしという名前は使いませんでしたが、彼のおばあちゃんによると
こうした子供のイタズラのような事はもう何代も前から続いているという話。
「坊さん」というのがその呼び名で、幕末から地域の網元をしていた彼の家では
大事に…というより普通に接してきたそうです。
明治時代には大漁が続いたり、当地では珍しい鯨が獲れたりして大きな富を得ました。
当主は「坊さん」のおかげだと海に面した庭に祠を立てようとしたそうです。
でも、その夜当主の夢枕に「坊さん」らしき子供が現れ、
「祠なんぞいらん、わしがここにおる事を知ってくれておればそれで良い。
ただ家を建て替える時は小箱を作り、家が建ったら台所で燃やしてくれ…」
と言ったとか。
彼が中学生の頃、家を改築する際は箱を作り仮住まい先に持っていったそうです。
私はおばあちゃんに「座敷わらしってお金持ちにしてくれるんでしょ?」と聞きました。
するとおばあちゃんは笑いながら「ひい祖父さんの頃は大層な羽振りだったそうだけど
今はお金持ちじゃないね〜その代わりうちは大病や事故で亡くなった人がおらんの。
み〜んな老衰かぽっくりで亡くなってるのよ〜ほほほ」と…なるほど…
座敷わらしが家に幸福をもたらす存在だとすれば、
まさに「坊さん」は彼の家にとってのそれなのでしょうね。
でも彼の家に泊まったある夜、「坊さん」のイタズラで眠れない事がありました。
その時彼が天井に向かってぼそりとひと言…
「坊さん、あんまり悪さしとると、やいと(お灸の事)するぞ」
すると騒ぎはすっと収まりました。
信じるか信じないかはあなた次第です…というような話ですが、
体験した身としては、本当に不思議な思い出となっています。
そう言えば、彼のおばあちゃん、102歳の大往生でしたね。
ワラシの出る家や宿は、まだまだあるんですね。
あの番組見てると、ワラシは来訪者が待ち構えていると出てこない気がしますね。
原田さんが寝ると出てきますからね(笑)。
捨丸さんにはワラシ体験があったのですね。
坊さん、、、という呼び方は、初耳です。
きっと、日本全国には色々な呼び方があるんでしょうね。
そして家主になんらかの恩恵をもたらしてるんでしょうね。
守り神や福の神と言った「神様」扱いするのではなく、
自分ちの一番下の「子供」的なもののような気がしますね。
家でごちそう食べる時は子供用を一人前作って膳に並べる…
子供の日には小さい鯉幟をひとつ飾る…
笑ったのはクリスマスにはケーキと鶏の唐揚げ…
そんな日は「坊さん」がはしゃぐそうです。大変だろうな、あの勢いで騒がれたら…(笑)
普通に考えたら子供の幽霊が出る家なんて考えてしまうんですが、
彼の家にとっては「坊さん」は生活の一部なんでしょうね。
彼の家に最後に行ったのは10年位前。その時は泊まる事なくおいとましたのですが、
「坊さん」は相変わらずで、その頃飼い始めた猫とよく遊んでいるとの事でした。
この話を書いてて久しぶりに彼に連絡しようと思いました。
「坊さん」に会う事ももちろんですが、やはり諸々釣果が期待できるシーズンなので(笑)
家族の一員として普通に接して、存在を認められてることが一番嬉しかったのでしょう。
なんか、生前はおちゃめな人だったのかも。