時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

小林繁さんと、江川卓さん

2010年01月20日 | 日々の、あれこれ

元・巨人軍の江川投手は、色々な意味でターゲットにされてきた人だ。
本人の意思とは関係なく、そうならざるを得ない状況に、状況が動いてしまってきた感もある。

江川さんを取り巻く人の中に、私には忘れられない人が3人いる。

その中の一人が、小林繁さんだった。
江川さんが巨人に入団するまで、巨人の大エースだった投手。
素晴らしい投手だった。

多少ギクシャクしたようなサイドスローのピッチングモーションは、極めて個性的だった。
今のルールだと、2段モーション扱いされかねないフォームだった。
もっとも今なら、研究熱心な小林さんのこと、ルールに触れないフォームにしただろう。

その小林さんが、亡くなられた。

まだ若い。
驚いた。

小林さんと江川さんの因縁は、これまでにすでに色んな所で書かれているので、あえてここでは説明はしない。

互いに複雑な葛藤があったはず。

溝もあっただろう。
だが、数年前の某CMで小林さんと江川さんが共演するCMがあり、ファンとしては涙なくしては見れないCMだった。

こんなに早く亡くなられてしまうとは・・・・今思うと、あのCMがあって、本当によかった。
ファンとしても、あのCMを企画した人に感謝したい。
心から、ありがとうございます・・と言いたい。


あのCMでの小林さんの江川さんに対する接し方には、胸が熱くなった。
また、そんな小林さんに対する江川さんの態度にも、胸が熱くなった。

時間が・・・時間の経過が、あの二人をあそこに同席させることができたんだね。

今、小林さんが亡くなり、江川さんは「申し訳ない気持ちは変わらない」と語る。



小林さんも、江川さんも、あの時の傷をずっと引きずってきた・・ということは、あのCMで伝わってきた。

そう、互いに傷ついていた。

あの後、あのCMまでは二人が顔を合わせてじっくり話すということは・・・なかった。
あえて、避けてた部分もあったはず。


でも、時は来た。
あのCMでついに・・というか、やっと二人は顔を合わすことになり、しみじみと話す。
小林さんの顔は実に穏やかで、江川さんは実に神妙で。


互いに互いを気遣ってるのが分かった。

特に小林さんの優しい表情や口ぶりは、それが優しければ優しいほど、穏やかであればあるほど、江川さんには切なかったのではないだろうか。

そこには、単に「許す」とか「許さない」とか、そういうものを超越したものがあるように思えた。



で・・・


和解・・することができた。

少なくても、私にはそう見えた。



だが、和解しても、傷の痛みは、引きずるものは引きずる。

一生背負っていかねばならない傷も・・・ある。

多かれ少なかれ、誰にもそういうものはあるかもしれない。

で、そのことに触れられるたび、それを思い出すたびに、胸の傷が痛み、苦しんだりする。

その苦しみは、その人が生きてる限り、続いたりする。





この期に及んで、いまだに江川さんを罵倒する人。

そんな経験は、・・ありませんか?


いまだに江川さんを罵倒し続ける行動は、小林さんは望んでないと思います。

いつまで罵倒をし続けるのでしょうか。

これまで、お二人とも、あの件では人の想像以上に・・とてつもなく傷つき、苦しんできたのです。

トラウマになるくらいに。



もう、やめませんか。







今は・・

小林繁さん、安らかに。

これで、あの痛みから解放されてくれたら。




で。

江川さんにかかわった、私が忘れられない人物として、小林さん以外にも、もう二人いる。
もう一人は、西本聖さん。

巨人で、江川さんとエースの座を争った名投手だ。

実質的には、「二人のエース」が当時の巨人にはいたということだ。

相手が登板するときは、互いに「負けろ、打たれろ」と思ってたそうな。

両雄並び立たず・・とはよく言われる言葉だが、当時の巨人では、両雄が並び立っていた。
それも見事に。

現役時には、互いにほとんど口もきかない仲だったそうだ。

図式としては、エリートの江川さんに、雑草の西本さんが対抗心を燃やし、それが結果的に互いの切磋琢磨につながり、終わってみれば、二人でチームを支えてたことになった。

本人同士の互いへの感情はともかく、結果という意味では、互いを高めた最高のライバルであった。



で。


さらにもう一人。

それは、掛布雅之さん。

当時の阪神タイガースの主砲。文句なしに素晴らしいバッターだった。
いい場面で彼が出てくると、何かやらかしそうな・・見る人にスリルの予感を与えるオーラがあった。

当時の阪神には、岡田さんもいたし、バースさんもいたし、真弓さんもいた。
破壊力満点の打線だった。
バッターボックスに立った掛布さんは、その打線の中心・・核だった。
数字的にはバースさんのほうがすごかったかもしれないが、一番「不気味」さを相手に与えたのは掛布さんだったと思う。

敵とか味方とか関係なく、野球選手として、私としては、大好きなバッターだった。

そんな掛布さんと江川さんの対戦は「名勝負」と呼ばれた。

武士同士の一騎打ちを見てるような対戦だった。

真剣勝負でありながら、その真剣さを互いに楽しんでるようにも見えた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




小林繁さんの訃報を耳にし、驚愕すると共に、寂しく、悲しい気持ちでいっぱいです。


小林さんといえば・・・やはり、江川さんを思い出します。

で、江川さんといえば・・・小林さんを含む3人の人物が、私の頭に浮かぶのです。



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