早戸駅から只見線に乗って会津若松方面に向かった私だったが、実は終点の会津若松駅までは行かず、会津若松駅のひとつ前の駅「七日町」で降りた。
この駅の近くには、新選組の斉藤一(さいとうはじめ)の墓もあるし、ちょっと歩けば新選組資料館もある。
せっかく来たのだから、立ち寄らないのはもったいない。
斉藤一といえば、あの新選組きつての剣豪のひとりで、漫画「るろうに剣心」にも出てきた人物。
新選組の主要人物のひとりで、新選組ファンからの人気も高い。
そんな斉藤一の墓は、只見線の七日町駅の近くの阿弥陀寺にあった。
↑斉藤一は晩年「藤田五郎」と名乗り、明治の夜では警察官となり、72歳で胃潰瘍で亡くなったようだ。新選組のメンバーの中では長生きした人生だった。
↑新選組きつての剣豪のひとりであった斉藤一の墓。立派な墓だ。訪れる人は多いことだろう。新選組はファンが多いからね。
↑阿弥陀寺内には、かつて鶴ヶ城本丸内にあった建物、御三階。明治3年に鶴ヶ城から、この阿弥陀寺に移されたらしい。
↑御三階という建物は、城内では密議の場所として使われていた場所らしい。現在の鶴ヶ城は再建されたものだが、この櫓は本物の鶴ヶ城の遺構ということになる。
斉藤一の墓にお参りした後、私は町を歩き新選組資料館に行ってみた。
一階が土産物や新選組グッズ売り場になっており、二階が新選組関係の展示館になっていた。
この資料館は、割とこじんまりとした資料館。
この資料館と斉藤一の墓とセットにして旅ブランを考える人は多いことだろう。
↑七日町にあった会津新選組記念館。こじんまりとした資料館だが、斉藤一の墓に来たら、近くなので立ち寄っておこう。みやげものも多数売られていた。
↑新選組記念館の内部。ここは2階が展示室、1階が土産物屋になっていた。この写真は2階。
↑斉藤一は、こういう顔の人物だった。剣の達人が揃う新選組の中でも三番隊隊長をつとめ、撃剣の師範でもあったほどの実力派。
↑七日町を歩く。あいにく雨だった。
その後、巡回バスに乗って、鶴ヶ城へ。別名、会津若松城。
会津藩の象徴とも言うべき城だ。
幕末の戊辰戦争の悲劇の舞台になった城だ。
ここと、この周辺で戊辰戦争では、白虎隊や二本松少年隊をはじめ、あまりに多数の死者が出てしまったのだ。
大河ドラマ「八重の桜」の舞台でもあった。
また、修学旅行の旅先としてもお馴染みであろう。
↑鶴ヶ城に到着。会津戦争の悲劇の舞台。
↑会津若松に来たら、やはり鶴ヶ城は訪ねておきたいよね。
↑手始めに堀を撮ってみた。深さは3.5メートルほどだそうな。
↑「鶴ヶ城」、別名「会津若松城」天守閣。
↑戊辰戦争の時にはポロボロにされた。現在の鶴ヶ城は再建されたもの。
↑館内は、戊辰戦争の経緯が細かく説明されていた。関連人物の説明と共に。
中では戊辰戦争での会津藩の戦いぶりや、その経緯が細かく解説されていた。
よくここまで詳細な記録が残ってるなあと感心するほど。
また、その戦いでの関連人物に関しても、細かく解説されていた。
城自体は戊辰戦争でボロボロになり、その後取り壊された。
その後、昭和40年(1965年)には天守閣が再建され、その後茶室や隅櫓なども復元され、今の会津若松城(鶴ヶ城)があるらしい。
古写真では、会津戦争時の、ボロボロにされた会津若松城の写真も残されており、見るとかなり痛々しい。
↑最上階まで上がってきた。外国人も多かった。
↑天守閣の最上階からの眺め1。幕末維新の頃の未来に僕らは立っているのかな?
↑鶴ヶ城の最上階からの眺め2。戊辰戦争の時、人々はどんな思いで空を見てたのだろう。
↑鶴ヶ城最上階からの眺め3。戊辰戦争では白虎隊や二本松少年隊などの少年たちも戦った。
↑鶴ヶ城最上階からの眺め4。豪雨というほどの雨ではなかったのが救い。
↑鶴ヶ城最上階からの眺め5。この屋根を忍者が走ったことはあったのかな?
↑鶴ヶ城最上階からの眺め6。広がる会津若松の町。
↑鶴ヶ城最上階からの眺め7。 靄に包まれる遠望の山々。
↑鶴ヶ城最上階からの眺め8。「八重の桜」の新島八重も、薙刀の女剣士・中野竹子もこの地で戦った。
↑会津若松の定番スポットが、ここ鶴ヶ城であろう。雨天でしかもこの日は平日だったのに、けっこう賑わっていた。
↑鶴ヶ城稲荷神社。
一通り会津若松城の仲を見てまわったあと、近くの食事処で昼めしをとった。
会津に来たからには、やはり喜多方ラーメンを食べたかったが、それとはべつに会津ラーメンというのも現地名物だと思ったので、昼めしは会津ラーメンを食べてみることにした。
まあ、喜多方ラーメンは全国的に有名なので、翌日に食べることも可能であろうとも思って。
↑会津若松といえば喜多方ラーメンが有名だが、会津ラーメンというものもある。せっかくなので会津ラーメンを食べてみた。懐かしい感じのラーメンだった。
予定よりやや遅めの時間帯の昼飯になったが、その後はタクシーで、この日の宿に向かった。
城からはやや離れてる場所にある宿だったし、ルートもよくわからなかったので、タクシー移動は予定通り。
この日の宿は、前日の宿とは対象的に現代的な建物の宿だった。
食事はバイキングで、不満なし。
この日も風呂は温泉。湯温は適度。
バイキング会場では、部屋用の氷も貰え、このへん満足。
昨夜もこの日の夜もいっさいテレビはつけなかった。
窓の外にはやや遠目に田んぼが広がり、カエルの合唱があたりに響いていた。
人によってはカエルの合唱を雑音に感じる人もいるらしいが、私にとってはのどかな合唱に感じられた。
↑大江戸温泉物語あいづ。大温泉物語の系列の宿は各地に増えてるね。
↑宿の客間の窓から見えた風景。一面の田んぼを見下ろす空は、雲と陽光の加減が印象的だった。
私は、福島県に行ったことがないのであまりそちらのほうはよくわからないんですが、いつか機会があったら訪れたい場所ですね。
この日は平日でしたが、賑わってました。
外国人も多かったです。
幕末維新の時代の中では悲劇の舞台になった場所ですよね。
福島は温泉が豊富なので、きっと楽しめると思います。
ぜひ!