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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

短調の曲が少ない

2012年04月03日 | 音楽活動

小学校の時から今まで趣味で曲を作ってきて、自分の作ってきた曲を思い出し、ふと思うことがある。

それは、短調の曲が、長調の曲に比べて少ない・・ということ。

それなりに短調の曲も作ってきてるのだが、長調の曲と短調の曲の数を比較すると、やはり短調の曲のほうが少ない。

それは、ずいぶん前から自分で気づいていることで、意識して短調の曲を作ることもある。

自分の中から自然に浮かんでくる曲を、メモ録音したりすると、それは無意識のうちに長調になっていたりすることが多い。

もちろん、短調の曲が、自然に浮かんでくることもあるのだが。

それは、ギターを無意識のうちに手にした時に、つい無意識のうちに押さえてしまうコードというものがあり、それはたいがいメジャーコードであることが多いのが影響してるのかもしれない。

案外、短調の曲ができる時は、ギターを弾いて作るのではなく、頭の中に浮かんできたメロディにコードをつけて出来る場合が多い。

そう、短調の曲は、ギターを弾きながら作るというよりも、まず先に頭の中にメロディが浮かんでいる場合が多いのだ。

 

自分としては、短調の曲よりも長調の曲の方が好き・・ということはないのだが・・。

 

私が好きになったミュージシャンは、長調の曲の割合が高いミュージシャンが多かった気がする。

とはいえ、私が好きになったミュージシャンは、ちゃんと短調の曲にも名曲を残していた。

というより、長調の曲を作ることが多いミュージシャンが、たまに短調の曲を作ると、それは大傑作だったりもした。

その分かりやすい例が、ブライアン・ウィルソンだった。

彼がビーチボーイズ名義で作ってきた曲は、・・というか、ビーチボーイズのレパートリーのほとんどが長調の曲である。

だが、ビーチボーイズが珍しくマイナーキーで始まる構成で作った曲「グッド・バイブレーション」は、とびぬけた超名曲であった。

ビーチボーイズといえば長調の曲のイメージが強かったので、「グッド・バイブレーション」を聴いた時は、すごく新鮮だったし、異色にも思えたものだった。

今でも、あの曲は、ビーチボーイズの曲の中では異彩を放っている気がするし、その素晴らしさを私は敬愛してやまない。

 

先ほど「私が好きになったミュージシャンは、長調の曲の割合が高いミュージシャンが多かった」と書いたが、もちろん、短調の曲の素晴らしさが目立つミュージシャンもいた。

洋楽では、ハードロックやプログレに、短調の素晴らしい曲が多かった気がする。

例えばハードロックでは、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」、ユーライヤ・ヒープの「ジュライ・モーニング」、グランドファンクの「ハートブレイカー」、レインボーの「スターゲイザー」、その他。

プログレでは、マイク・オールドフィールド(当時彼はプログレ扱いされていた)の「オマドーン」、ピンク・フロイドの「エコーズ」、キャメルの「ゆるやかな飛行」、などなど、その他。

邦楽では、なんといっても!

井上陽水さんだった。

ともかく陽水さんのアルバムを聴いた時は、その短調曲の多さに目を見張ったし、しかも名曲ぞろいだった。

陽水さんの初期のアルバムでは、短調曲の素晴らしさや、威力にうちのめされた思いだった。

「傘がない」「人生が二度あれば」「白い船」「夏まつり」「夜のバス」「東へ西へ」「いつのまにか少女は」「心もよう」「桜3月散歩道」その他、その他。

これでもかこれでもか・・というぐらい、短調の名曲が連続で出てきた。

こうまで短調曲を揃え、しかも名曲ぞろいのミュージシャンは、私にとって衝撃であり、その短調曲の洪水は圧巻だった。

で、大きな影響を受けた。

 

陽水さんに影響されてた頃に私が作った「自作曲カセット」には、短調の自作曲が大半。それだけ、陽水さんに心酔した頃に私は短調の曲を作りまくっていた・・といことだ。

それまでの私の「自作曲カセット」には長調の曲が多かったのだが、陽水さんの音楽に触れた途端、短調の自作曲が私は増えたのだった。

つくづく私って奴は、心酔したミュージシャンの影響を受けやすいたちだった・・ということなのだろう(笑)。

 

その後。

色んな音楽を聴きまくるにつれ、私の自作曲は、また長調の曲の割合のほうが多くなっていった。

だが、陽水さんから受けた「短調曲の魅力」の影響は、しっかり自分の心の襞に刻まれている。

 

今では、長調の曲が多めではあるが、長調の曲を作るのが続いた時には、あえて意識して短調の曲を作るようにしている。

 

20代の頃に組んでたポップスバンドでは、短調の曲はなかった。

なんというか、バンドの方針として、短調の曲は避けていた感がある。

それは、そのバンドで短調の曲を作ったら、歌謡曲みたいになってしまいそうだったから。

私は歌謡曲も嫌いではなかったのだが、バンドの方向としては、そういう路線は避けていた・・そんな感じ。

 

だが、今となっては、そういうバンドが、レパートリーのセレクトをして、練って短調の曲を作りあげたら、もしかしたら代表曲みたいな曲になっていたかもしれない・・・などと思ったりすることがある。

割と短調の曲は悲しかったり、重かったり、暗かったりすることがあるが、そうはならない短調の曲なら、ポップスバンドでは大化けしそうな気はする。

 

 

 

 

 

 

 


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