私が初めてライブに出たのは、高校1年か2年の時。
どういういきさつや経緯でそのライブに出ることになったのかは、もう覚えていない。
出たライブ会場は、どこかのレコード店の中の小さなライブスペースだった。持ち時間がどれくらいだったのかも忘れたが、多分20分くらいだったかもしれない。
それくらいの持ち時間で、選曲も自由なら、今なら自作曲4曲くらいでメニューをまとめると思う。
だがその頃は自作曲を人前で歌うのはテレがあったし、自作曲がどれほど私を知らない人に受け入れられるかはまったくの未知数。
とはいっても、せっかくの機会なので、自作曲も聴いてもらいたい。
なので多分自作曲は1〜2曲入れ、あと2曲はボブディランの曲と友部正人さんの曲を歌った。
歌った友部正人さんの曲は「一本道」という曲で、ディランの曲は、「ライクアローリングストーン」だったと思う。
そのうち、「ライクアローリングストーン」はラスト曲で、バックバンドがついてくれた。中学時代の音楽友達がバックをつとめてくれたと思う。
あくまでもその時限りのサポートで。
で、自作曲もやったのだが、そのうち1曲ははっきり覚えている。
確か「人生通り」という、演歌みたいなタイトルの自作曲で、高校1年になったばかりの頃に作っだ曲。
タイトルは演歌みたいだが、曲調はかなりディランの影響を受けた曲で、具体的にはディランの「自由の鐘」という曲に自分なりにインスパイアされてできた曲だった。
もっとも、出来上がってみれは、「自由の鐘」とは程遠い感じの曲になったけど。
ただ、歌詞の方は、ディランの影響でけっこう小難しい内容の曲だった。
たかだか15才か16才の若僧が歌うには相当背伸びしたような歌詞だった。
そんな曲を、生涯初めてのライブで歌ってしまったもんだから、ほとんどお客さんからは反応はなかった。
私自身、ガチガチに緊張していた。
曲と曲の間に何かしゃべったかどうかも覚えてない。
ただただ緊張し、顔はこわばっていたかもしれない。
そんな私を憐れんでくれたのか、客席にいた同級生の女の子が「だんぞう君、頑張って」と声をかけてくれた。見かねたかのように。
その子は私の最後の曲でバックをサポートしてくれたドラマーのファンの女の子だった。なにしろ、そのドラマーは学校でも人気あったから。
決して私に特別な関心があったとは思えない。それは私自身わかっていた。
たがその子は、緊張でガチガチになってた私に同情してくれたのだろう。それはステージ上でも私自身わかった。嬉しくもあったのだが、反面自分自身が情けなくもあった。
最後の「ライクアローリングスドー」でバンドサウンドになり、音量でごまかしたかのように、生涯初めての私のライブは終わった。
そしてその後は、他の出演者たちのライブを客として見た私。
後続の出演者たちのライブを見れば見るほど、皆さん私よりうまく思えて、いたたまれなくなった。
ライブの終盤には、弾き語りの小学生が登場。
小学生だけあって、ギター演奏も歌も、多くは望めないパフォーマンスだった。
だが、その小学生には、幼さと将来性という大きな武器があった。見た目は子供だったから。
私だってまだ高校生だったのに、子供の若さにはかなわない。
客は、「小学生でこれだけできれば、将来すごくなりそうだ」「将来有望だね」と言いながら暖かく見ていた。
この瞬間、私は子供にも負けたと思った。
ライブのラストには、当時人気のあったガロというグループをコピーしたグループが登場。バッチリ、コーラスが決まっていた。
私はともかくいたたまれないほど敗北感を感じ、その場からいなくなりたかった。
気がついたら、ライブ終了と共に、恥ずかしくなってその場から、そそくさと去ってしまっていた。
本当、気分は負け犬だった。
世の中で1番ヘタなのは自分だろうと思った。
「やらかしてしまった・・」そんな心境。
それ以来、人前で演奏することはトラウマになり、ライブ出演には恐怖を感じ、客の前で演奏するのは考えなくなった。
そんな状態はその後しばらく続いた。
やがて、高校の音楽仲間たちと音楽グループを結成。
そのグループの活動は、多重録音でカセットアルバムを作ることだった。
それなら、人前で生演奏するわけではないから、リラックスして活動でき、ひたすら楽しかった。
やがてカセットアルバムは完成し、新たなメンバーも入ってきて、コーラスの練習もするようになった。
ても、部外者が見て我々がどれくらいのレベルなのかはわからなかった。
ともかく私は、お客さんの前ではやりたくなかった。
そんなある日、メンバーのひとりの家の近くの喫茶店に行ったら、狭いながらもステージがあり、店内には客もいなかったし、練習がてらグループの皆でそこで歌ってみた。
そしたら、店長には好評で、客前での出演も考えてくれたようだった。
ここで、やっと生涯初めてのライブで味わった敗北感や挫折や恐怖が薄らいだ気がした。
そしてそれは、大学に行って音楽サークルに入り、人前で演奏することができることに繋がったと思う。
精神的な回復には時間がかかった。
だが生涯初めてのライブての挫折感は今でもよく覚えてる。しばらく、音楽はやりたくないという気分になったから。
ともかく私の生涯最初のライブは、はなはた悲惨な体験に終わったのを、今も覚えている。しばらくトラウマになったくらい。
私の場合、生涯初めての音楽ライブが基本的に弾き語りのライブだったから、余計に緊張したのかもしれない。
弾き語りの場合、そのパフォーマンスの出来は全て自分自身にかえってくるわけだから。
これがバンドみたいに緊張感を分かち合える仲間がいたら、緊張感は分散できたのだろう。
実際に、ラスト曲だけはバックメンバーがついてくれたお陰で、最後は多少救われたけれど。
音楽をやる側の方、貴方の生涯初めての人前でのライブは、どうでした?
その時のことは、よく覚えてますか?
大学1年の時に、地元のテレビ局の主催するアマチュアコンテストに、いきなり1人でピアノの弾き語りで出たんです。岸田智史さんがゲストだったかな。あの時は思いっきり上がりましたね。でも、それが縁で初めて組んだバンドメンバーに出会えたんですけどね。
実は、ここだけの話、明日カフェで17年ぶりにピアノの弾き語りをするんですよ。うまくできる気がしません。絶対上がりそうです。
まぁ、ことの顛末はまたブログに書きます。
弾き語りだと、ごまかしが効かないですもんね。
バンドの良い点は、緊張感を仲間とわかちあえることです。でも弾き語りだとそうはいかないから、プレッシャーは大きいですよね。
うまくいけば、拍手を独り占めできるけど、うまくいかなかった時は責めはぜんぶ自分にかえってきます。
まあ、その分やりがいもあるのかもしれませんが。
カフェで弾き語りを?
おお、頑張ってね!応援してます。