今更ではあるが、2011年のNHK大河ドラマ「江」について触れてみたい。
大河は私の中で「見る習慣」が出来上がっているので、「江」も最初から最後まで見届けた。
とはいっても、数話分見逃した回はある。
でも、数話だけなので、全体の物語の流れは見届けた・・と言ってもいいだろうとは思っている。
実は大河「江」には、元々さほど興味があったわけではなかった。
でも、まあ、見始めたら、それなりに見てしまった。
私的には・・・「う~~ん、どうだろう」的な感想を持っている。
今思うと・・・やはり、江を大河の主役にするのは、少し無理があったんじゃないかなあ。
前年の大河主役は男性だったので、今作では女性を大河に主役にしたかったのは分かるが・・。
確かに序盤は波乱の展開だった。
だが中盤・終盤は、主役にするのは、少ししんどかったと思えている。
歴史・・という大きな流れの中で、江は中盤以後は物語の中心にはなれなかった気がする。
立場的に、歴史の動乱の中心人物の近くにいたのは確かだし、その中心人物にかかわることはできても、歴史の流れの中では、どうしても諦観者的立場になってしまう。
主役であるから、天下人たる秀吉にからめたりするのはいいのだが、天下人となった秀吉との関係は「こんな対等の会話は、ありえないと思うなあ」と思ったこともしばしば。
また、秀吉を中心に話が進む時、江を無理にからませようとして、その結果、江が「盗み聞き」するシーンが多く、どうも気になった。
これではまるで「盗み聞きの江」ではないか・・と思った。
きっと本当はそこには江はからんでいないのだろう、でも主役に据えてるからからませないわけにはいかない、となると「盗み聞き」させて、からませるしかない・・そんな展開が目立った。
密談を交わしてる時に、人の気配がして、見てみたら物陰に江がいて、盗み聞きしてた・・そんなシーンが、個人的に気になってしかたなかった。
主役に、そんな盗み聞きばかりさせてほしくないなあ・・・。盗み聞きは、決してほめられた行為じゃないから・・。
また、江にはシーンへの唐突な登場もあったなあ。無理に・・というか強引にそのシーンに登場させたような感じで。
そういう場面を見てると、やはり江を大河という長丁場の歴史ドラマの中で主役にするには、つらさを感じたっけ。
後半は、江は基本的に屋敷の中にいるから、シチュエーションとしては屋敷の中での「立ったり坐ったり」の芝居の繰り返しをするしかない。
まあ、それは仕方ない。
時代の歴史は屋敷の外で動いている。
なまじこのドラマが、歴史の流れが大事な要素になっていただけに、それに江があまり関わった記載が歴史上残っていないのなら、主役としては・・やはりしんどく思えてならなかった。
からませようとすると、前述の通り、どうしても無理を感じて。
これはあくまでも、個人的な感じ方であって、それを押し付けるつもりは全くないけど・・。
ただ、役者さんたちは、皆精一杯頑張っていたと思う。お疲れさまでした。
特に、序盤のトヨエツさんの信長は好きだった。
信長ってのは・・・脇役にはなりにくい人だね、ホント。
主役に信長がからんできてしまうと、その存在感、立ち居振る舞い、行動、言葉、成し遂げたこと・・などを考えると、どうしても主役がかすんでしまうほどの強烈オーラを放つ人物だと思う。
少し辛口の感想になってしまったかもしれないが、一年という長丁場を、注目度の高い大河ドラマ製作に 関わるスタッフも大変だったとは思う。
役者さん達だけでなく、スタッフの皆さんにも、お疲れ様と言っておきたい。
ともあれ、今は清盛。
私は平清盛に関しては、あまり詳しくない。
ある程度生涯や人物同士の相関関係を知ってる人物だと、ドラマを見ていて「こんなのはありえない」などとツッコミを入れたくなってしまう時があるが、あまり生涯を知らない人物だと、なまじ知らないぶんだけ気軽に楽しめる部分はある。
役者さんたちも、スタッフの皆さんも、頑張ってください。
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