時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

日向ぼっこをしてた祖母

2021年09月03日 | 懐かしい系、あれこれ

私が小学生時代、私の部屋に祖母が滞在していた時期があった。

私の部屋・・・と言っても、完全に私個人の部屋というほどではなく、家の食堂とは直につながっていたし、一応食堂と部屋をしきるドアはあったのだが、そのドアを閉めているということは、ほとんどなかった。

なので、食堂と私の部屋は直接繋がっていて、同じ一室の中・・・そんな感じであった。

 

あえて「私の部屋」という言い方をしたのは、その部屋に私の机があったからだった。あと、寝る時はその部屋だったからだった。

 

 

祖母は基本は地方に暮らしていたのだが、たまに東京に出てくることもあった。

祖父はとうに亡くなっており、地方の一軒家に年老いた祖母が1人暮らしでいることを心配した私の母が、たまに祖母を田舎から東京に呼び寄せていたのかもしれない。

 

 

ある日の昼下がり。

私は自分の部屋で机に向かっていた。宿題でもやっていたのだろう、きっと。

私は勉強するより自作の漫画を描いているほうが好きだったので、机に向かって宿題をやるのは、それなりに嫌だったのだと思う。

そんな時、部屋の窓を見ると、祖母が窓際の畳の上に座って、日向ぼっこをしていた。

穏やかな日差しを浴びて、なんとものんびりできているように見えた。

 

嫌な宿題をやってる横で、祖母がまったりと窓際で日向ぼっごしてた・・そんな状況の中で、私は祖母が羨ましかった。

誰かから「勉強しなさい」と言われることもなく、のんびりと窓際に座っていられるのだから。

祖母は学校にも行く必要がないし、家事は母がやってくれてたし、ただただ窓際で何もせずにのんびりしてればいいのだ。

自分もお爺さんになったら、ああいう風に時を過ごせるようになるのかな・・・と思ったりした。のんびりと。

 

 

その後年月は過ぎ去り。何十年も。

祖母はとうに亡くなり。

私は学校はとうの昔に卒業し、社会人になった。

いずれ私も仕事を完全引退し、家でのんびり過ごす時期が来るのかもしれない。

 

で、今。

あの時の祖母のことを思い出すと、ふと思うことがあるのだ。

 

少年だった私から見たら、あの時の祖母は幸せそうに思えたし、羨ましくもあった。

だが、当の祖母にとっては、ああいう状況は幸せな時間だったのだろうか。楽しい時間だったのだろうか。

 

祖母は田舎から東京に出てきて、私の家にいるわけで、家の周りに知り合いは一切いない。

家のまわりの町のことも把握できてなかったのではないか。町にどんな店があって、町のどこかにどんな場所があるかもよく把握はしてなかったのではないか。

祖母は、文明の利器の使い方も良く知らなかったので(田舎にはないような機器があったから)家の中で何かをして遊ぶということもなかった。

家の中に何か趣味らしいものがあるようにも見えなかった。

家事は私の母がやっていたので、祖母は何もやることがなかった。

なれない東京のせいなのか、あまり外出もしていなかったと思う。

たまに散歩の外出ぐらいがあったぐらいで。

 

祖母は、ただただ何もやることがなく、孫(私のこと)の部屋の片隅にいて、勉強をやってる孫のそばで無言で窓際で日向ぼっこをしてただけなのだ。

 

それって・・楽しい時間だったのだろうか。

 

 

今もし私が、当時の祖母と同じ場所に、同じ環境で、同じ状況でひとりいたら、その状況を楽しいと思うだろうか。

それは・・同じ状況に置かれてみないとわからない。

 

 

ただ、少年だんぞうが羨ましがったほどには、あの時の祖母の状況は素晴らしいものではなかったかもしれない。もちろん、祖母の性格は私の性格とは違うから、祖母はあれはあれなりに幸せな時間だったのかもしれない。

だが、私があの時の祖母だったら・・・退屈なだけかもしれない。

 

人からみたら退屈そうに見える状況でも、当人にとってはそれが楽しいものである場合もあるだろう。

だから、なんともいえないのだ。

 

祖母は田舎にいれば、一軒家に1人暮らしだ。それは寂しいことかもしれない。

だが、1人暮らしを「気楽でいい」と思える人だっている。

また、仮に祖母が田舎で1人暮らしで寂しく思っていたとしても、家の周りには知ってる人が何人も住んでたはずだ。

また、祖母が暮らす町のこともよくわかっていたはず。町のどこにどういう店があって、どういう場所があって・・ということも知ってたはず。

都心みたいに家が密集もしていないので、空は広いし、都心みたいにギスギスしたものもなかったかもしれない。

代わりに近所づきあいというものはあったかもしれないが、それをうっとうしく思う人もいれば、逆に心強く思う人もいるだろう。

 

 

あの時の祖母の「感じ方」がどういうものであったかは、今となってはもうわからない。

聞きようもない。

 

ただ・・それなりに年齢を重ねてきた今の私としては、「あの時の祖母」は、当時少年だんぞうが羨ましく思えたほどには羨ましい時間ではなかったのではないか・・・と思えてしまっている。

 

何もすることがなく、ただただ日向ぼっこをしながら、のんびりと時間を過ごす。

それをどう感じるかは、人それぞれなのだろう。

それを幸せと思える人もいれば、退屈でつまらないと思う人もいるのだろうし。

 

ちなみにそんな時間を、旅先で過ごせると、私はとても幸せに感じる。

「何もしない贅沢」を感じて。

 

 

とりあえず、あの時流れていた時間というものは、私にはとても穏やかには感じられてはいた。それだけは確かだ。

 

人生の、とあるシーンを思い出して、年齢と共に感じ方の違いが出てくることって・・・確実にある。


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