学生の頃、当時の知り合いが小説の同人誌を発行していた。
その同人誌には、当時それなりに知られた作家も記事を寄稿していた。
「へえ、あの作家もこの同人誌に寄稿してるのか」と思った私は、なんとなく興味を持ち、その同人誌に私も小説を投稿させてもらった。
音楽活動では作曲の他に作詞もやっていたこともあり、文章を書くのが好きだった私は短編小説を書いた。勢いで一気に書き上げ、その後少しづつ訂正して。
小説を書くことに、まったく抵抗はなかった。というのは、小学校時代に漫画家志望だった私は、当時オリジナル漫画の他に「絵物語」のまねごとみたいな作品も描いていたからだったと思う。
で、私の書いた短編小説は、その同人誌には割とあっけなく掲載された。
高校の頃、エドガー・アラン・ポーの小説が好きで、全集を読み干していたせいか、私がその時書いた短編小説はポーの影響を受けた内容だった。
当時としては、友人たちからの評価は決して悪くなかったとは思う。
私が当時書いたその小説を読んでくれた先輩の中には、作家を志していた人もおり、その人には「だんぞう君の小説は、詩を書いてた人の文章だね」と言われた覚えがある。
ずばり、見抜かれてしまった気がした(笑)。
また、当時はベルレーヌ、ランボー、ボードレール、中原中也などの詩集も読んでたし、ボブ・ディランの詩集も何度も読みふけっていた。
特にボードレールと中原中也の詩集には、それなりに感化されてたと思う。ディランからの影響ももちろん。
なので、私の書いた短編小説が「詩を書いてた人の文章だね」と評されたのは、素直に自分でも理解できた。
その後、それに味をしめた私は、別の友人たちが作っていた同人誌にも新たな小説を投稿したりした。
その作品は、多少は長い物語で、地球空洞説を題材にした冒険小説であり、なおかつ猟奇的な要素もあるものであった。
その作品は、周りからの反響は・・ほぼなかった(笑)。
それに落胆し、それ以来同人誌に小説を投稿したことはない。
まあ、何事も、そうそう甘いものではないのだということを痛感。
家で、遊びで何作か小説を書き始めたりはしたが、長続きはしなかった。
最初に私が小説を投稿した知人とは、入学当時には交流はあったものの、それ以来は普段あまり顔を合わす機会はなく、社会人になってからは、その人の消息すら耳にすることはなかった。
で・・いつしか私はその人のことを思いだすことはなくなっていった。
誤解されないように書いておくが、特に仲たがいした覚えはないし、ぶつかったこともなかった。
単に、顔を合わす機会がなくなって、交流が途絶えた・・・そんな感じだ。
だが。
近年、学生時代の級友と何十年ぶりかで再会した時、私がはじめて同人誌に小説を投稿したきっかけになった人のその後の消息を耳にすることになった。
で、驚愕。
なんと・・・その人は・・・後に演歌歌手になったらしい!!!
いやはやビックリとはこのことだ。
学生時代、その人と交流があった時、その人の口から演歌好きであることを聞かされたことはなかった。
だから余計にビックリ。
多分当時音楽の話題でも出てたら、その人が演歌好きであったことがわかったかもしれないが・・。
演歌が好きじゃない人が演歌歌手になどなるわけがないし、おそらく元々演歌が好きだったのだろう。
私にとっては珍しく、音楽抜きでの交流だったのだろう。
もしも、私がその人のツテで同人誌に小説を投稿した時に、その人と音楽談義の機会があったら、きっと演歌の話はでたのだろう。
当時私のまわりに音楽好きな人は多数いたが、演歌好きな人はいなかった。
だとすると、音楽談義で唯一演歌のことを話す相手になったはず。
そうなったら・・・私はどんな影響を受けたのだろう。
当時私は、演歌には興味はなかった。
演歌の話題も立派に音楽談義のひとつ。そこから何かしら得るものはあったとは思う。
だとすると、私の作る曲も演歌っぽい曲が増えたのかもしれない。
増えた・・・というのは、遊びで演歌っぽい曲を作ることは、元々あったからだ。
ともあれ。
私が初めて小説の同人誌に小説を投稿したきっかけになった人が、その後まさか演歌歌手になろうとは・・・。
ちなみに・・演歌歌手としては決して有名な人ではないし、今でも演歌歌手を続けているのかどうかもわからない。
あれから何十年もの月が過ぎているしね・・・。
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