バンドで大成功した人たちが、やがてソロになると、バンド時代ほどの評価を受けないことがある。全てではないけど。
そのバンドが成功したバンドであればあるほど、ソロになった時の楽曲やアルバムなどはバンド時代の楽曲と比較されがちだ。
で、ファンは、ソロになったそのミュージシャンに対して、バンド時代の完成度と同等のものを求めてしまう。
また、成功度という面でも、バンド時代と比較してしまう。
昔、アメリカの一流バンドのメンバーだった人がソロになってからの活動では、何組かのミュージシャンが出演するライブの出演者リストの中では、バンド時代ほどの優先度では名前を表記されていないことがあった。
バンド時代は、そういうライブではメインの存在で、出演者リストの中では上位にそのバンド名が表記されていたのに、ソロになってからは表記順が思ったほど高くなかったり、へたしたらメイン出演者の前座的な存在になってたこともあった。
シビアだなあ・・・と思ったものだった。
バンド時代は、そのバンド名は有名でも、ソロになってからの単独名義の知名度はバンドほど高くなかったりすると、ライブの主催者は集客の際にどうしても知名度の高い出演者のほうを表記では優先するのだろう。
まあ、ソロとしての知名度はともかく、ソロアルバムの内容では非常に充実している人もいる。
だがその反面、ソロになってからのアルバムでは、バンド時代と比較すると、どうも物足りなく感じられるケースもある。
バンド時代は、バンドの方針や方向性などで、一定の縛りはあることはある。
でもソロになると、バンド時代のような束縛はない。自由にやれる。
自分のやりたいことをやりたいようにやることができる。
少なくても最初は。
それなら、むしろのびのびやれるソロの方が内容は充実してもおかしくない。
事実、それができてる人もいる。でも、そうなっていない場合もある。
ではなぜそういうケースがあるのだろう。
ちょっと考えてみた。
それは・・バンド時代にいた「ダメだし」をしてくれる人がいない場合があるのではないか。
もちろん、レコーディングにはプロデューサーという人もいるわけだし、ミュージシャンはプロデューサーに相談して、場合によってはプロデューサーにダメだしされることもあるだろう。
だが、同じ「ダメだし」でも、同じバンド内のメンバーの場合は、そのメンバーもその曲を実際に演奏したり、コーラスなどで参加したりする「やる側」である。
プロデューサーが、映画や演劇で言えば監督みたいな立場だとしたら、同じバンド内のメンバーというのは「出演者同士」である。
どうも私の中では同じ「ダメだし」でも、監督からのダメだしと出演者同士からのダメだしでは、若干違う感覚がある。
出演者同士からのダメだしのほうが、より身近というか、生っぽい感覚があるのだ。
まあ、これは私だけなのかもしれない。
曲って、できたばかりの頃はちょっとした興奮状態みたいなものがあるので、クールな見方が自分でできていないことがある。
興奮状態の中にあるから自分では傑作だと思っても、他の人にとってはそうではなかったりする。
他の人の方が客観的に見えていたりする。
で、イマイチと言われると、その場では作者としては落胆するが、それから時間が経過すると、後になって自分でも「やはりあの曲はイマイチだったなあ」と思うこともあった。
だから、出来たばかりの頃こそ、「同じ出演者」の忌憚ない意見は大事なのだと思う。
そこでは褒めてもらえることもあろう。でも、遠慮なくダメだしをされることもある。
バンドだと、そういう環境がある。
だがソロになってしまうと、プロデューサーを別にすれば、あとはギャラをもらって演奏してくれるスタジオミュージシャンが演奏することになる。
スタジオミュージシャンは「雇われた」立場。だから、バンドメンバーのような忌憚ない意見は言いづらい。
ダメだしをすることは、めったにないのではないか。よほど親しければともかく。
ソロだとやりたい曲をやりたいようにやることができるが、バンド仲間のようなダメだしをしてくれる人がいないぶん、あまり出来がよくない曲でも自由に選べてしまうことができる。
そのへんに、出来上がったアルバムにバンド時代ほどの良さを感じなかったりすることがあるのかもしれない。
ふと、そんなことを思うことが・・・ある。
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