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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

映画「妖怪人間ベラ」を見てみた

2022年02月24日 | レビュー(テレビ、ゲーム、本、映画、その他)

 

先日、レンタル屋さんで、ちょっと興味を引かれた映画のDVDがあったので、借りてきて見てみた。

まず、なんといってもそのタイトルに引かれた。

そのタイトルとは「妖怪人間ベラ」。

 

妖怪人間・・といえば今から何十年も前にテレビアニメで制作された「妖怪人間ベム」、そして平成の時代に制作された実写ドラマ「妖怪人間ベム」がお馴染み。

私はどちらも見ていたし、どちらも好きだった。

 

で、ベラというのは、妖怪人間ベムの仲間である。

「妖怪人間ベム」という作品は、大人の男性タイプのベム、ちょっとSMの女王様を彷彿とさせる妖しいフェロモンをふりまく大人の女性タイプのベラ、そして子供タイプのベロ・・・という3人組の妖怪人間の物語。

一応、ベムがリーダー格。

ちなみにこの3人のビジュアルは、通常は人間の姿を装っている。だがいざ戦闘になると、本来の妖怪人間の姿になる。

 

どちらかというと、普段は子供タイプのベロが人間と関わり、怪奇事件が起こって、それをベム・ベラ・ベロが解決していく展開が多かった印象がある。

 

一応アニメ版は子供をターゲットにしていたと思うので、話の中心にはベロがいることが多かったと思う。

 

だが、子供心に人間姿の時のベラの色気は実に魅力的だったのも印象深い。

きつめのつり目で、厚化粧気味の顔、肩をはだけた衣装、手に持つ鞭、セクシーでグラマーな体、そしてタカビーな口調。

 

そんなベラの名前が作品タイトルになってるということは、ベラを主役にしたスピンオフ作品だと思い、「ベラが主人公だなんて、いいところに目をつけたなあ」と思いながら、思わず衝動レンタルしてしまった。

 

 

後で分かったことだが、この「妖怪人間ベラ」には、この映画版の他にもドラマ版があるらしい。それは知らなかった。なので、ドラマ版の方は私は未見である。

「妖怪人間ベム」シリーズは、前述のように平成の時代に過去に実写によるテレビドラマ版があって、私は毎回それを見ていた。その平成のドラマ版「ベム」と、今回見た「ベラ」は別モノである。

平成時代のドラマ版「ベム」は中々の名作だったと思ってたので、このアニメ作品を「ベラ」をメインにして実写化ずるリスクに関しては私の中では免疫があった。

なので、抵抗なくレンタルしたのだと思う。

 

とにもかくにも、あのベラを主人公にするなんて!と期待しながら。

 

なんでも、この作品でのベラは、女子高生という設定らしい・・・という設定変更に多少の不安も感じながら。

 

で、見始めた。

 

まず序盤は、かつてアニメ版「ベム」を見ていた者にとっては興味深い内容。というのは、かつてのアニメ版「ベム」には幻の最終回があった・・・という設定が出てきたから。

で、その最終回はなぜ幻に終わってしまったか・・については、その内容があまりに絶望的で悲惨だったから。

ボツに終わったその幻の最終回の映像も出てきた。それは実際にアニメ版放映時に制作された作品であるかのような絵柄になっており、あの懐かしいアニメ版ベム、ベラ、ベロがそこにあった。

 

まあ、実際にはその部分は、今回のこの作品用に、当時のキャラ設定を使って新たに制作された映像であろうが、キャラがまんま昔のアニメ版そのものなので、まるで昔リアルタイム放送時に作られた映像のようなできになっていた。

 

しかも・・・その内容ときたら・・・「ああ、これではボツになってしまうわけだ」と思える衝撃的な内容なのだが、あえてここではその内容は書かないでおこう。

ネタばれになってしまうので。

ちなみにこの幻の最終回があったという設定は、今回のこの「妖怪人間ベラ」だけのオリジナル設定であろう。

 

とりあえず、この部分には、かつてのアニメ版に熱中した世代としては心をつかまれた。

 

「お、これは中々楽しめそうだぞ」と思い、期待感を持ちながら私は観続けていった。

 

すると。

 

ベラを中心に話が進んでいくのかと思ったら、実はこの作品は、ベラに関わった人がだんだん精神崩壊していく話になっていた。

ベラが中心というより、ベラと関わった人がどんどん精神崩壊していくのがメインになっていった。

前半の女子高生が精神崩壊していくあたりも強烈だったが、なんといっても森崎ウインさん演じる新田という人物が後半にどんどん精神崩壊していくくだりは、更に強烈。

ネット上でも指摘されてるが、新田の崩壊ぶりは、かつてのスタンリー・キューブリック監督の作品「シャイニング」という映画でジャック・ニコルソンが演じた恐怖のキャラを思いだしてしまった。

 

森崎さんの強烈な演技ぶりが後半では見どころになり、主役であったはずのベラの存在感が希薄になっていた。実際後半ではベラはあまり出て来なかったし。

 

森崎さんの演技ぶりには目をみはるものがあったが、ベラは? ベラはどこにいったの?

この作品って、ベラが主人公なんじゃないの?・・・と言いたくなった。

 

ホント、ベラが真に主役である作品を期待したのに・・・。

 

ベラが主人公という着眼点はすごくよかっただけに、途中から存在が希薄で、その辺少し残念。

 

できれば、真にベラを中心に描いた作品が見たかったかなあ。それを期待していただけに。

 

とはいえ、森崎ウインさんの体当たり的な精神崩壊を演じるシーンは見ごたえがあったのは確かだ。

そのへんは、見どころではあるとは思う。

 

 

ベラなら、その設定といい、キャラといい、真の主役だってはれるキャラだと思うので、「妖怪人間ベラ」という作品タイトルをつけるなら、あくまでもベラを中心に描かれたドラマを見たかったかな・・という気にさせられた。

 

前述のように、ベラが主人公というのは、実に良い着眼点だと思うし、後半存在感が希薄になってしまうのは、もったいなかったような・・。

 

妖怪人間というのは、原作漫画での設定では、実際には戦時に軍の命令で天才学者(?)によって生み出された人造人間。戦争で使用することを前提に生み出された、戦闘に特化したモンスター。

だが、その生みの親である学者は軍の意向とは裏腹に悪を憎む気持ちが強かった。

なので、自分が生みだした戦闘用の人造人間には、「悪と戦え。それが妖怪人間の使命なのだ」と伝える。

この裏設定は、昭和時代のアニメ版では明らかにはされていなかったが。あくまでも漫画版の設定だったのかもしれない。

 

ともあれ、その言葉を受けて、妖怪人間たちは、「悪と戦い続ければ、いつの日か自分らは本当の人間になれる」と信じて、悪と戦い続けた。

人間になれるという根拠もないまま…。

 

妖怪人間は、普段は人間の姿をしていても、本当のビジュアルは醜い化け物。

いくら人間のためにつくして、悪と戦っても、正体を明かした時の醜い化け物ビジュアルゆえに、人間に迫害されてしまうことがある、悲しい人造人間。

だが、妖怪人間の真の姿にならないと、本来の戦闘力は発揮できない。

なので、人間の姿のままでは、助けたい人を助けられない。

助けたい人を助けるためには、妖怪人間の真の姿になって戦うしかなかった。

自分の醜い化け物姿を晒してでも。

 

でも、助けられた人間は、妖怪人間の真の姿のビジュアルに、驚くだけならまだしも、人によっては怖がったり、忌み嫌ったりすることがある。化け物として。

となると、たとえ敵を倒した後でも、妖怪人間の真の姿を知られてなかった頃のようなつきあいには戻れない。

 

結局はその場を去っていくしかなくなる。

なので、妖怪人間たちの心に蓄積された悲しみは深い。

しかもベラは大人の女性。

 

このへんの悲哀は平成のドラマ版「ベム」では、けっこう描かれていた印象があり、それゆえ見てて面白かった。深さも感じた。

 

こういうキャラと設定なので、ベラを真の主人公にしても、仮にホラー作品であったとしても、十分に面白いドラマは作れると思うのだが。

というか、てっきりそういう作品になってるのかと期待しただけに、ベラの存在感が終盤には希薄だったのが残念でならない。

というか、ここでは、下手にベラに関わると、関わった人は精神を崩壊され、破滅にむかってしまうという展開が悲しかった。

なまじ私はアニメ版「妖怪人間ベム」、平成の実写ドラマ版「妖怪人間ベム」が大好きだっただけに、そう思ってしまうのかもしれない。

 

やはり・・着眼点は良かったのに、もったいない・・。

 

「妖怪人間ベム」とは全く別の話として見ればよかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 


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