時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

一気にスケルトンになってしまった木

2010年12月08日 | 日々の、あれこれ

つい先日まであれほど葉っぱがいっぱいあった木が、気づけば一気にスケルトンになってしまっていた。

まあ、道路に連日たくさんの落ち葉があったから、経過は感じていたのだが、それにしても一気だなあ。

木の向こう側が透けてみえるようになっている。

道路の落ち葉は、一頃は絨毯のように道を覆っていたものだが、そのたびにまめに掃除され、いつしか道路に散らばってた落ち葉も見なくなった。

木の葉っぱはとりあえず落ち切ってしまい、落ち切った葉っぱは人間に掃除され、かくして木の葉は、すっかり片づけられたのだ。

なんか、葉っぱのなくなった木は、それだけで寒々とする。

もちろん、実際に寒々とした季節になってはいるのだが、仮に気候が寒々としてなくても、スケルトンになった木には寒々としたものを感じてしまう。

そういう木には、少年時代、なぜか木のぼりする気もおきなかったものだ。

以前「木のぼり」の日記にも書いたが、木には葉っぱがあってこそ、登りたくなったのだ・・・と思う。

だって、葉っぱがないと、木のぼりしてるのが、下から丸見えだもの(笑)。

 

葉っぱがなくなった木は、骨格だけになってしまったようでもあり、なんだか寂しい姿。

本性がそれなのだとしたら、隠すということも、隠されてるということもまた大事なことなのだ。

 

そう、オープンであればいいというものでは・・・ないのだ。

 

 

 

まあ、でも来年になればまた木の葉っぱは生えてくるからいいけどね。

 

 

もしかしたら、秋風や北風は、木にとっては床屋のようなものなのかもしれないね。


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