私のアイドル by チューリップ
今回取り上げる曲「私のアイドル」は、チューリップの通算4枚目(ベスト盤は除く)のオリジナルアルバム「ぼくがつくった愛のうた」に収録されていた曲。
チューリップは「心の旅」で大ブレイクすることになったが、それ以前は関係者からの評価は高くても、それが中々売り上げには結びついてはいなかった。
だが「心の旅」で大ブレイクすると、「夏色のおもいで」「銀の指輪」など立て続けにシングルヒットを飛ばした。
ただ、「夏色のおもいで」などはかなり「心の旅」の二番煎じ感があったりしたし、「銀の指輪」は個人的には嫌いじゃなかったが、ヒットの規模は小さくなっていった印象があった。
そんな時、その後に起死回生の名曲「青春の影」を発表し、バンドの人気や評価は定着した感があった。
で、「青春の影」が収録された3枚めのアルバム「テイクオフ」の次に発表されたのが通算4枚目のアルバム「ぼくがつくった愛のうた」であった。
チューリップがビートルズに大きな影響を受けていることは、本人たちもおおっぴらにしていたし、実際そのサウンドや曲調など、かなりビートルズのエッセンスを感じる部分は多かった。
それも、どちらというとビートルズの中期以後の影響を私は感じてた。
当時人気があったキャロルがビートルズのデビュー前や初期のエッセンスだとしたら、チューリップはビートルズの中期以後・・・そんな印象で私は見ていたし、元々私はビートルズが大好きだったせいもあり、どちらも好きだった。
「ぼくがつくった愛のうた」はレコーディングの一部を、あのアビーロードスタジオで行った。
で、収録楽曲のソングライティングは財津さんひとりではなく、メンバーそれぞれが作った曲が収録されていた。
で、アルバム自体はコンセプトアルバムになっていた。
かなりメンバーの力の入り具合がわかるアルバムだった。
チューリップとしては、ひとつの到達点的なアルバムだったのではないか。
で、「私のアイドル」はアルバム2曲目に配置されていた、ノリの良いポップナンバーだった。
このアルバムからのシングル「ぼくがつくった愛のうた(いとしのEmily)」のB面にも収録されていたようだが、私はシングルは買った覚えがない。
個人的にはA面の「ぼくがつくった愛のうた」よりも、こちらの曲の方が好きだった。
アルバム全体にビートルズへのリスペクトを感じたが、この「私のアイドル」もまたストレートにビートルズを感じさせる曲だった。
それも、ピンポイント的に書けば、ビートルズの「ザ・ナイト・ビッフォー」という曲のエッセンスを感じさせられた。
「ザ・ナイト・ビッフォー」はビートルズのアルバム「ヘルプ」に収録されていた曲で、軽快なテンポに乗り、親しみやすいメロディを歌うメインボーカルをふたりのコーラスがかけあいで追いかけて進んでゆく楽しいスタイルの曲。
で「私のアイドル」もまたそういうスタイルの曲であった。
私は「ザ・ナイト・ビッフォー」は大好きだったので、チューリップの「私のアイドル」を初めて聴いた時に少しニヤリとしながら、すぐに気に入った覚えがある。
また、「ザ・ナイト・ビッフォー」のエッセンスの他に、ビーチボーイズっぽいコーラスも取り入れられている。
そういえばビートルズもビーチボーイズっぽいコーラスワークは「バックインザUSSR」で取り入れていたっけ。
メンバー全員がソングタイティングに関わり、メンバーそれぞれの作った曲が収録され、曲の配列にもこだわり、全体的に架空の物語が進んでいく流れでアルバムが進んでゆく。
そして豪華なブックレットも付けられていた。
しかも、レコーディングにはアビーロードスタジオも使用。
これだけでも彼らがこのアルバムにどれだけ賭けていたかが分かる気がする。
ある意味、それまでのヒット曲や人気は、こういうアルバムを作りたいがための実績作りになった気がした。
このアルバムを聴いた時、「ああ、こういうアルバムを作りたかったんだろうなあ」と実感したり、ある意味夢をかなえたんだろうなあとも思った。
そういう意味ではやはり前述の通り、このアルバムは彼らの当時の到達点だったのだろうとも思った。
ビートルズで例えれば「サージェントペパーズ」のトータル性、「マジカルミステリーツアー」の豪華なジャケット(「マジカルミステリーツアー」のアルバムには写真集もついていた)」、「ホワイトアルバム」での「メンバーそれぞれの作った曲が収録される」という多様性・・・などの様々な要素を集約したアルバムが、チューリップの「ぼくがつくった愛のうた」というアルバムだったと思う。
ともかく豪華なアルバムだった。
このアルバムを聴き終わった時に私が思ったことは、このアルバムである程度当初の目標や夢をかなえたことになり、この後の彼らのアルバムはどうなっていくのだろう・・とも思った。
この4枚目のアルバムの後に出た5枚目のアルバム「無限軌道」では、ジャケットは見開きジャケットになっていないシンプルなジャケットになり、歌詞が内省的な曲が収められていた印象があった。人生観を歌った曲とか。
アルバム全体的には前作とうってかわって、やや重たく暗い印象があったが、それでも「無限軌道」からはあの「サボテンの花」が大ヒットした。
またかつて私のブログでも取り上げたことがある問題曲「たえちゃん」なども収録されていた。
楽曲は姫野さんと安部さんの作った曲が1曲づつ収録された以外は、ソングライティングもボーカルも財津さんが握っていた。
この点からみても、やはりチューリップは「ぼくがつくった愛のうた」でひとつの到達点に達し、そこからこの「無限軌道」でバンドの方向性も仕切り直しになったのではないか・・・という印象を私は持った。再スタートとでもいうか。
そこではかなり財津色という個人色が強く打ち出されていた。
「ぼくがつくった愛のうた」はチューリップなりの「サージェントペパー」だったのだろう。それを到達点にして、彼らそれまでのビートルズ色から脱し、独自の路線を模索していったのだろう。
このアルバムが、チューリップの歴史の中でどういう評価を受けてるのだろう。
そのへんは私は詳しくは把握していない。
というのも、「ぼくがつくった愛のうた」の次のアルバム「無限軌道」を買った後、私自身少しチューリップからは離れてしまったからだった。
流れとしては、私は「ぼくがつくった愛のうた」でチューリップがひとつの到達点に達して、それを味わい、その後彼らがどういう方向性で行くのかを「無限軌道」で確かめたうえで、他のアーティストのアルバムに行った・・・それが私の中のチューリップの流れだったと思う。
「ぼくがつくった愛のうた」がチューリップファンの中でどういう評価をされてるのだろう・・と思って少し調べてみたところ、このアルバムを「数あるチューリップのアルバムの中でも3本の指に入る傑作」とする人もいれば、「何曲か好きな曲もあるが、それ以外の曲はあまり好きになれなかった」という声もあった。
まあ、人の好みは千差万別。
とりあえず、このアルバムは初期の彼らの集大成だったのだろう・・・というのが私の印象だ。
収録曲に関しては、少なくても私にとっては大好きな曲もけっこうあったが、あまり好きになれない曲もあった・・そんな感じ。
ただ、アルバム自体は豪華でぜいたくな作品だった。それだけは確かだと思う。
LP時代に付いていた豪華なブックレットは、CDの時代になってからは、完全な再現はされないままのようだ。
ということは、このアルバムはやはりLPで持っておくべき作品だったのだと思う。
そういう意味では、LPの時代にこのアルバムを買っておいてよかったと私は思っている。
で、その中で「私のアイドル」という曲は、私にとっては、このアルバムを代表する名曲で素敵な曲だった。
実際この曲をお気に入りにあげるファンは多かったようだ。
確か「魔法の黄色い靴」だったと思います。ロックでもフォークでもないポップな曲調が新鮮でした。
ビートルズリスペクトのバンドでしたから、この曲名は「yellow submarine」からなのでしょうね。
後に知ったのですが、当地のお祭りにチューリップや海援隊が
来てました。たくさんの露店の中にこじんまりしたステージが設けられてて、そこに出てました。
確か「◯◯祭り ヤングミュージック・ステージ」みたいなイベントでした。地元のアマチュアバンドやフォークグループが出るステージでだったので、チューリップも海援隊もまだメジャーデビュー前だったのかな。
海援隊は博多の照和に見に行った事がありますが、なんかとても地味なステージでしたね。憶えてるのは「道玄坂からひとくだり 誰も恨むな信じるな さの恋挽歌」って感じの曲。
あ、恋挽歌って曲だったかな。演歌っぽい曲調でした。
「母に捧げるバラード」は、まだ歌ってなかったような・・・
このアルバム、ほんとにビートルズ色が濃いですね。
ロンドンで収録してるのも
「ぼくがつくった愛のうた(いとしのEmily)」はビートルズの「I Will」のコードに似てるし
「私がアイドル」の歌詞を変えた別ヴァージョン
「歌は生きている」もアイディアがある曲ですね。
魔法の黄色い靴の「黄色」は、まさにイエローサブマリンからインスパイアされた色だったと思います。
私が博多に行き、ライブ喫茶「照和」に行った時、裏口にもまわってみました。
その裏口の外で、デビュー前のチューリップが、魔法の黄色い靴のコーラスの練習をしていたという話を知ってたので、この場所でチューリップは魔法の黄色い靴のコーラス練習をしていたのか‥とおもうと、感慨深いものがありました。
思わず、心の中では私は魔法の黄色い靴がまわってました。ほんとに行って良かったです。
照和での海援隊のステージは地味だったのですか?
さすが、リアルタイムで見た人の強みですね。
なんか、海援隊のステージは、トークが売りだったという話は聞いてます。
なんか、それはわかる気がします。
鉄矢さんがいますものね。
アコギ2本とボーカルだけの編成だから、エレキバンドに比べたら、やはり地味に見えてしまうのかも。
それを補ってたのが、鉄矢さんのトークだったのでしょう。
このアルバム、お持ちなんてすね。
ならば、このアルバムが豪華な仕様てあったことは実感されたことと思います。
特にLP版は豪華です。
完全復刻されないのがもったいなく思ってます。
僕が作った愛のうたは、かなりヒット性を意識して作られた曲でしたね。
私も嫌いではなかったですが、それ以上に「私のアイドル」は大好きでした。
「歌はいきている」は、かなり当時の財津さんの心情か出てる歌詞だと思いました。
あのアルバムは、ほんとあちこちに工夫がなされていましたね。
リズムは、ビートルズのレボリューションという曲を意識したつくりになってたと思います。
昔はどこか暗い店構えだったんですが、あの暗くて狭い地下空間から東京(メジャーデヴュー)を目指して、多くのミュージシャン達が飛び立って行ったのです。
誰かあの頃の照和を舞台にした青春群像ドラマ作ってくれないかな〜
天神の照和が博多(厳密には福岡市中央区ですが)フォークのメッカだったとすれば、後にめんたいロックなどと呼ばれた博多のロックミュージックの聖地とも呼ばれたライブハウスがありました。
それがロック喫茶「ぱわぁはうす」です。
場所は歓楽街中洲に程近い須崎と呼ばれる問屋街の一画にある古い雑居ビルの地下一階。
高校生当時その名前はよく聞いてましたが、残念ながら行った事はありませんでした。でも、ロック好きな友人達は週末よく行ってたみたいですね。
ここ出身のミュージシャンも多いんですよ。和製ロックに疎い私でも知ってました。
サンハウス(鮎川誠さんのいたバンドで当時福岡では大人気でした。シーナ&ロケッツの前身なのかな)、ザ・ルースターズ、ザ・モッズ、ザ・ロッカーズ(今ではすっかり役者さんの陣内孝則さんが率いたバンドですね。当時の陣内さんはギンギンにメイクして歌ってました、グラムロック系?)、アレキサンダー・ラグタイム・バンド(一般的にはARBですね。ボーカルの石橋凌さんも陣内さんと同様に現在は役者さん)などなど、今でも活動してるバンドもいますね。
ロックとフォーク、川を挟んだ二つのライブ喫茶ですが、ミュージシャンもファンも特にいがみ合う事もなく、きちんと棲み分け(笑)が出来てたようです。うん、いい時代だったんだなぁ。
ある意味、トキワ荘に行った時に感じた思いに近かったかも。
照和を舞台にしたドラマ、いいですね。映画でもいい。
良い題材になると思います。
誰か作ってくれないかなあ。
すでにあってもおかしくない題材だと思います。
ぱわぁはうす、その名前は聞いたことがあります。
照和に負けないくらい、プロのミュージシャンを輩出してるんですね。
福岡出身の大物ミュージシャンが多いのは、そういう店があったことも大きいのでしょう。
九州のアマチュアミュージシャンにとっては、とりあえず目指す目的地だったのでしょう。
今現在どうなってるのかはわかりませんが、過去のミュージシャンの登竜門であったのは確かだと思うので、いつまでも健在であってほしいライブスペースだと思います。
鮎川誠さんとシーナさんの青春を描いたドラマもありました、こちらは観てなかったので内容も分かりません。
確か昭和40年代の半ば位に地元のラジオ局から始まった「風のふくおか」と言う音楽ムーブメントがありました。
いろんなイベントが福岡各地で開催され、私も九電体育館で行なわれたライブに行きました。
残念ながら誰が出ていたのか憶えてません。ただテーマ曲ともなっていた「風のふくおか」という歌を会場全体で大合唱したような気がします。
これいい歌なんですよ。多分動画サイトで観る事がdrきますので、ぜひ。
さわやかな、70年代の青春フォークソングというかんじですね。
すごく70年代を感じる、懐かしい曲調です。
当時の空気がつまっている感じがします。
エレックレーベルから出てたんですね。
この曲は、私は知りませんでした。