酒を飲んでしまうと、翌日、声が出なくて歌うのがつらい・・ということを最近実感するようになった。
以前はライブに出る日に、出番までの待ち時間の間に飲んでることもあったのだが・・。
度胸づけ、勢いづけ・・のためという意味合いもあったし、少し酔ったほうがノリが良くなるような気もした。
ライブの前日にも、平気でたくさん飲んでた。
でも、もう今の自分は、そんなことしてない。今後も、しないほうがよさそうだ。
やはりこれは年齢的なものなんだろうか。
だとしたら、こんなところにも、年齢的なものを実感してしまうなあ。
もともと私はそんなに高い音は出ないほうなのだが、酒を飲んだ翌日は、なおさら出なくなっている。
その結果、歌える筈の歌の最高音が出なくて辛い思いをすることになる。
よく、プロの歌手で、若い頃にギリギリの高さの声域を使った曲を年とってから歌う場合に、メロディを崩して低くして楽に歌う場合がある。
ツェッペリンのロバート・プラントが「ブラックドッグ」を歌う場合、それをやってたのを何かの音源で聴いたことがある。
ファンとしては、「おいおい、そういうメロディじゃないだろう・・。あのハイトーンはどうした」なんて思ったりもしたっけ。
ファンとしては、その曲を「流されてる」ような気がしたりした。
こう考えると、若い頃にギリギリの高さで歌う楽曲が多かったスターは、晩年大変だなあ・・そんな気になる。
でも、若い頃は、せっかく出るんだから、その高さで歌って残しておきたいというのもあるだろうし。
食うために一生その曲を歌い継いでいく場合は、若い頃に多少余裕を持ったキーで歌っておいたほうがよいような気もしたり。
なんかちょっとセコいかもしれないけど(笑)。
まあでも、年とって昔のキーで歌うのが難しい場合、通常の曲ならキーを落とせばいい。プロでもそういう人は実はたくさんいる。
ただ、やっかいなのが、ギターの解放弦の響きなどを利用したリフ主体で曲ができあがっている曲。
この場合、キーを落とすと、本来その曲に使ってたリフが使えなくなることがある。
これ、ギターを弾く人なら分かってもらえるとおもうだが、キーを落として、指の位置が変わると「本来のニュアンス」が出せなくなるリフってのがあるのだ。
例えばツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」という曲なんか、そうではないだりうか。
いや、厳密にいえば、キーを落とすのは、できないこともない。
その場合、ギターのチューニングを半音とか1音下げてチューニングするのだ。そうずれば、キーと落としても以前のフォームで弾ける。
そうなった場合、圧倒的な歌唱力で売ってたシンガーなどは、プライドとの戦いになるのだろう。
プライドにかけて昔のキーと同じキーで歌って、聴衆に「最高音の発声が聴いててしんどそう」とか「昔ほど声が出なくなった」と思われる危険性をとるか、あるいは今の自分を認めてキーを半音もしくは1音落として、今の声にとって一番いい音域で歌うか。
要するに、プライドを優先して冒険するか、現実的な方法を選択するか。
どちらかを選ぶかは、けっこうジレンマなのではないかなあ・・。
ちなみに、私なら後者かなあ・・。
もっとも私の場合は、プライドのある歌手でもなんでもないので、どんなキーで歌おうと誰も気にする人などいないから、悩む必要はないのだが(笑)。
ともあれ。
そういう選択は、何も音楽に限ったことではない。
様々な分野に当てはまるだろう。
例えば、野球だって。
20代で155キロの豪速球を投げてたピッチャーだって、年をとれば140キロ出すのがせいいっぱいだったりもする。
140キロが出なくなることもある。
「勢い」や「パワー」「凄み」の衰えは、どんな人にもあるのだ。
その分、経験などからくる技術度があがったりもするけど。で、例えばピッチャーなら速球派から技巧派に転向したりね。
たまに、速球派だったプライドを捨てられず、技巧派に転向できぬまま引退する人もいるけど・・。
年をとって、覚えたり得たりするものがあるかわりに、若い頃にできたことが出来なくなっていったりする。
酒を飲むと翌日声が出なくなるなんてことは若い頃は私はあまり気にしなかったし、そういうことがあったとしても今程ではなかったはず・・・と思う。
だからライブの前日でも平気でいつもと同じくらい飲んでいた。
今は、ライブの前は、あまり飲みたくない・・というか飲まないほうがよさそうなので、そうしている。
仮に飲んでも、微量だ。
このことは年を重ねてやっと実践できるようになった・・ってことになるのかもしれない。
そういう意味では、若い頃はいかに自分が自分を過信してたか・・ってことになる。
今では、気をつけることができるようになった。
なんだか悲しい気もするが、それも「年をとって覚えたこと」みたいなもんなんだね(笑)。
以前はライブに出る日に、出番までの待ち時間の間に飲んでることもあったのだが・・。
度胸づけ、勢いづけ・・のためという意味合いもあったし、少し酔ったほうがノリが良くなるような気もした。
ライブの前日にも、平気でたくさん飲んでた。
でも、もう今の自分は、そんなことしてない。今後も、しないほうがよさそうだ。
やはりこれは年齢的なものなんだろうか。
だとしたら、こんなところにも、年齢的なものを実感してしまうなあ。
もともと私はそんなに高い音は出ないほうなのだが、酒を飲んだ翌日は、なおさら出なくなっている。
その結果、歌える筈の歌の最高音が出なくて辛い思いをすることになる。
よく、プロの歌手で、若い頃にギリギリの高さの声域を使った曲を年とってから歌う場合に、メロディを崩して低くして楽に歌う場合がある。
ツェッペリンのロバート・プラントが「ブラックドッグ」を歌う場合、それをやってたのを何かの音源で聴いたことがある。
ファンとしては、「おいおい、そういうメロディじゃないだろう・・。あのハイトーンはどうした」なんて思ったりもしたっけ。
ファンとしては、その曲を「流されてる」ような気がしたりした。
こう考えると、若い頃にギリギリの高さで歌う楽曲が多かったスターは、晩年大変だなあ・・そんな気になる。
でも、若い頃は、せっかく出るんだから、その高さで歌って残しておきたいというのもあるだろうし。
食うために一生その曲を歌い継いでいく場合は、若い頃に多少余裕を持ったキーで歌っておいたほうがよいような気もしたり。
なんかちょっとセコいかもしれないけど(笑)。
まあでも、年とって昔のキーで歌うのが難しい場合、通常の曲ならキーを落とせばいい。プロでもそういう人は実はたくさんいる。
ただ、やっかいなのが、ギターの解放弦の響きなどを利用したリフ主体で曲ができあがっている曲。
この場合、キーを落とすと、本来その曲に使ってたリフが使えなくなることがある。
これ、ギターを弾く人なら分かってもらえるとおもうだが、キーを落として、指の位置が変わると「本来のニュアンス」が出せなくなるリフってのがあるのだ。
例えばツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」という曲なんか、そうではないだりうか。
いや、厳密にいえば、キーを落とすのは、できないこともない。
その場合、ギターのチューニングを半音とか1音下げてチューニングするのだ。そうずれば、キーと落としても以前のフォームで弾ける。
そうなった場合、圧倒的な歌唱力で売ってたシンガーなどは、プライドとの戦いになるのだろう。
プライドにかけて昔のキーと同じキーで歌って、聴衆に「最高音の発声が聴いててしんどそう」とか「昔ほど声が出なくなった」と思われる危険性をとるか、あるいは今の自分を認めてキーを半音もしくは1音落として、今の声にとって一番いい音域で歌うか。
要するに、プライドを優先して冒険するか、現実的な方法を選択するか。
どちらかを選ぶかは、けっこうジレンマなのではないかなあ・・。
ちなみに、私なら後者かなあ・・。
もっとも私の場合は、プライドのある歌手でもなんでもないので、どんなキーで歌おうと誰も気にする人などいないから、悩む必要はないのだが(笑)。
ともあれ。
そういう選択は、何も音楽に限ったことではない。
様々な分野に当てはまるだろう。
例えば、野球だって。
20代で155キロの豪速球を投げてたピッチャーだって、年をとれば140キロ出すのがせいいっぱいだったりもする。
140キロが出なくなることもある。
「勢い」や「パワー」「凄み」の衰えは、どんな人にもあるのだ。
その分、経験などからくる技術度があがったりもするけど。で、例えばピッチャーなら速球派から技巧派に転向したりね。
たまに、速球派だったプライドを捨てられず、技巧派に転向できぬまま引退する人もいるけど・・。
年をとって、覚えたり得たりするものがあるかわりに、若い頃にできたことが出来なくなっていったりする。
酒を飲むと翌日声が出なくなるなんてことは若い頃は私はあまり気にしなかったし、そういうことがあったとしても今程ではなかったはず・・・と思う。
だからライブの前日でも平気でいつもと同じくらい飲んでいた。
今は、ライブの前は、あまり飲みたくない・・というか飲まないほうがよさそうなので、そうしている。
仮に飲んでも、微量だ。
このことは年を重ねてやっと実践できるようになった・・ってことになるのかもしれない。
そういう意味では、若い頃はいかに自分が自分を過信してたか・・ってことになる。
今では、気をつけることができるようになった。
なんだか悲しい気もするが、それも「年をとって覚えたこと」みたいなもんなんだね(笑)。