既に幽界入りしているが、昨日の集団自衛権の法案の衆議院通過を知ったらどう思うだろうか。
昔の人の苦労を我々は、想像し、心の痛みに思いを致さなければならない。
父は、朝鮮の京城で警官をしていて、終戦を迎え、警察の上司がトンズラしたので引き揚げ者のトラックの手配等をしていて、ロシア兵にとらえられ、シベリヤの収容所へ収容される。収容所では、父の持つ大工としての腕を生かして、ロシア兵に木でボストンバックを作り、食糧を得ていた。食糧を得られない人は、朝には冷たくなり、マグロのように床にゴロゴロ転がって居たという。その遺体を地中に埋めるのが父達の朝の日課だった。
母は、子供三人を連れて朝鮮から舞鶴経由で日本へ帰還した。朝鮮内で、引き揚げ中、赤ん坊の三男が肺炎にかかり、日本からの医師団の若い医者から、当時、とても貴重なストレプトマイシンを、今後の日本を背負う子だからと言って打ってもらった。そのとき、母は、危険だからと他の人の止めるのを振り切り、夜中を医師団の所へ走ったという。その後、医師団は奥地へ移動したとのことで、生きて帰れたかは分からない。
父、母を思うと、今回の法案の可決は残念でならない。今日の日本を築いた先人の辛酸に思いを寄せよう。
上二表は、第二次大戦時の被害者数の一統計データである。特筆すべきは、アメリカの一般市民の被害者が沖縄県人の一般市民の1/15、日本人の一般市民の1/100であることである。一般市民の被害には、東京大空襲約12万人、広島被爆者(5年後)約20万人、長崎被爆者(5年後)約14万人、シベリヤ抑留者約8~12万人の死者を含む。この事実は各人が冷静に分析すべきである。
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