特に、原子力村に色濃く立ちこめる無責任はなぜ、蔓延しているのか。
昔は、恥の文化があったのに、いつ頃その文化が霧消したのか。
ここで、日光東照宮の「見ざる、聞かざる、言わざる」(一説に、孔子の論語に由来するとされる)は、その無責任を表現しているのではと曲解されがちであるが、真意は全く逆で、道徳・倫理を説くものである。
下記の文言は、詩人、宮澤章二の詩集「行為の意味」の中の日常風景の一部であるが、無責任を表現しているのではないか。無責任とは、「どっきと」しないことである。
見えるものさえ見ない 怠慢
うっかりしていて気づかない 不注意
知り得ることさえ知らない 無気力
ーーーーその恐さにどっきとする瞬間がある
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