生命と経済を等価とすることができないことは個々人の状況に置き換えれば、容易に分かることである。しかし、生命と経済を等価とする原発再稼動容認派が現存する。
このことは何を意味するのだろうか。
原発に関し、ウソ、隠蔽、ごまかしが堂々とまかり通ることと基を一にすることではないか。このことが何等、問題にされない、問題にしないならば、なんでもありなのが日本ではないのか。
しかし、このような日本にして、内心でほくそえんでいる、私服を肥やしている支配層がいることを忘れてはいけない。
その支配層が、原発の利権に深くかかわっているからである。
一例を挙げよう、日本の原子力開発を推進した中曽根 康弘は、原発建設の最大建設会社の鹿島建設の創業者一族である。
再稼動容認か否かは、到底勝ち目のない支配層と一般国民との闘いの面があることに注視しよう。
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