先日の、姫路でのワークの様子を主催者がブログにあげてくださっています。
http://himeji.genki365.net/gnkh09/mypage/mypage_sheet.php?id=25640
その時に参加者から気になると指摘していただいたことについて、書きたいと思います。
伝えること受け取ることをやってもらうインプロゲームの中で、
ボールゲーム(赤いボール)というのがあります。
赤いボール、黄色いボール、可愛い赤ちゃん、マサイ族の槍・・・などを、
輪になって誰かにパスしていきます。
その中に、お父さんの脱ぎたての靴下。というのがあり、
これも輪の中をあちこち回っていきます。
指摘いただいた内容は、
「私にも娘がいますが、やはり父親の身に着ける物は、そのように扱われているのかな? と寂しい思いです。」
というものでした。
お父さんの立場として、娘や家族、世間へ感じていらっしゃることは、その通りなんだと思います。
そこを否定する気持ちは無いことをわかっていただいた上で、
インプロでの考えや想いをお伝えしたいと思います。
インプロは、日常を切り取って表現する「演劇」からはじまっています。
現実世界には、差別や戦争、暴力や犯罪、性的なもの、不当なこともたくさんあります。
事実としてあるのに、
蓋をして見て見ない振りをする、気づかない振りをする。
そこに触れずに、表面的につき合う。
ということが、あると思うんです。
ついでに、書いちゃうと、
コーチが思ってもいない誉め言葉を連発するなんてことはよくあります。
コーチとクライアントの関係ならばありかも知れないけれど、
日常の中では、外からみていて、自分が言われて、違和感を感じずにはいらません。
私にとっては、そんなことも少し似た感覚なんですが…(余談です)
で、表現することから発進しているインプロは、アイディアに蓋をしないのが大原則です。
誰かが感じたこと、表現してみたことには、間違いはなくて、
たとえば、ネガティブなこと、
触れたくないこと、触れてほしくないことも、
頭に浮かんでしまったアイディアならば、
自己検閲せずに出してしまいます。
(つい自己検閲してしまうことは、実際にはたくさんあるんですけど…)
ただ、その中には、悪意があっては絶対にいけない。
そこだけは、守らなくてはいけないルールです。
インプロでは、アイディアには、間違いはないので、
思いついたことに蓋をせずに、自由に表現します。
プレイヤーとして、どんなことも、ネガティブに受け取らず、ハッピーでいる。
転んで、擦りむいたら、痛くって泣いちゃったとしても、
どうして転んでしまったんだろうか?
あそこに小石があったのが悪かったんだ。
と、原因や犯人探しをするのではなく、
泣いた後は、またイイ笑顔で笑って、
仲間に「ハハハ(≡^∇^≡)転んじゃったよぉ~!」といって、
差しのべてくれた手を取って、
すぐに立ち上がり歩き出せるといい。
お父さんの靴下の話に戻すと、
例えば、
自分の脱ぎたての靴下を娘に投げたり、投げ合ったり、無理矢理に臭わせてみたり、
そんなことを遊びとしてできる親子関係ってのもありますよね。
お父さんの臭い靴下までが、
親子、家族のコミュニケーションツールのひとつであることが素敵だと思うし、
そういう関係性、関係作りが大切なんじゃないかなぁ。
「お父さん、臭い!」って言われたら、
「何やと!ほんまに臭いか臭わしたるぅぅぅ…(*≧∀≦*)」みたいな関係ね。
思春期とか、色々あってそう単純じゃないってのは、実感としてわかるけど、
それでも、いつも、今、起こったことを受け入れて、
ハッピーでいれたらいいんじゃないかなって思います。
できれば、そこを目指したいと。
なんとなく、伝わってます?
そういう考えもあるんだなぁくらいでわかってもらえるといいなぁ。
「失敗」についても、同じようなことが言えると思います。
インプロのワークに「失敗のススメ」なんてタイトルをつけちゃうこともよくあるけど、
「失敗」ってネガティブな言葉と思われるでしょ。
コーチやスピリチュアル系の人の中で、定番になっている、ネガティブ発言をしないこと。
今は、いろいろな本もでて、一般的にも浸透しつつありますね。
常に愚痴と言い訳の鎧を着て生きている人にとっては、
前向きに生きること、目標達成のために、とても大切なことだと思います。
ただ、ある程度定着したら、
もしくは、愚痴だとわかりつつ、弱音吐いてるって気づいてて、
口にしてもいいんじゃないかなって思うんです。
自分の中の感情を圧し殺してしまわないこと、
せっかく心が感じたとを、無いことにしてしまわないことは大切です。
私もその一人ですが、感情を表現することが極端に下手。
人前で、怒りや悲しみを表現することが悪だと信じて生きてきたから。
何もかも、ダダ漏れで表現する必要はないけれど、
あふれる感情は表現してもいいんじゃないかなって。
誰かを踏んずけさえしなければ、表現すればいい。
って、今は思う。
わかっていても、表現が下手だし、つい圧し殺してしまうんだけど・・・
だから、ネガティブなことも、わかってて聴いてくれたり、共感してくれる人には話していいと思う。
笑顔でハッピーでいることを、とてもとても推奨しているインプロだけど、
ただただ、すべて圧し込めたらいい、ってことじゃないんだ。
ネガティブな事を口にしない方がいい。引き寄せちゃうから。
これって、脳科学的なこととか色んなとこでもいわれてるもんね。
両方が正解だと思うのです。
1つの物事には、裏表がある。
それどころか、たくさんの側面があって、どれも真実だと思います。
拘り過ぎず、頑固にならず、寛容に寛大に、その場に応じて、
自由に選択できたらいいんじゃないかな。
今回、いただいた指摘のお陰で、たくさんのことを考えたし、問い直しました。
何か、反対の意見を言ってもらって、そのことについて考えることは、
とても、大切だなって思っています。
○○ちゃん、ありがとうございました。
一生懸命、一貫性を持って、書こうと努力しましたが、やはり散らかってしまいました。
なんとなくでも、伝わるといいなぁ・・・
まめっち
http://himeji.genki365.net/gnkh09/mypage/mypage_sheet.php?id=25640
その時に参加者から気になると指摘していただいたことについて、書きたいと思います。
伝えること受け取ることをやってもらうインプロゲームの中で、
ボールゲーム(赤いボール)というのがあります。
赤いボール、黄色いボール、可愛い赤ちゃん、マサイ族の槍・・・などを、
輪になって誰かにパスしていきます。
その中に、お父さんの脱ぎたての靴下。というのがあり、
これも輪の中をあちこち回っていきます。
指摘いただいた内容は、
「私にも娘がいますが、やはり父親の身に着ける物は、そのように扱われているのかな? と寂しい思いです。」
というものでした。
お父さんの立場として、娘や家族、世間へ感じていらっしゃることは、その通りなんだと思います。
そこを否定する気持ちは無いことをわかっていただいた上で、
インプロでの考えや想いをお伝えしたいと思います。
インプロは、日常を切り取って表現する「演劇」からはじまっています。
現実世界には、差別や戦争、暴力や犯罪、性的なもの、不当なこともたくさんあります。
事実としてあるのに、
蓋をして見て見ない振りをする、気づかない振りをする。
そこに触れずに、表面的につき合う。
ということが、あると思うんです。
ついでに、書いちゃうと、
コーチが思ってもいない誉め言葉を連発するなんてことはよくあります。
コーチとクライアントの関係ならばありかも知れないけれど、
日常の中では、外からみていて、自分が言われて、違和感を感じずにはいらません。
私にとっては、そんなことも少し似た感覚なんですが…(余談です)
で、表現することから発進しているインプロは、アイディアに蓋をしないのが大原則です。
誰かが感じたこと、表現してみたことには、間違いはなくて、
たとえば、ネガティブなこと、
触れたくないこと、触れてほしくないことも、
頭に浮かんでしまったアイディアならば、
自己検閲せずに出してしまいます。
(つい自己検閲してしまうことは、実際にはたくさんあるんですけど…)
ただ、その中には、悪意があっては絶対にいけない。
そこだけは、守らなくてはいけないルールです。
インプロでは、アイディアには、間違いはないので、
思いついたことに蓋をせずに、自由に表現します。
プレイヤーとして、どんなことも、ネガティブに受け取らず、ハッピーでいる。
転んで、擦りむいたら、痛くって泣いちゃったとしても、
どうして転んでしまったんだろうか?
あそこに小石があったのが悪かったんだ。
と、原因や犯人探しをするのではなく、
泣いた後は、またイイ笑顔で笑って、
仲間に「ハハハ(≡^∇^≡)転んじゃったよぉ~!」といって、
差しのべてくれた手を取って、
すぐに立ち上がり歩き出せるといい。
お父さんの靴下の話に戻すと、
例えば、
自分の脱ぎたての靴下を娘に投げたり、投げ合ったり、無理矢理に臭わせてみたり、
そんなことを遊びとしてできる親子関係ってのもありますよね。
お父さんの臭い靴下までが、
親子、家族のコミュニケーションツールのひとつであることが素敵だと思うし、
そういう関係性、関係作りが大切なんじゃないかなぁ。
「お父さん、臭い!」って言われたら、
「何やと!ほんまに臭いか臭わしたるぅぅぅ…(*≧∀≦*)」みたいな関係ね。
思春期とか、色々あってそう単純じゃないってのは、実感としてわかるけど、
それでも、いつも、今、起こったことを受け入れて、
ハッピーでいれたらいいんじゃないかなって思います。
できれば、そこを目指したいと。
なんとなく、伝わってます?
そういう考えもあるんだなぁくらいでわかってもらえるといいなぁ。
「失敗」についても、同じようなことが言えると思います。
インプロのワークに「失敗のススメ」なんてタイトルをつけちゃうこともよくあるけど、
「失敗」ってネガティブな言葉と思われるでしょ。
コーチやスピリチュアル系の人の中で、定番になっている、ネガティブ発言をしないこと。
今は、いろいろな本もでて、一般的にも浸透しつつありますね。
常に愚痴と言い訳の鎧を着て生きている人にとっては、
前向きに生きること、目標達成のために、とても大切なことだと思います。
ただ、ある程度定着したら、
もしくは、愚痴だとわかりつつ、弱音吐いてるって気づいてて、
口にしてもいいんじゃないかなって思うんです。
自分の中の感情を圧し殺してしまわないこと、
せっかく心が感じたとを、無いことにしてしまわないことは大切です。
私もその一人ですが、感情を表現することが極端に下手。
人前で、怒りや悲しみを表現することが悪だと信じて生きてきたから。
何もかも、ダダ漏れで表現する必要はないけれど、
あふれる感情は表現してもいいんじゃないかなって。
誰かを踏んずけさえしなければ、表現すればいい。
って、今は思う。
わかっていても、表現が下手だし、つい圧し殺してしまうんだけど・・・
だから、ネガティブなことも、わかってて聴いてくれたり、共感してくれる人には話していいと思う。
笑顔でハッピーでいることを、とてもとても推奨しているインプロだけど、
ただただ、すべて圧し込めたらいい、ってことじゃないんだ。
ネガティブな事を口にしない方がいい。引き寄せちゃうから。
これって、脳科学的なこととか色んなとこでもいわれてるもんね。
両方が正解だと思うのです。
1つの物事には、裏表がある。
それどころか、たくさんの側面があって、どれも真実だと思います。
拘り過ぎず、頑固にならず、寛容に寛大に、その場に応じて、
自由に選択できたらいいんじゃないかな。
今回、いただいた指摘のお陰で、たくさんのことを考えたし、問い直しました。
何か、反対の意見を言ってもらって、そのことについて考えることは、
とても、大切だなって思っています。
○○ちゃん、ありがとうございました。
一生懸命、一貫性を持って、書こうと努力しましたが、やはり散らかってしまいました。
なんとなくでも、伝わるといいなぁ・・・
まめっち