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平凡な日常生活にまつわる拘り情報、写真、並びに体験談等を交えて皆さんとの交流を深めて参りたいと思います。

念願の生まれ故郷に戻る

2011-04-18 08:40:26 | Weblog
帰郷:

振り返ればロスアンゼルスで40余年間、更に過去7年間はラスベガスにて引退生活を過ごし、遂に長年の念願とする生まれ故郷のホノルルにて余生を過す決断に踏み切りました。

今では多くの日本人が最も憧れとするハワイは完全な観光都市と化して一般に物価高の経済都市として繁栄して来ました。 私が記憶していた50年前のホノルルの姿は最早見る影も無く変化してまるで浦島太郎の存在でした。狭い島国で3年も住めば生活に飽きて来ると云う思いが頭に残っていましたが、今後の私の生涯はこの土地で身を埋める決心で戻って参りました。 

最初は余りにも総てが物価高で高嶺の花と云う意識が強く敬遠していましたが、それでも多くの日本人の方達がハワイを我が物顔で目指して愉しい生活を営んでいる様子には何だか自分の故郷を乗っ取られた感じにさえ思えていました。

確かに家を購入する際にも可なりの高値に抵抗を感じていました。 
ハワイの不動産市場はラスベガス地域と比較すると約2倍近い差額には驚きました。  然しハワイに住む為にはそれなりの犠牲を払わねばならなかったのです。 私はその犠牲を払う決心をして遂に戻って来ましたのでこれからは純然たるハワイアン二世としてハワイの住民になります。

ハワイの人々は日本人に限らず皆一般に親切で大らかで親しみ易くアロハ精神で暖かく迎えてくれます。観光客の多い事と自動車の台数が増えていた事には最も驚きました。 其の為にダウンタウンの道路は常に渋滞で混雑している状況は免れません。然し一旦慣れてしまえば何の抵抗も感じなくなる事でしょう。

此れだけ大勢の日本人の方達がいるだけで今までに無い安心感と心強さを感じさせられるから不思議です。それに日本との距離が近くなった事も嬉しいです。

何と云っても私の念願が叶った事が最も幸せに思われる事です。 今後は我が身と家内の健康を維持して行く事に専念して参ります。 先ずは私達が住む近くの様子から徐々に紹介して参ります。  

場所はハワイのオアフ島の地図でご覧になるとホノルルのワイキキーから見て一番右端の先端地域に「Hanauma Bay」 ハナウマベイと云うホノルルでは最高の人気が有る有料の海水浴場が綺麗な入り江になった湾内に有ります。  この場所は元々火山の噴火口が沈下して出来上がった場所なのです。  この場所の直ぐ手前に有る入り江に面した住宅地域が「Hawaii Kai」 ハワイ カイと呼ばれる地域です。 

裏庭のラナイ(Lanai=パテイオ)から左方向を臨む風景の尖った小山はKoKo Head (ココヘッド)と呼ばれている噴火口の跡を残す山ですが一般公開はされていません。 近くで見ますと山の右下の麓から登れる道が有ります。


同じく右方向に見える小山がハナウマベイの在る山(此処もココヘッドと呼ばれています)で、その山の反対側を下るとあの綺麗な海岸があります。手前に見える水面はKuapa Pondと名付けられていますが海と接続している入り江が広がっており、其の一帯をHawaii Kaiと呼ばれているこじんまりした綺麗な町です。 開発される約40年以前は湿原地帯の沼地だったのを記憶しています。 ご覧の様に水面沿いに面している住宅には各々の小さい船着場とボートが見られます。


裏庭から直ぐ右側に見える風景の先方に海が有ります。海岸まで歩行で15分掛かります。 手前には小さい無人島が有り地図でも見られます。



此れが左側に見られたココヘッドのクローズアップで頂上に登る急な坂道を登っている人影も見られます。




ハナウマベイ ビーチの一部を見下ろした風景です。
















此処ハナウマベイを通り越したハイウエイ沿いに見られる人気の有るブローホール(Blowhole)の場所で自然に創られた岩石の穴から波が打寄せる毎に見事な水柱となって吹き上げられる見事な現象を見る事が出来ます。吹き上げる水飛沫の高さはまちまちです。


















昨年末は急遽慌しい引越しの為、無断でブログから遠ざかってご心配をお掛け致しました事、深くお詫び申し上げます。 丁度引越しの整理と東北大震災の被害状況が重なり、やっと如何にかゆとりが取れるようになりましたので五ヶ月振りに再現させたブログです。 

今回の大災害に遭われて亡くなられた多くのお気の毒な方々には胸が痛み心よりご冥福をお祈りすると同時に、その他の被災者の方達にも頑張って戴きたいと一生懸命に応援しております。 又、このハワイで住む事になった私達は何とも申し訳ない思いで一杯ですが、余生を頑張って生きて行きたいと思っております。