愉しい触れ合いを目指してゆとりの有る人生を歩みましょう

平凡な日常生活にまつわる拘り情報、写真、並びに体験談等を交えて皆さんとの交流を深めて参りたいと思います。

認知症と宣言された妻の愛を求めて {其の一}

2013-12-27 03:21:25 | 闘病・介護
大変永らくお休みをしてご心配をお掛けし申し訳ございませんでしたが、この度新規に更新させて頂きましたので今後共宜しくお付き合いお願い申し上げます。

今年の1月7日に新年の挨拶を乗せ、嬉しい励ましのコメントも頂戴し、更に1月14日にはアウラニホテルに就いて簡単な紹介をしたのが最後のブログの記事となりました。ブログに相応しい内容の記事に有り付けなかったのです。

今になって振り返って見ますと、その後家内の病状が一転して以来、それまでの介護の対応がやや変わって来ました。 家内の日常の動作が幾分機敏になった事、会話の時間が増えた事、顔色やその日の体調を伺いながら新規に遣り始めたリハビリに取り組みました。最初は嫌がるリハビリの厳しさについて行けず、励ます事に一生懸命でした。 徐々に独自で食事が取れる様になり体力も少しづつ備わって来ました。親しくなった近所の人達からの励ましの声援も掛けられる様になり片言の会話も交わせる様になって順調に回復して行く様子が伺われました。 

こうした少しづつの変化に依って私の介護に費やしていた時間が何時の間にか日常日課となり、自分自身の纏まった時間が取れなくなっていました。 毎日の日記を継続するだけでもやっとの事で、ブログの記事を書く時間が取れなくなったのです。 私のパソコンに向かう纏まった時間は家内の頻繁に声を掛けられる事で邪魔をされていたのでした。 家内の頭の中には沢山の空間が出来ており、不安一杯の気持ちを私に投げ掛けていたのです。 認知症特有の健忘症に依る記憶喪失の為、毎回同じ質問を繰り返して訊かされる毎日でした。 その都度、私は同じ口調で家内の質問に応えてやっていましたが、その内にどうしても苛々する気持ちを抑える事が難しくなり時には声を荒げる事も屡々有りました。

そんな私に家内は今度からテープに同じ返事を録音して聞かせてくれれば良いからと自ら私への気配りをしてくれていました。
こんな日々を知らぬ間に過ごしていた7月の18日に不意のアクシデントが起こったのです。
この続きは次回の記事に記載させて頂きます。