ちょっと頭の中が混乱して更新出来ませんでした←ウソです。
先週、出先でトイレに行ったら、多目的トイレは案の定使用中。
しばらく待っていたら、なんと!
小学校二年生くらいの男の子が一人で出てきました。
もちろん、車椅子ではありませんでした。
内部障害?
これ、健常だったら、もう、日本の教育が悪いんだわ、きっと。
先週、出先でトイレに行ったら、多目的トイレは案の定使用中。
しばらく待っていたら、なんと!
小学校二年生くらいの男の子が一人で出てきました。
もちろん、車椅子ではありませんでした。
内部障害?
これ、健常だったら、もう、日本の教育が悪いんだわ、きっと。
トイレの呼び方が「多目的」「みんなのトイレ」となったのは相互理解の第一歩ですよね。
健常の頃は私は全く知らなかったので、どのような使い方をするのかやはりどこかで知るチャンスがあるといいですね。
トイレが一つしか設置出来ないなら、多目的にするとか。
外出はトイレのこと中心に決まるので切実ですわ。
また、仮に健常者であっても、
う〇こが漏れそうで秒読み段階の時、
一般トイレが埋まっていたら多目的トイレを使っちゃうものなんじゃないでしょうか。
多目的トイレが空いていることが分かっていて、あえてそこで、う〇こを漏らす選択をする人はほとんどいないと思います。
私の場合、直腸障がい?なのか何なのか、とにかく便意を感じ始めたらすぐに秒読み段階になってしまうので、
極力一般のトイレを使うようにはしていますが、埋まっていたら多目的トイレを使うこともあります。
私も見た目には普通に近いので、用が済んでトイレを出る時はドキドキですけど、
漏れそうな時ってそんなこと考える余裕ないですからね。
ただ単に「広いから」という理由だけで多目的トイレを使っていたら
それは問題ですけど、人にはそれぞれ事情があるかもしれませんし、
仮にルール違反だったとしても、ルール違反をせざるを得なかった事情を想像することも
日本の教育には必要な気がしております。
車椅子の人のために極力多目的トイレを空けておくというのも思いやりですし、
健常者が多目的トレイを使っていても、事情を想像して寛容にとらえるのも思いやりで、
そういった他人への思いやりの中に明るい社会が存在するのではないかと考えております。