浪子不動を
あとにして
図書館へ
途中
徳富蘆花が
不如帰を執筆した
旅館「柳家」跡へ
建物は火災で
もうないのですが
石碑が残っています
蘆花は4年間
柳家で暮らして
いたそうです
昔の柳家
今の風景
後ろの山だけが
姿をとどめています
柳家をあとにし
田越川沿いの道を
図書館へ向かう途中
偶然にも
徳富家ゆかりの
石碑を発見
石碑には
徳富蘆花の兄蘇峰
本名:猪一郎は
国民新聞(現在の東京新聞)を創設
逗子をこよなく愛し
この地に庭園を作り
弟の蘆花たちと
素敵な時間を過ごしていた
等々
お兄さんの新聞に
不如帰が掲載されたんですね
石碑の後ろの民家には
徳富の表札が
というところで
わんちゃんの
お散歩に行くので
続きはまた次回
さらに不思議な
ことがおきます
日曜日
オフショア
予報通りの
プレーニング
コンディション
先週
ウェットスーツを
修理に出しました
背中のファスナーが
ペリペリーっと
買ってから8年
時のはやさに
少しとまどいます
逗子には
浪子不動という
お寺があります
別名で白滝不動と
呼ばれています
その名は
左奥の崖から流れる
小さな滝からきているそうです
冷たくて気持ちいい
マイナスイオーン!
でも
浪子不動といえば
やはり
徳富蘆花(ろか)ですよね
海を見晴らす
高台にその脾が
あります
裏の文字を
読んでみました
徳富蘆花 本名:健次郎
明治元年生まれ
30歳のとき逗子に住む
新聞に掲載した
「不如帰(ホトトギス)」が
大ヒット ベストセラー作家に
その後も逗子を題材にした
「自然と人生」を発表
世界一周旅行をする等
アウトドアーな人生を送り
昭和2年に伊香保温泉で亡くなる
と 書いてあるようです
ふむふむ
明治のことが
リアルに感じられて
蘆花さまナウです
海の中に
不如帰の石碑が
あります
石碑には
「不如帰」の文字が
刻まれています。
浪子不動の浪子は
不如帰に出てくる
主人公 浪子の名前です
当時大ブームを
巻き起こし映画化もされ
観光名所になりました
逗子バンザーイ
すごいよすごいよー!
蘆花さまのおかげで
全国区になった
浪子不動ですが
実は
お寺の正式な
名前は「高養寺」
首相にもなった政治家
高橋是清と犬養毅の文字から
とられたそうですが
2人がお寺を建てた
ことはあまり
知られていません
悲しいことに
ふたりは
激動の昭和
5.15 と2.26事件で
暗殺されてしまうのです
実は
歴史がとても
深い場所なのですね
図書館に行こうと
浪子不動をあとにしましたが
実はこのあと
不思議なことが
おきたのです
お話しが
長くなりますので
続きはまた次回に
ではでは
土曜日
朝の爆風が
やみました
低気圧が
運んだ波が
打ちよせてます
高潮?
僕らのCBが
水没しないか
心配です
今日は風待ち日和です
車に
ステッカーを
貼りました
とても
ヤザワを感じます
で 歌ってたら
休憩するはずの
大黒埠頭を通りすぎ
相当遠回りするはめに
やっとこ
逗子につきました
風がビュンビュン強くて
びっくりしてます
明日ウィンド
できるのかな?
今日は
桜山にある
郷土資料館に
行ってきました
渚橋の近く
ファミマの後ろ
あたりです
資料館へは
蘆花公園の
奥の山道を登ります
蘆花(ろか)公園は
逗子を一躍有名にした
小説ホトトギスの作者
徳富蘆花にちなんだ公園です
途中の看板には
蘆花様のお言葉が
「夏去り秋来たる」
秋の七草が咲き
柿が黄色く
サツマイモが甘く
秋の虫が鳴き始め
稲穂がさわさわと
小雨がはらはらと
今年の夏が
すぎて行きます
と書いてあるらしい
ふむふむ
門にたどり着きました
大正元年に
建てられ
徳川家16代の
別荘になった建物です
資料館の方が
逗子の昔ばなしを
たくさん聞かせて
下さいました
あまりの楽しさに
2時間近く
お話ししてしまい
すっかり夕暮れ
とても
素敵な時間でした
また来なくては
日曜日
朝から
良い北風が
入っています
昨日の無風
パンピングした
筋肉痛な私は
のんびりと
お散歩しています
海も空も
気持ちいいな
土曜日
風は
吹きませんでした
夕焼け
あの空の向こうに
福岡があるのかな
風が
吹いてきました
土曜日
しらない間に
雨が降って
いたようです
風が昼から
吹く予報でしたが
どうでしょうか
台風の高潮で
ガードが砂に
埋もれてます
小学生くらいしか
通れません
どーしよー
道の上まで
海のものが
流れてきてます
びっくりですね
さあさあ
今日は海出よー
金曜日
川崎で
仕事からの
帰り道
車をとめて
見上げた
青い空
久しぶりに
あえた
気がしました
横浜
秋が素敵な
街ですね
明日
ウィンドしよっかな