コリントの信徒への手紙 7章。
17 ただ、各自は、主から賜わった分に応じ、また神に召されたままの状態にしたがって、歩むべきである。これが、すべての教会に対してわたしの命じるところである。
18 召されたとき割礼を受けていたら、その跡をなくそうとしないがよい。また、召されたとき割礼を受けていなかったら、割礼を受けようとしないがよい。
19 割礼があってもなくても、それは問題ではない。大事なのは、ただ神の戒めを守ることである。 *聖霊の言う事を聞く事。
20 各自は、召されたままの状態にとどまっているべきである。
21 召されたとき奴隷であっても、それを気にしないがよい。しかし、もし自由の身になりうるなら、むしろ自由になりなさい。
22 主にあって召された奴隷は、主によって自由人とされた者であり、また、召された自由人はキリストの奴隷なのである。
23 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。人の奴隷となってはいけない。
24 兄弟たちよ。各自は、その召されたままの状態で、神のみまえにいるべきである。
*召される=現代で第1の復活を遂げる。現代で2回目の人生を始める。
生まれながらのそのままでいろと書かれている。
主によって自由とされる=大いなる裁きが始まり、神の城へ避難 → その者は自由であるが、三位一体の神の聖徒である=キリストの奴隷 (言い方が悪いが、悪い状況ではない。)
ただ神の戒めを守る = 現代に聖書内で約束された聖霊が降臨した。聖霊が聖書を教えるので、神ヤハウェの戒めとは聖霊の言う事を聞けということである。