沢を散歩する秋田犬のびしゃもん 2024/9/24 【自然の音、川の音】 沢登り
ビシャもん、すっかり大人になっちゃいましたね〜昔のようにぴょんぴょん飛び跳ねることはなく、慎重になりましたね
子供の頃はブランコ飛びで、平気で鉄柵飛び越えたりしていたのに大人になると怖くてできない
子供の頃に比べればつい目と鼻の先の距離であるのに
経験が人を賢くするが、臆病にもする
人の脳には防御本能という、「ブレーキをかける機能」がある
また、心臓はアクセル機能、前向きに進ませる
とはいえ、脳から「動け」という電気信号が神経を通じて送られないと動けない「筋肉でできている」
しかし、本当に脳なんだろうか?
人間の解剖をして脳を見てもそこに何か書いてあるわけではない
・・・
とはいえ、コンピューターのメモリーは「1」と「0」の組み合わせだけで作られている
ということは
脳もなんらかの「1」「0」配列があるのだろうか?
そんなこと自分で調べろよ!って言われても他にも次から次へと浮かんでくる疑問をとてもじゃないけど処理できないよ〜
結局自分の考えが整理できないために思考の「メビウスの輪」の中を彷徨うのを楽しんでいるのだ😅
絵文字は便利だな〜
半角1文字分のスペースで自分の感情を表現してくれる
文章だけでは、肯定的に書いたのか、否定的に書いたのか受け取り側の感情で変わってしまう
私のような臆病者はコメントを書かれると、全て「否定されている」ととってしまう
防御本能が強いのだ
俯瞰的に見れば、「オフの世界」での「人生における経験からの刷り込み」でしかないのはわかってる
わかっているのに、それを上書きできるほどの自信がない
私が人より長けているのは、先を考える力だ
・・・
という断定文を書くと読んだ方の中には「カチン」とくる人がいる
で、肯定的に言えば「親切心で私の考えを正してくれるために」ちょっと肯定寄りにすれば「おせっかい」でコメントをしてくれる
ありがたいことである
私のイケイケになった思考に、
このままいけば急カーブを曲がりきれず崖から転落して、
今まで積み重ねてきた人生をリセットされてしまうリスクに陥らないようにブレーキをかけてくれるからだ
どんなものも「プラスに考える」のか、「マイナスに考える」のかで結果は180度変わってくる
そう、こうして人生は二乗関数で分岐していくのだ
「香車思考」が発動すると突っ走り、誰もついてこれない
とはいえ、この思考が発動する前には
「現状を把握して」
「なぜこの問題が発生したのか」
「ゴールはなんだったか」
「ゴールするためにどのような道筋を通れば良いか」
という思考回路が動く
結果として
「今まで誰もやってこなかったやり方を思いつく」
しかし、結論が見えたところで、これを仲間に話しても理解されない
面倒くさがりであり、会話能力が行動に追いつかないのと超短期な性格が災いして
山本五十六の教え発動
「やってみせ」
ところが、いくら結果を出しても先人たちには当然面白くない
自分たちの長年培ってきた「ムラ社会のやり方」よりも優れたものが現れると威厳が保てず、自分自身の地位が揺るぎかねない
なので、やり方の「枝葉」の部分の間違いを見つけてそれを突破口にして「全否定に導き」築いてきたムラ社会を守ろうとするのだ
そこに未来を考えることはなく「今の自分を守る」「防御本能」が働くからだ
若くて体が元気な時はいろんなことを試す瞬発力があった
しかし、より良いやり方だと頭で理解できてももう体がついていかず自分で実行することはできない
で、結局ムラ社会では生活できず、一人「独覚」の世界を楽しんでいる
でも、人間の「承認欲求」「俺はここにいるんだよ!」という心には勝てずこんなブログを書いている
結局、人は一人では生きていけないのだ
自分の思いを達成しようと思ったら誰かの助けを借りないと達成できない
私がここに書いたことが少しでも世の中の人のヒントになって、
「地球よ、より美しく未来永劫輝く星となれ」
という夢が叶えられることを願って今日も駄文を書き綴る