演説活動に暴行や妨害活動をする人が最近増えました。SNSによっては、そういう内容がたくさん上位に現れてきています。
そういった行動が主たる活動みたいになっている一般人がけっこういて、そんな時間はサラリーマンやってますよ・・・って、どこかでそう思うんです。
読んでるだけでも見てるだけでも疲れます。
どこかでやってくればいいなと思っていた気持ち。
数々の自分を疲れさせた現実は、よくある話があてはまらないし、自分の実体験を万人にあてはめたらかなりの暴論になる。
しかし、それは、大切に内に秘めておく。
暴論を、大切にしている。
暴論の実行の向かう先はもはや無いかむしろ現存しないものもある。
頑張って生きたね、自分。
数年前から、かなりの金額の単位で、領収書を出さない会社が問題視されていた件について。
どこの会社かどこの団体かは伏せておきますが、
そもそも「領収書」って、
最終的な支払い金額だけ記載して、
途中経過の詳細は、
どういう経路であろうが、盛った金額を作ることであろうが、ある種、アリなんですよ?
ワタシはどこかの民間企業で働いていますが、
ワタシの場合だと、
その詳細がやましかったら、アウトなんですよ?
今は許されてる金銭感覚でも、今後は許されないだろうね。
「結果」を求めること、「お金」を求めることはどこにとっても大事ですが、
今後は「証明」を納得させられないといけなくなることが、時代の流れの本質のように捉えています。
一個人や会社との関係を断ち切ることに、理由を作ろうとすれば簡単に思いつくはず。
粗探しをすれば、すぐに簡単。
しかしだよ?
継続する理由、作ってるかってことで。
その努力、何も考えずに生きてると、できていない。
今月、やたらきついじゃん?しんどすぎじゃないか?
・・・と思ってたのですが、
そりゃこんな処方薬を処方されたら、いつものようにはいかんでしょ?
って、思う節。
その処方薬を飲んだ後の午前中は、
何も使い物にならないくらい、副作用がきつすぎる。
約1週間ほど飲んでみて、確かに画期的ではある。
もう今後はお世話になりたくはないくらい、
キツめな処方薬である。
お薬には、そんな、
「一発屋」「一時的な役割」「使い捨て」
・・・な役割が、存在します。
「スクリーンタイム」又は「Digital Wellbeing」見たら一目瞭然。
1日何時間取られているのかよーくわかります。
しかしそれは「点灯時間」なので、
消灯させて音楽を聴いている時間は含まれないんだろうな~って思ったりもした。
スマホ<PC<印刷媒体
の順に、
1枚あたりに表示できる情報量はどうしても特性があるので、帰宅後の向き合い方がいかに、と思いました。
どうしても移動中は、スマホに制御されるけどね。
連日スマホに入ってくる某都知事選候補者さんの、
気持ちからうんざりする知らせが絶えないことに耐えられません。
もう拒絶反応が本能の奥底から湧き上がり、
許せない気持ちに使命を抱えているくらいです。
泡沫的な実像なのだから、
もうあっちゃならないあやまちなんだし、
本能から「駄目なものは、駄目」と、
威厳を持っていくのですが、
その気持ちを貫くことは、決して簡単ではない、「男性性」の揺るぎない気持ちなんですよね。
絶対に許すな!ということがもう使命としてあるのだから。
しかしこう思うだけでも、戦っていく気持ちですから、
自ら思うに、抱えるだけでも重たいんですよね。
息が苦しいですよ。
逆に、もうどこかの腹の内で「女性性」を僅かに取り入れていくしか、
解決策はないものだと感じています。