生前の母親との過度なまでの亀裂は、
当時通っていた進学高校での学業不振から来ている。
未だに、
「あんな年月すごく要らない。どうしておれ、あんな無駄な時間を…」
って、根深く思っている。
しかしその裏では、
9割以上の大多数にとっては、
それはかけがえのない大切な場である。
そう思わせもしなかった。できなかったよ。
あるのは押し付け以外、何もなかった。
そこから20年以上経て、とっくに母親は他界しているけど、
その母親の、許した側面なら、今後生きていくことに活かしていけると思った。対価を得なくても、拠り所になる。
それが「習い事」だったんです。
■ピアノを弾きたいと言ったら許してくれたこと。
■「なんか、強くなりたい」と言ったら地域のサッカーに行くことを許してくれたこと。
この2つは、未だに自分の根底に生きていると思う。
たった今では、今日以降の生業の身の振りについて、悩んでいる。
■みんなが行くところでは、埋もれて潰されるだけ。
■肉体労働は実際に限界きてる。その時がやり過ごせても、後でツケとして「緊張型頭痛」がやってきてる。ここ2年〜3年、みんなこれ。
■派遣労働はさすがにやめておこう。「話が違う」と、営業と何回喧嘩したのかな。
「量産型」なり「王道系」な進路が使えないのは、厳しいよ。その場の努力ではどうしようもなさすぎる。
てか、現場作業な仕事をいくつしたのか。
そろそろやめろ。いい加減、次はするな。
たいていの人が普通にできることが、
自分には無理なことでしょ。