国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

余部橋梁物語 僕らの町に汽車がやって来た 第6話

2008-05-24 09:33:36 | 国鉄思いで夜話

おはようございます、枚方方面は雨の予想ですが今のところ雨は降っておりません。
さて、これから少しバイトに行ってきます。その前に少しだけ書き込みしておきたいと思っております。

昨日は、兵庫県知事が香住町の町長とお話するところで終わっていたのですが、今日はどうなることでしょうか余り時間もないので短めになりますがまぁ、読んでやってください。

> 助役と町会議員が見送るなか、車は余部の集落に向かって走り出したのでした。
>
> さて、同乗することになった町長はどんな様子でしょうかって?
>
> 町長はそれこそ緊張がピークではないかと言うほどカチカチになっていましたよ。

運転手は自分農で時計に目をやると、時刻は3時30分を指していました。

「今からですと、4時過ぎになりそうです。」

運転手が秘書に告げました。

「わかった、とにかく急いでみてくれ。」

車は快調に進み、予定より少し早い3時55分に着くことが出来ました。

事前に話に聞いてたとおり、三方が山、もう一方は海がすぐ近くまで迫っていました。

運転手が、車を止めた所は、道なりに曲がったところで、目の前には余部鉄橋が山と山を跨ぐ形で大きく横たわっていました。

町長は、

「これが、余部橋梁です。地元の人はここを歩いて渡ると聞いていますが、私なんかとてもとても・・・」

なるほど、かなり高い橋である事は見れば判ることです。
チラッと、鎧方面から橋を渡る人影が見えました。

知事は、町長に尋ねました。

「この橋を渡るにはどこから上るのですか。」

町長も流石にわかりませんので、秘書に余部の集落の誰かに聞いてくるように命じ他のです。
しばらくすると、秘書が戻ってきて、香住側の山から上って橋に出るけもの道が有るとのこと。

早速、一行は車に乗り込み、橋のたもとまでやって来たのです。

橋のたもとから見上げると、45mの高さがさらに強調されるようです。
こんな高いところを汽車は通るのか、さらに人すらも・・・

知事は一人感慨にふけっています。

確かに、子どもたちが「駅を作ってください」と言うことは充分理解できることだと、確信に近いものを感じた他のでした。

そうして、約5分ほどしたとき、山から降りてくる婦人がいました。
年の頃は40代後半でしょうか、背には大きな荷物を持っています。

聞けば、鎧からの帰りで、余部の橋梁を渡ってきたとのこと、そう先ほど見えた人影、その人だったのです。

知事は、その婦人に話かけようとしました、咄嗟に町長が止めに入ろうとしますが、それを振り切るように話かけました。

「この集落に駅ができたら便利ですか。」

婦人は最初、この紳士は何を言っているのか判りませんでした。
「さぁ、わからん。私には難しいことは判らん。」

少しぶっきらぼうに答えるのでした、それを見た町長は慌ててその婦人に対し、

「なんちゅう失礼なことを、このお方は兵庫県知事様だぞ。」

婦人は自分の無知と恥ずかしさからその場で膝まづき、

「知らなかったこととはいえ、ご無礼なことをしてしまって申し訳ありません。」

ひたすら土下座する婦人に対して、知事は

「私こそ、きちんと挨拶もせずに失礼した。実はここに駅を作ろうと言うお願いが上がっていたので様子を身に来たのだよ。」

「ほんと申し訳なかったです。」

婦人は、その言葉を何度も繰り返し、何度もお辞儀をしたあと、婦人は小走りに走り去ったのでした。

知事は、それなりの手ごたえを感じながら、再び秘書と町長を含む3名は再び香住町役場に戻るのでした。

時間が迫ってきたので、この辺で失礼させていただきます。

今日も一日が良い日でありますように。


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