国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

寝台特急 日本海 物語 第3夜

2008-03-25 00:19:36 | 国鉄思いで夜話


こんばんは、深夜の訪問便です。
昨日は、50年3月の改正で、20系客車から14系客車に置換えられたお話をさせていただいたのですが、客車の寝倉が宮原から早岐【長崎県】になってしまったのです。

というのも、「あかつき」で大阪にきた列車はそのまま、その日の「日本海」の運用に入るというとんでもない運用でした。

 だから、一度出かけると、1週間くらいは帰らないというなんとも放蕩息子?娘でした。

当時の国鉄の行過ぎた?合理化の程が覗われますが、あまりにも問題があったのか数年でこの運用は解消され、「日本海」は宮原区の運用に戻りましたが何ともびっくりしました。

当時中学生だった私も、一度だけ撮影に行ったのですが、その日はどういうわけか、最後尾の寝台車が前後逆に連結されており、ヘッドマークが見れませんでしたというか、そう言った連結している方が貴重な気もしますが・・・今から考えると、単なる回送で連結されていたのかもしれませんし、何らかの理由で反対につけたまま営業運転に入ったのか。

どちらにしても、貴重な記録でしたが、残念ながら当時のネがが紛失してしまい、お見せできないのがとても残念です。

今日は指が痛くて、キーボードを打つのも鬱なのでこれくらいにさせていただきます。

ごめんなさい。

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