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こんばんは、深夜の訪問便です。
昨日は、50年3月の改正で、20系客車から14系客車に置換えられたお話をさせていただいたのですが、客車の寝倉が宮原から早岐【長崎県】になってしまったのです。
というのも、「あかつき」で大阪にきた列車はそのまま、その日の「日本海」の運用に入るというとんでもない運用でした。
だから、一度出かけると、1週間くらいは帰らないというなんとも放蕩息子?娘でした。
当時の国鉄の行過ぎた?合理化の程が覗われますが、あまりにも問題があったのか数年でこの運用は解消され、「日本海」は宮原区の運用に戻りましたが何ともびっくりしました。
当時中学生だった私も、一度だけ撮影に行ったのですが、その日はどういうわけか、最後尾の寝台車が前後逆に連結されており、ヘッドマークが見れませんでしたというか、そう言った連結している方が貴重な気もしますが・・・今から考えると、単なる回送で連結されていたのかもしれませんし、何らかの理由で反対につけたまま営業運転に入ったのか。
どちらにしても、貴重な記録でしたが、残念ながら当時のネがが紛失してしまい、お見せできないのがとても残念です。
今日は指が痛くて、キーボードを打つのも鬱なのでこれくらいにさせていただきます。
ごめんなさい。
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