国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

幻の和歌山駅改良計画 第1話

2018-04-20 07:45:31 | 国鉄思いで夜話

久々に更新させていただきます、古い資料を見ていますと新しい発見がある物です、特に部内誌に資料などを参照していますと、意外な発見があったりします。
現在、ビッグホエールが建設されている、和歌山市手平地区にはかつて和歌山操駅と呼ばれる、貨物駅がありました。
より正確には、貨物駅と客貨車区【実際には検修は、貨車】が併設されていました。
しかし、この施設も昭和59年の貨物輸送システムチェンジで廃止に追い込まれ、その用地は売却されて現在に至る訳ですが、昭和37年の当初計画では、東和歌山駅(現在の和歌山駅)裏側に貨物輸送の施設を設ける予定に成っていたそうです。

そこで、その計画について当時の資料や古い写真などを参考に見ていきたいと思います。
昭和37年頃、和歌山駅【紀和駅】を縮小して和歌山駅【東和歌山駅】を拡張する計画があった?
和歌山市は、戦時中に疎開などもあって16万人まで人口が減少、その後住友金属【現在の新日鐵住金】の発展も相まって人口も急増していました。
参考にした資料は、国鉄の部内誌交通技術と言う雑誌の昭和37年9月号です。
この記事を見ていますと、現在の和歌山駅【当時の名称は東和歌山駅)の機能を拡張し、和歌山駅【紀和駅】の機能を縮小していくというものでした。
下の図をご覧ください、昭和37年当時の紀勢本線、和歌山市~東和歌山【現・和歌山】駅の構内図です。
和歌山駅【現・紀和駅】からは中之島駅を経て、和歌山機関区まで線路が伸びておりこれは和歌山線として機能していました。
現在の和歌山線となっている、和歌山からの線路は和歌山線の短絡線として、昭和36年に開通したのですが、当初は機関車の回送、団体列車【南紀観光団体】などに利用されるだけで殆ど活用はされておらず、和歌山線の旅客は、紀伊中ノ島経由で和歌山市まで入っていました。
下図の写真は、昭和36年当時の紀和駅付近を写した航空写真です、赤い枠で囲ったのが、和歌山駅【現。紀和駅】となります。左の方に客車が屯しているのが見えるかと思います。


この駅には、駅の裏が客車区になっており、和歌山市寄りに客車の洗浄線がありました。
独身寮・保線区・木工職場があり、簡単な修理などはここで行っていたようです。
と言うのが、私が生まれた場所がちょうどこの和歌山駅の裏手であり、蒸気機関車の煙と汽笛を子守歌にして4歳頃までここに住んでいましたので,少しだけですが記憶があるのです。

更にもう1枚、こちら画像も昭和36年撮影の航空写真ですが、こちらが、東和歌山駅【現在の和歌山駅】付近の写真で、青い色で囲った辺りに貨物の険修施設を設けると共に、和歌山機関区を気動車・客車区にする計画が有ったそうです。

計画概略図は、こちらをご参照ください。

この図によりますと、和歌山機関区に気動車などを配置して客車と気動車を配置し、将来は運転区にすると共に、和歌山駅【現・紀和駅】の施設を撤去するとともに、和歌山駅から紀伊中ノ島を経由する和歌山線の路線を廃止する計画になっています。
こうした計画が生まれた背景には、下記のような理由がありました。
建設の経緯から、和歌山駅(現・紀和駅)が明治31年5月に開業し、南海電車の終点である和歌山市駅は明治36年3月、和歌山駅【当時の名称は東和歌山駅】の開業は遅く、大正13年まで待たねば成りませんでした。
これは、紀ノ川を渡って直接大阪と結ぶ路線が最初に建設され無かったことが原因であり、和歌山市駅【当時は国鉄と私鉄の共同使用駅】が誕生、さらに、紀勢本線が建設され、阪和電鉄から直接接続できることになると、旅客輸送の中心は和歌山市駅並びに、東和歌山駅が受け持つこととなり、和歌山駅【紀和駅】の地位は相対的に下がって行くこととなりました。
そこで、和歌山駅【現・紀和駅】施設を東和歌山に集約すると共に、客車区の機能を和歌山機関区に移設して、DC並びに客車の配置区にしようという計画が立てられたのでした。
当時の交通技術の内容から一部引用したいと思います。

I 現状及び改良の必要性
和歌山地区の現状で、問題になっている点を述べると、つぎのとおりである。

1)貨物集約設備
この地区の貨物取扱駅は、東和歌山・和歌山・田井ノ瀬・布施屋・紀三井寺・紀伊・六十谷の7駅あり、その取扱屯数は約41万トンであるが、東和歌山駅(取扱量約20万トン〕は、都市計画に一部支障しており、貨物集約と合わせて貨物設備の整理統合を必要とするとともに、不用地を整理して、経営の合理化を行なわねばならない
2)和歌山線列車経路の変更
和歌山市の都市計画は、東和歌山駅を表玄関とし、発展の方向を東和歌山駅の東部地域としているι従って和歌山県北部臨港工業地域の完成にともなう、和歌山線・紀勢本線旅客の増加、東和歌山田ノ井瀬間短絡線の完成、東和歌山一海南聞の複線化などは、東和歌山駅をこの地区の中心として、客貨の流動を再検討せねばならない時期に達している。



簡単に言えば、東和歌山駅は,今後更に発展するが、和歌山駅は路面電車の乗り入れもなく、バスの本数も少ないなど駅としての機能は低下しているので、この機会に合理化を図ると共に、貨物扱駅も、複数あるが集約したい、しかし現状では、現行の和歌山駅の施設のままでは都市計画にも支障する。【東和歌山駅当時は、貨物は現在のホテルグランビアから駐車場付近が貨物施設でした。

画像は wikipedia参照

そこで、東和歌山の大田地区に貨物の仕分け線並びに貨物の設備を設けることとすると言う計画が立てられました。
なお、和歌山機関区に関しては、その機能をを拡張して、客車と気動車を配置する予定となっていましたが、実際には気動車のみとなったと記憶しています。
余談ですが、和歌山機関区のちょうど上に見える建物が、全国に10カ所しかないうちの一つ、女子刑務所(和歌山刑務所)になります。


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