国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

南海キハ5501と白浜直通準急 第2話

2016-06-06 07:47:09 | 国鉄思いで夜話

みなさまおはようございます、先日キハ5501のお話を書かせていただいたのですが、本日はその続きとなります。
その前に少しだけ、簡単に「きのくに号」の歴史について振り返ってみたいと思います。

現在でも観光地として人気を誇る白浜ですが、古くは昭和8年に天王寺(当時は阪和鉄道)から紀伊田辺まで直通運転が開始され、「黒潮」号と名付けられたのが最初と記録されています。
当時は省形客車がモヨ100等の阪和形の電車にけん引されて乗り入れていたようです、運転開始から1か月ほどで白浜口(現・白浜)まで延長されたそうで、当時から大阪からの湯治場として人気を誇っていたことが判ります。
また、昭和9年には同じく南海電鉄から、難波~白浜口駅間で運転を開始したとされています。
戦後はいつごろ廃止になったのか現在調査中ですが、戦後は昭和25年10月に設定される臨時快速が「黒潮」の愛称を与えられたおり、これが戦前の流れをくむものと言われています。
さらに昭和27年、南海電鉄ではスハ43に準じた客車サハ4801を新造、国鉄の客車が茶色もしくは紺色の中、南海電車の緑の塗装の客車が登場しました。
内装はスハ43ですが、出入り口上部には「南海」の文字が入り優等客車のように思えたものでした。この車両は1両しか作られなかったため多客時には国鉄のスハ43を借り入れて乗り入れをしていたようです。

さた、肝心のキハ5501「きのくに」の話ですが、昭和34年7月15日の紀勢本線全通に伴い帝国車両でキハ5501・5551が製造されることになります。(前述)
昭和36年3月の改正で、「準急南紀」は3往復になりそのうち1往復はなんば発着とすることとなり南海電鉄でもキハ5501増備することとなります。


昭和36年3月時刻表


昭和38年時刻表
さらに昭和38年10月のダイヤ改正では、なんば駅発着を増発、全列車が天王寺・難波~新宮の運転となったそうです。

明けて、昭和40年3月の改正では和歌山機関区にキハ80系特急気動車が配置され、天王寺~名古屋間を結ぶ「特急くろしお」並びに、東和歌山~名古屋(阪和線・関西線経由)の「特急あすか」が設定されました。
「特急あすか」は配置区である和歌山機関区に戻すために設定された列車でしたが、東和歌山(現・和歌山)駅が7:00発、22:30到着で、かつ天王寺を経由しないダイヤであったことから利用は低迷、昭和42年のダイヤ改正で廃止になっています。

昭和42年の改正で廃止になる特急あすか 和歌山駅を7:02では利用者もいないであろうと思われる。

戦後、愛称変更で廃止になった「平和」を除くと初めての廃止特急となりました。

特急あすか 短命に終わった。

さて、それまでは紀勢本線の最優等列車の位置づけであった「準急きのくに」はその地位を「特急くろしお」に譲ることになります。

準急としての「きのくに」は昭和41年国鉄の方針に伴い急行に格上げされることとなります。
というのは、それまでは車両の優劣で急行と準急の差をつけていたのですが、新車の増備も進んだことから100km以上を走行する準急は急行に格上げすることで増収を図ろうということになりました。


元々準急用で製作したキハ5501ではいささか見劣りするのですが、塗装をキハ58並みに変更した以外は特に変わったところは無く「急行きのくに」として引き続き活躍することになります。

さて、そんなキハ5501ですが、国鉄では列車種別が準急であったり・急行だったのですが。南海本線内ではあくまで特急として運転されていました。正確には「連絡準急(急行)」と言う名称です。
連絡急行は指定席料金を取っていたようで、区間利用者を極力排除していたような印象があります。
なお、南海本線内の停車駅は昭和38年10月のダイヤを見てみましても、堺・岸和田のみが停車駅となっています。それ以前は、泉大津・岸和田・泉佐野にも停車していたようです。


なお、和歌山市到着後はそのまま渡り線を通って紀勢本線に乗り入れ(実際は紀和駅手前までは南海電鉄の保有)て紀和(昭和43年2月から、それ以前は和歌山駅)駅を経て和歌山(昭和43年3月から、それ以前は東和歌山駅)に乗り入れそこで天王寺から来た編成と連結していました。
南海の車両は常に白浜方に連結されていました。


次回は、くろしお号の発展ときのくに号の衰退を含めて書かせていただきます。


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1 コメント

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初めまして! (0-sen)
2016-06-07 21:38:56
初めまして!0-sen(零銭)と申します。
「鉄道」カテゴリーで私のブログを更新していて貴ブログの辿りつきました。

当時の東和歌山(現和歌山駅)から阪和線・関西線を経由して名古屋に行く特急があったとは知りませんでした。(当時10歳の子供では知る由もないですね。)乗車時間も4時間足らずと言うのは当時としては早かったと思います。

つい先日、紀勢本線を全線走破して来たのですが、南回りで名古屋へ行くよりも早いですね。新幹線が開通したのでは、廃止もやむを得ないかもしれないですが、当時このような特急があたっと言う事が分かり、楽しく拝見させて頂きました。
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